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石原莞爾平和思想研究会コミュの暗号解読を活用したマッカラム

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マッカラムは、1928年に米国海軍によって日本に派遣され、語学教官を務めたことがありました。30歳の頃のです。日本語クラスを教えていました。その頃に、他の3名の海軍士官と知り合いとなりました。4人は、その後1940年から41年にかけての対日作戦準備でマッカーサーに機密情報を提供する上で重要な役割を果たすことになりました。

マッカラムの友人となった他の3人、ジョセフ・J・ロシュフォートは、海軍通信情報課を創設し、さらに太平洋艦隊の情報中枢である無線情報局HYPOの局長に、エドウィン・レイトンは、1940年から45年にかけて太平洋艦隊情報参謀に、そしてエセルバート・ワッツ少佐は、1940年から41年にかけてマッカラムの補佐官となっていました。

当のマッカラムは、海軍情報部極東課長となっています。つまり、真珠湾に関し傍受された日本の無線情報は、全て彼らを経由して大統領や上層部にもたらされていたのです。マッカラムは、大統領に伝えられる通信情報の大きな流れを管理し、レイトンは、太平洋艦隊司令長官たち、つまりキンメルや後にはニミッツに伝える情報を指図します。

マッカラムは、1940年2月23日に、最初の諜報報告をホワイトハウスに送っています。1940年の夏、ルーズベルトは議会で「徴兵法案」を通過させました。なんと一票差だったのです。この頃、チャールズ・リンドバーグや実業家のヘンリー・フォードなどは、「アメリカは、ヨーロッパの戦争に参加すべきではない」と、孤立主義を訴えていた。

しかしルーズベルトは、ニューイングランドでの地方遊說の際に、側近に「われわれが攻撃されたら、応戦することは言うまでもない。誰かが我々を攻撃したら、それはもう外国での戦争ではなくなる。そうだろう?」と、語っています。

1940年の10月には、アメリカ軍の暗号解読班が、日本政府の外交暗号「紫」と、海軍暗号の一部の解読に成功していました。スティネットは、この点について次のように言及しています。1997年12月、米海軍協会が発行している雑誌『海軍史』は、ミッドウェーで米軍が勝利を収めたのは、日本のパープル暗号を解読した結果であると主張する記事を掲載しました。

しかし実際には、ミッドウェーの勝利は、米海軍の暗号解読員たちが、日本海軍暗号二十九種のうちの一つ、D暗号を破った結果、もたらされたものでした。ルーズベルト大統領は、その解読された暗号の翻訳を、受け取っていたのです。

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