ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾を証人として調べる

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

裁判に先だち、石原莞爾の療養先である西山農場に裁判官が派遣されましたが、石原莞爾は、「私の病気が悪化し、医者から絶対安静を命ぜられている。そちらが出張して来るなら、なんとか出廷できるだろう」と言いました。

裁判官は、「ここでは開廷のための適当な場所がない。酒田市まで、道路を補修もしよう。道路のない場所には道路をつくろう。だから、あなたが酒田まで来てほしい」と言い、石原莞爾の要望をほとんどのんだのです。

そうした応酬の結果、砂丘にも山林にも小さな道を急造してくれたのですが、病気の方はどうにもならない。私の父が曳くリヤカーで行進中、出血が激しくなり、激痛に襲われました。だが石原莞爾はいつもと変わらぬ態度で、法廷の人となったのです。

米軍の軍医は親切で、「具合の悪いときは、遠慮なく申し出ろ。すぐ休憩するよう取り計らう」と言ってくれました。法廷は判検事、カメラマン、その他の関係者、それに各国の傍聴人などがあふれ、勝者が敗者に対する重苦しい威圧感のうちに開かれたが、石原莞爾を迎え、気合いをそがれたようにしばし森閑と静まりかえりました。

いよいよ訊問が開始された。まず判事が、「1947年5月2日、極東裁判を臨時に酒田商工会議所で行なう。ジェネラル石原を訊問することを宣言する」と言いました。「証人石原は英語を話せるか」と判事が問えば、「日本語ならチョッピリ話せる」と答えた。

石原莞爾は英語が、まるでダメというわけではありません。幼年学校、陸士、陸大で英語を学んでいるし、1932年10月から翌年3月までジュネーブで開かれた国際連盟総会臨時会議の帝国代表随員となっています。だから、英語は話せるはずです。

にもかかわらず、「日本語ならチョッピリ話せる」など山形弁で体をかわし、法廷に笑いの渦を巻き起こしたのは、彼なりの理由があったのではないでしょうか。「いかに臨時とはいえども、法廷は日本である。証人として訊問を受ける石原は、まぎれもなく日本人である。日本語で質疑、答弁するのは当然であろう」という無言の抵抗と思われる。

石原莞爾の思想から推して、そうとしか考えられません。ともあれ、笑い声とささやきが絶えないため、裁判長は静粛を求め、質問をはじめました。「尋問の前になにか言うことはないか」これは裁判の冒頭、かならず裁判長が尋ねるのが慣例となっています。

そのため石原莞爾は、自ら戦犯として名乗りをあげ、東京裁判をひっくり返してやろうと、この機会を狙っていたのです。だから、「ある。大いにある。満州事変の中心はすべて、この私である。事変の終わりは錦州爆撃だが、これは私が命令し、私自身、同乗して爆撃を指導し、戦果を確認している。」

「したがって、その責任はすべて私、石原である。にもかかわらず、石原が戦犯に指名されないのはおかしい。納得できない。そのことについて発言したい。少し長くなるかも知れないが、容赦願いたい」と切り出したため、裁判長も検事も狼狽し、裁判長は、
「将軍を戦犯として訊問するつもりはない。証人として調べるのみだ」と言いました。

検事はまた、「証人はそのようなことを言ってはならない。証人は、当方の質問にイエスかノーかを答えるだけでよい」と言い、石原莞爾の発言を封じ込めようとしました。この検事は、イギリス人でダニカンと言います。

戦争の実際や軍隊を知らず、したがって戦略と戦術を間違えたり、まるで見当違いな尋問をするので、石原莞爾はそのたびにそれを指摘しました。まるで立場が逆になったような按配です。たとえば、自分から「イエス、ノーだけ答えればよい」と要求しながら、
「満州事変の被害程度はどうであったか」などと質問します。

権力をかざす相手には、真っ向から立ち向かう石原莞爾は、皮肉を込めて、「ご指示にそえなくて申しわけないが、日本では被害の程度を表現するのに、イエス、ノーの言葉は使わないのである。すみませんね」ドッと爆笑がおこり、法廷内の緊張をつき破った。裁判長はあわてて尋問の取り消しと、尋問の中止を検事に求めました。

後刻わかったことですが、裁判長はニュージーランドのノースクロフト判事。その彼は、石原莞爾の泰然自若とした威容、理路整然たる発言、そのうえユーモアあふれる答弁にすっかり感激し、「ジェネラル石原」と尊敬し、酒田の臨時法廷は東京裁判とは異なり、なごやかな雰囲気につつまれていった。さながら「ひとり芝居」の舞台の感があった。

閉廷後、ある新聞記者は、石原莞爾の傍に駆け寄り、「日本の指導者だった戦犯たちが、それまで同胞に示したあの傲慢な態度を忘れたかのように、アメリカの権力になびく卑屈さは、なんとも悲しく、そして恥ずかしい思いをしてきました。しかし、この二日間、将軍の答弁をお聞きし、初めてさわやかな気分になりました。日本人としてこんな嬉しいことはありません」と言い、深く頭を下げた。そのとき涙が落ちた。

感激したのは記者だけではない。「イエス、ノーで答えろ」と要求したイギリス人のダニカン検事すら石原莞爾に面会し、「つまらない尋問をして、ほんとにすみませんでした」と詫びた。

それに対し石原莞爾は、「いや、あまりお役に立てなくて、お気の毒でした」と答えました。こんなやりとりを想像すると、なぜか、おかしさがこみあげてきます。また、板垣征四郎の弁護人マタイスも石原莞爾に面会を求め、丁重な挨拶を述べた、と言います。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

石原莞爾平和思想研究会 更新情報

石原莞爾平和思想研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。