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石原莞爾平和思想研究会コミュの満洲国を正式承認する国

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佐藤慎一郎氏は日本有数の中国通です。支那事変について次のように語っています。「支那事変、盧溝橋事件はよく偶発的事件だとか、日本がやったのだと言って日本軍の悪いことばかり宣伝されているけれども、これは絶対に違う。大学生の中で最も優秀な共産思想の学生たちを盧溝橋に侵入させ、夜陰に乗じて日本軍と蒋介石軍の両方に発砲させた」

「そしてさっと引き揚げさせた。この学生を指導したのは後の劉少奇国家主席です。そのとき延安に発した「成功シタ」という無線が銚子の海軍無電局に傍受されている。それから盧溝橋事件については、北京大学の学生運動委員長をした王さん、この人は中共軍を北京に無血入城させたという大物です。ぼくは彼から直接きいたのだ。」

「彼が共産党員としての訓練を石家荘で受けたとき盧溝橋事件は中共の謀略としては最高に成功した謀略である」と教えられたというのです。もう一人、この人は現在日本に帰化している元中国共産党幹部の王再興さんからきいたものでは、朝鮮戦争のときに日本共産党の書類を持って延安に行った。

そして訓練所に入れられたとき、謀略をやるなら盧溝橋事件のようにやるものだ。 味方も分からない。そして一番先に言われたことはウソをつく教育をされた。人を殺して顔色を変えるようでは共産党員の資格がないといわれた。

ところが中共のやることはあんまりウソばかり多いので、27年間向うで共産党員をやったが、なんとか日本へ逃げたいと思っていた。 たまたまイタリア映画で中共のことを映画化したのだが、中共を悪くいう場面があったので、各国では上映されたのですが、日本では上映を禁止されたのです。

それで中共はどうしても日本の革命をやらねばならないというのですが、映画の影響を受けているから、中共は違うのだということを言わなければならない。そこで「おれが一丁やる」と言って日本へ逃げて来た、というのです。ぼくはそれを知らないで彼を助けた。

ぼくは彼の息子を助けたので、私に感謝していた。そしてぼくに盧溝橋事件のことを話していたのですが、ハッキリこれは中共の謀略です。もちろん日本側にも大きな過失があったことは事実です。特に悪かったのは関東軍のやった「梅津何応欽協定」や華北に傀儡政権を作ったことなどがあげられます。

石原莞爾も昭和14年の回想録で、事変直前に天津に日本軍の増強をしたことの誤りを認めています。然しながら基本的には、日本はコミンテルンと中共の謀略にはまったことが最大の原因であることは間違いないのです。

昭和11年の11月に起った西安事件で日本との戦争に反対だった蒋介石は監禁され、中共に日本との参戦を約束させられたことがそれを証明しています。満洲の開拓は日露戦争の直後から国策として始まっていますが、本格化したのは満洲国が成立した昭和7年以降です。日本政府は昭和7年8月満洲移民の予算を閣議で決定しています。

その内容は集団組織とすること。開拓農民には農村の青壮年の中から身体強健、志操堅実な者を選ぶ。第一期として十年間に十万戸を入植させる。というものでした。この計画を国策として積極的に推進させたのは有名な加藤完治と東宮鉄男であり、それをバックアップしたのは石原莞爾でした。

昭和11年の広田内閣は十大国策の一つとして満洲への大量入植計画をとり上げました。20ケ年で100万人という膨大なものでした。然しその後、支那事変と大東亜戦争が勃発し、この計画は修正せざるを得なくなり、終戦時の定着開拓民は約22万となりました。

加藤は茨城県に満蒙開拓青少年義勇隊育成のために内原訓練所を開設し、多くの青少年を満洲に送りこみました。東宮大尉は張作霧爆殺事件実行者の一人ですが、昭和7年の第一次移民の弥栄村の建設、第二次手振村の建設と現地に住みこんで献身、「開拓の父」として仰がれたのです。

満洲国の建設と共に満洲国を正式承認する国も次第に増えていきました。ローマ教皇庁、サルバドル共和国、イタリア、ドイツ、スペイン、ハンガリー、ルーマニア、国民政府 、ドミニカ、ポーランド、モンゴル、ブルガリア、フィンランド、タイ、デンマーク、ソ連、最も強硬だったアメリカさえ領事館を置き、イギリス、オランダ、フランス、ベルギーなども領事館を設置していたのです。

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