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石原莞爾平和思想研究会コミュの淵上千津同志の手記

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戦争が終りに近づいた年のある日のことです。東北軍管区報道部員の一中尉が小森を訪ねてきました。「石井参謀の命令ですが、石原閣下の見透しを伺って来いということです。ついては、誤解して下さらんように、閣下へご紹介願えませんか」「用件が、はっきりしているのですから、構わんでしょう」彼は、石原莞爾の家へ案内しました。

すると、石原莞爾は、いきなり、この中尉に向って、「かえって石井参謀に伝えなさい。東条軍曹なんかに戦争が出来るわけがない。わしの見透しに明らかに負けた。本土決戦なんぞといっても、軍曹には及ばんことだ」裁断を下すように云った。

石原莞爾は、東条英機を大将とは言わなかった。事務をとらせたら一かどの役に立つが、戦争させたら軍曹の実力しかもたぬ、と云うのだった。「では、方策は尽きたとおっしゃるのですか」「そうは云わん。東条では駄目じゃというだけのことで、やればやれる手もないではない。わしはこう思う。」

「敵が本土へ上陸したなら、上陸したで構わん、軍の中枢だけが、優秀な対戦車砲を用意して、山にこもるのだ。日本の山岳は角度が急なので、そう安々と戦車は上れないから、ヨタヨタしているところを対戦車砲で叩けばいい。それより外に手はあるまい」

中尉は、感心して聴いていたが、しかし、その時は、まだ原子爆弾のあらわれぬ頃で、原子爆弾が現われたら、この防禦戦術も役に立たぬのは云うまでもない。新兵器の現れなかった時分なので、当面の決戦方法を、そこへ持込もうとしたらしかった。

昭和十九年七月、マリアナ群島やサイパン島を占領されて以後、首相・陸相・内相、後に軍需相・参謀総長をも兼ねて、全国民に号令していた東条英機も、進退ここに窮して、小磯国昭) 大将に内閣を譲った。だが、東条の子分といわれた四方 (諒二) 東京憲兵隊長は、まだあとにのこった。

彼の黒い手は、第二次東条内閣を成立せしむるため、暗躍をつづけていた。丁度、その翌月、東条英機暗殺事件が発覚し、東条正面の敵石原莞爾は、参考人として、東京軍法会議に引出された。廷丁は、下駄ばき、私服姿の田舎おやじを見て、うろんくさい奴と見てとった。「何だ、貴様は」頭から怒鳴りつけた。「わしは、石原だ」

名乗られて、びっくりした。 石原莞爾は、この姿で、鶴岡から、ノコノコと上京してきたのだった。法廷では、石原莞爾に反軍思想の罪名を与え、軍の圏外へ葬り去ろうとしたらしかった。石原莞爾が、平生軍閥の語を用いて、軍を誹謗しているという報告は、憲兵や特高から法務官の手に入っていたから。

「軍閥とは、どういう意味か、まずそれから伺いましよう」法務官の訊問に対し、石原莞爾は、「軍閥とは、軍人に賜わりたる勅諭に反し、政治に関与する軍人の義である」ピタリと、定義を下した。これでは、何とも抑えようがない。

強いて反軍思想家の名を与え、これを引っくくろうとしても、確乎不動の信念を有する石原哲学に対しては、正面から打込むすきはなかった(田村真作「石原莞爾の悲劇」による)
この事件は、もとより石原莞爾の知るところではなく、ただ参考人として出廷しただけに終った。

だが、何とかして石原莞爾を抹殺しようとする東条閥のうごきは、蛇のように執念深く、石原莞爾の身辺につきまとっていた。石原莞爾はその間にあって、東亜連盟運動を拡大して行ったのである。

昭和八年三月九日、満洲国協和会の声明の中に、東亜連盟という名称が、初めて用いられて以来、この運動は、中国人の熱心なる支持をうけ、日華和平のカギは、ここにあると信じられていた。世界最終戦争は、正しく王道と覇道との決勝戦であって、東亜連盟は、太古より東亜諸民族共同の理想であった王道を擁護する道義的団体である、というのである。

山形は石原莞爾の生地なので、この運動は特に熾烈であった。大会が開かれると病体を押して出席し、二千から三千の聴衆に向って、熱弁をふるった。あの病体のどこから、あの勢力が湧き起るだろうと不思議におもわれたが、石原莞爾としては、いつ死のうとも、この思想の種子だけは、地上にのこそうとする意図があったのであろう。

昭和二十年の春、といっても、山形地方は雪が深かった。 東亜連盟の東北地区青年大会が、新庄の近く瀬見温泉でひらかれた。青年たちは、吹雪を冒して参集し、三日の予定も滞りなくすんで、閉会となった。石原莞爾は、かえりがけに、行を共にした淵上千津女と共に、雪に覆われた連山にかこまれた瀬見の駅に立った。折柄出征兵士をおくるバンザーイの歓声が、わっと駅の一隅から起った。「勝ってくるぞと勇ましく・・・・・・」

楽隊入りの軍歌が、にぎやかに聞えてきた。ホームに佇んだ石原莞爾の眼は、じっと、やきつくようにその光景をみつめていた。彼の口からは、息とも、独言とも、つかぬ言葉が、重々しい調子で、しずかにもれてきた。「ああ泣いている、泣いている、軍旗が泣いている」(石原莞爾平和思想研究会・淵上千津手記による)

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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