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石原莞爾平和思想研究会コミュの友達を理解する

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父の死を思う時、同級生だった若い頃からの友人のことが重なって思い出されます。20年程前までは、毎日のように一緒に遊んでいた友人だったが、ここ20年間は、全く会う事もなくなってしまいました。父は死んでしまった。石原莞爾平和思想研究会では、恒久平和を叩き込まれました。どこに出掛けるときもいつも一緒の父でした。

会社の方も友人たちもどう私に接してよいのやらわからず遠巻きに見守っているような有様でした。親族も、腫れ物にでも触るようにして、心配そうに見ていました。大切な父がいなくなった嘆きは、異様なほどで、近寄り難い雰囲気さえ、漂わせていたのでしょう。

それからまもなくして音信不通だった友人が私や母の許へ、よく電話をしたり、訪ねてくるようになりました。父が死ぬまでは何年も電話で話す事も会うこともなかったのに、「近所に来るついでがあったから」などと言っては「親父さんが好きだった」と手土産をもって現れ、「親父さんに、そなえてやって」と恥しそうに差し出すこともありました。

特別な慰めの言葉を口にするわけでもなく、暫くしては帰る。父が亡くなり月日が経過して、ある事実に気が付いて愕然としました。「なんと自分本位で、自分のことしか考えていなかったのか。父が死んで自分はこれからどうすればいいのだ。そればかりを考えていたのです」

電話をくれた友人は、いろいろと来訪の理由を言っていたのですが、実は私のことが心配で、わざわざ連絡してくれていたのです。だが、最近は親しくしていない自分のことを、これほど親身になって心配してくれる理由が、どうしてもわかりませんでした。そんなある日、遠い昔の出来事を、ふと思い出した。

彼の父は私の父とはとても仲がよかった。将棋が好きな親父さんだったので会社の役員を勇退した後もよく彼の家に将棋を指しに遊びに行っていました。だが、その親父さんを、病気で亡くなってしまったのです。彼は末っ子で、親父さんに一番可愛がられていた。上二人の兄は結婚して早く家を出て独立したので親父さんの愛を一身に受けていました。

親父さんが自ら勤める会社へ就職させるほどでした。もう何十年も前の、彼の親父さんの事を思い出したのです。これまで彼の亡くなった親父さんのことなど、すっかり忘れてしまっていました。彼も、大切な親父を亡くしていたのです。私はそのことを思い出して直ぐに、今度は久し振りに彼の家を訪ねました。

あいにく彼は既に家を出ておりお母さんしかいなかったのだが、電話をしていただき話す事ができました。誠意を持って訪ねてきてくれていた彼に、親父さんが死んだことを忘れていたと告白するのは勇気がいったが、正直に話して詫びたのです。しかし彼は、別段腹を立てた様子もなかった。

「うちなんかもう父親のことを覚えているのは、母と僕だけだ。はじめは、父親のことを皆の胸に確りととどめておいて欲しいと思って、法要のたびに、誰か何か言ってきてくれないかと心待ちにしていた頃もあったが、それもこちらの身勝手だと考えるようになった。」

「君が葬式に来てくれたとき、本当に嬉しかったよ。あの時君は泣いてくれた。僕の前に来て、精一杯慰めてくれた。泣き崩れる僕を支えながら、一緒に涙を流している君を見たとき、僕は本当にありがたいと思った。」彼は、父親さんの葬儀のことをつい昨日のことのように話しながら、声を震わせていた。

そして彼はまた、父を亡くした私を、心配でならなかったと打ち明けた。父の死から暫くの間、何をするのも虚しく、何をしでかすかわからない。そんな馬鹿なことをするはずがないとわかっていても、かつての自分自身をみるようで放ってはおけず、様子を見に伺ったのだと告白した。

随分、あれから時が過ぎていたのに父を亡くした2人が、新たな出会いを与えられたのは、天国にいる2人の父のおかげだと、感じています。しかし、他人の痛みや悲しみに対し、同じ体験を経ることなくして気づく事はできないものなのか。自分の体験出来ることなど、ほんの一握りのことでしかないのだとしたら、他人を理解するのは無理なのか。何十年も記憶から消えていた、友人の悲しみに自らを重ねた出来事でした。

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