ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

石原莞爾平和思想研究会コミュの世界四大文明よりも古い日本の文明

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本文明の起源は、いったいどこまで遡るものなのだろうか。群馬県で発見された「槍先型尖頭器」は、見るからに磨製石器だが、打製石器とされています。「あり得ない」と専門家がいうからです。年代は三万年前のものです。人類最古のものですが、どうして日本に存在しているのでしょうか。日本列島では、一万数千年前から土器がつくられていました。

三内丸山とは別の青森県にある遺跡・大平山元遺跡で発見された土器は、一万七千年前のものと判明しています。これも世界最古の例の一つとなっています。2013年に、イギリスと日本の共同研究チームが、北海道や福井県で発掘した土器は、約一万五千年前のもので、世界最古と思われる加熱調理の痕跡も発見されています。

日本の文化は、縄文時代をもって最古とするというのが常識でした。しかし、太古の文明の存在を示す証拠は、縄文時代以前の層から発見されています。日本文明が一万数千年前よりも、はるか古代へと遡ることを示しているのです。「縄文時代」についていえば、その遺跡から、戦争のための武器がほとんど出土していません。

もちろん、このあいだにも流血の抗争はしばしば起こったことでしょう。しかし、それを示すような遺物はなく、日本列島では外の世界と比べて流血の抗争が少なかったと推定できます。一万年以上も、ほぼ平和が続いた文明があったとは想像を絶するのです。

縄文人は、山海の幸に恵まれ、シカ、イノシシ、ウサギなどの多くの動物が生息していたため、狩猟や漁労も盛んで、食べ物に不自由しなかった。自然の恵みが豊かだったことも、抗争が少なかった背景にあります。日本人の「和」を大切にする文化は、この縄文時代に育まれたものかもしれません。

まな板を台形にしたような形の「石皿」は、木の実をすりつぶす時に使われたと思われます。推定年代は約一万二千年前だといいます。これは、聖書の世界である六千年前の倍も古いのです。西洋人なら笑いとばすだろうが、問題は物的証拠があることです。そのような時代に、極東の島国に文明が開化していたと信じる西洋人はまずいないのです。

世界史で古代文明として知られるエジプト文明(紀元前3000年ごろ)、メソポタミア文明(紀元前3500年ごろ)、インダス文明(紀元前2300年ごろ)、黄河文明(紀元前5000年ごろ)と比較しても、日本にはより古い文明があったことになります。そんな史実は、「あってはならないし、あり得ない」とするのが西洋史です。

青森県の浅虫温泉に宿泊して、世界遺産である三内丸山遺跡を見学しました。三内丸山遺跡からは、一千棟以上の住居の跡が見つかり、三十五棟の高床式倉庫、十棟以上の大型建物の跡もありました。千五百点の土偶、一万点以上の土器、その他にも高度な技術でつくられた様々な木製品、貝の装飾品、動物の骨や角でつくった釣り針などが出土しています。

その中には、ヒスイの加工品も含まれています。私がヒスイの加工品を購入したのは台湾に旅行した時です。とても高価なものでした。ヒスイは鋼鉄よりも硬いのです。加工に高い技術が求められます。世界史の中で、古代にマヤ文明と日本文明だけがヒスイの加工技術を持っていたといわれています。

ヒスイの加工品は、三内丸山遺跡のほかにも日本各地の遺跡から出土しています。その中の一つである「ヒスイの大珠」は、驚くべきことに推定約六千年前のもので、世界最古の例となっています。日本は、太古の昔から高度な文明の技術を持っていたのです。

チェコやドイツへ旅行した時、チェコではベアリングを作成する技術を戦時中に所持していたのはチェコとドイツと日本だけだと説明を受けました。日本では、こうした世界最古の文明とその技術が、そのまま外国の侵略を受けることなく、縄文時代、弥生時代、そしてずっと時間を下って現代まで、途切れることなく続いてきているのです。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

石原莞爾平和思想研究会 更新情報

石原莞爾平和思想研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング