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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾の対中姿勢

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石原莞爾と武藤章の中国側抵抗力の評価について。武藤章は、「一撃」で事態を処理できる旨の発言を残しているのですが、数個師団による攻撃で、華北の中国軍を打破することはできても、抗日姿勢の南京国民政府そのものを屈服させることができるとは確信していなかったでしょう。

それゆえ、数個師団による一撃のみではなく、動員可能兵力一五個師団すべてを中国戦線に投入することも考慮に入れていたのです。当初武藤章は、一撃によって南京政府に華北五省の自治(華北分離)を認めさせることは可能だとみていました。

そして必要があれば、動員可能な一五個師団すべてを投入してでも、国民政府を屈服させることを想定していました。だが、それが、一撃で目的を達しえなかったのみならず、中国側の予想外の持続的抵抗を受け、日中全面戦争に突入したのです。

そして、先の「作戦計画の大綱」では、華北・上海両戦線のみで動員可能限界に近い一三〜一四個師団を投入する決戦を想定することになったのです。しかも、実際には上海戦段階で動員限界を超える一六個師団を投入したのです。

さらに南京攻略をめざす本格的全面戦争となっていくのです。しかも、南京陥落後も蒋介石は屈服せず、日中戦争はさらに大量の日本側兵力を飲み込んで長期化します。一方、石原莞爾は、事変当初からこう考えていました。中国領土の広大さと民族主義の昂揚から、一撃ではもちろん、全面戦争となっても、容易には中国側を屈服させることはできない。

しかも、長期的に対中全面戦争を続けることは、ソ連の介入を招きかねず、その場合はなす術がなく危険だ。したがって、満州国の承認を条件に、華北の政治的権益の放棄など、かなり思い切った譲歩によって講和を実現するしかない、と。

石原莞爾のみるところ、全面戦争によっても中国側を屈服させ、問題を一挙に解決する可能性はない。そのための事前の準備がなく、 また、そもそも全面戦争の計画それ自体ありえない。なぜなら、対ソ戦計画だけでも戦力が不足しており、それに対中全面戦争を想定した戦争計画は成り立ちえないと判断していたからです。

したがって、中国と一度戦争になれば全面戦争となって長引き、決戦によって中国側を屈服させることは不可能だと考えていました。ただ石原莞爾は、塘沽停戦協定成立 (1933年)の頃であれば、国民政府を力で屈服させる可能性はありえたとみていました。まだ極東ソ連軍の戦備がそれほど増強されていなかったからです。

石原莞爾によれば、その頃には対中国政策として「二つの道」がありました。第一は、蒋介石との外交折衝によって、中国における日本の政治的権益を返還するのと引き換えに、満州国の独立を承認させる。その上で日中間で東亜連盟の形成をはかり、日中和解を実現する。

「一つは蒋介石と力強き外交折衝を行い、蒋介石をして満州国の独立を承認せしめ、支那における[日本の政治的権益を引き上げ、東亜連盟の線にそって進めば、私は蒋介石との間に了解できたと思います。」(「石原莞爾中将回想応答録」)

第二は、北京・南京を占領して蒋介石を屈服させ、満州国の承認を受け入れさせる。その上で中国本土より撤兵し、東亜連盟を作る。「第二案は、停戦協定の線に止まらずに、北京、南京を攻略して蒋介石を屈伏せしめ、満州国を承認させて支那本部より撤兵し、その後、東亜連盟を作るというのであります。」(同右)

この第二の道が、実力によって中国側を屈服させることを想定したものでした。しかし、極東ソ連軍の戦備が大幅に増強された盧溝橋事件時(1937年)では、ソ連軍介入の可能性が高まり、それが困難になったと石原莞爾は判断していました。

対中戦争は対中ソ両面作戦となる蓋然性が強く、日本の戦力や軍需工業のレベルではそれに対処しえないと考えていたからです。なお、ここで言及されている「東亜連盟」とは、石原莞爾によれば、「王道主義」により日本を「先達」として、日本・満州・中国の提携による連合体です。

その基礎原理は、「思想の一元、国防の共同経済の共通、政治の独立」とされているが、ここではこれ以上立ち入らない。いずれにしても石原莞爾は、日中戦争期の段階では、戦争によって中国を屈服させる可能性はないと判断していたのです。

それゆえ石原莞爾は、盧溝橋事件当初のみならず、日本軍の華北での総攻撃開始後も、そして上海での戦闘中も、常に国民政府との講和を主張していました。しかも講和条件は、中国側による満州国の承認と、日本の華北政治権益の放棄で一貫していたのです。

それ以外の条件では蒋介石との妥協の道はないと考えていたからです。この条件や、 東亜連盟論を蒋介石国民政府が受け入れたかどうかはともかくとして、それが石原莞爾の対中姿勢だったのです。

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