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石原莞爾平和思想研究会コミュの盧溝橋の一発

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昭和12年3月、石原莞爾は少将に進級し、参謀本部の第一部長として作戦業務の全責任を負うことになりました。将官は将軍といわれましたが、名実ともに「暴れん坊将軍」の誕生です。

当時、政界は第一次近衛文麿内閣がまもなく登場するころですが、近衛は見識もあり、思想も清潔でしたが、山積する諸問題の解決にはいささか力量不足ではないか、との懸念はありました。

昭和12年6月4日、近衛は組閣を完了したが、それから約一ヵ月後の7月7日夜、北京郊外の盧溝橋付近で、日本駐屯部隊の牟田口連隊の一部隊が夜間演習中、一発の射撃を受けた。それが原因で、日支両部隊の戦闘が開始されたのです。

現地における事後処理が適切を欠いたため、戦線は拡大の一途をたどり、その後、8年という長期にわたって死闘をくり返したのです。この戦いが遠因となって大東亜戦争が勃発し、日本は敗戦という地獄に身を落とし、そして蒋介石政府も没落してしまったのです。盧溝橋の心なき一発は、東亜の将来を変えてしまったのです。

日本を悲運のどん底に突き落としたのはだれか。軍の秩序と結束が乱れ、派閥抗争が起き、その果ては二・二六事件の発生となり、上級幹部の大半が姿を消したのです。後に残された軍首脳は、統率と勇断を欠き、いわゆる大勢順応型であった。

それだけではない。軍部の政治介入がますます激しくなっていったのです。逆にいえば、軍の介入をセーブする力が内閣にはなかったということになります。廬溝橋事件は、現地日本軍の作為的なものでなかったと種々の点から考えられ、事件の平和解決に向けての努力が、現地日本軍によって進められていました。

これに対し、若手将校は報復の殴り込みをかけようといきり立ち、中堅将校は北支を完全な自治地帯にするためのベストチャンスであると主張しました。肝心の軍中央部は、「事件拡大すべからず」「兵力行使すべからず」と現地軍司令官に発令し、閣議では「事件不拡大、現地で解決」の方針を決定、声明した。

石原作戦部長は、中国と交戦状態に入る導火線とみられるような危険な行動には全力をもって反対し、その説得につとめた。その理由は、「日本は、これから支那と協力してソ連に備えるという認識のもとに、昨年十一月、北京会議で国民政府の意向を知った。直接話しあえば、即時和平解決ができる。もし交戦状態に入れば、長期戦となるだろう。

短期間に蔣政権が倒れるなどという判断は笑止の限りである。満州事変後、政権は抗日スローガンの下に新建設運動に力を注ぎ、その兵備はドイツのゼークト参謀総長以下五十名の将校を軍事顧問として招き、ドイツ式戦力の向上に努めている。また中国は資源的にも原始的で各地方ごとに自給自足ができ、持久戦に有利である。

とくに警戒を要するのは、ソ連の極東兵備の増強である。中国人の抗日戦意はソ連の軍備充実が原因である。それゆえにこそ日満産業五ヵ年計画を遂行し、ソ満国境にソ連を圧倒するだけの兵力を集中し得るようになれば、漢民族はかならず日本を信頼してくる。

それまでは自重して支那と手を握り、来るべき欧米、主としてソ連との戦いに備えねばならぬ。支那がもし徹底抗戦をつづければ、戦線は中国全土に拡大して全面戦争になるのは必至である」以上のごとき石原作戦部長の方針により、現地司令官に、「事件の拡大を防止するため、これ以上の兵力行使を避け、極力現地解決に努力せよ」と命令した。

石原の不拡大方針に対し、中央部内の意見は二つに分かれた。参謀本部では、参謀次長の多田駿中将は石原とともに不拡大派のリーダーであり、戦争指導課長の河辺虎四郎大佐、それに高島辰彦中佐、今田新太郎、掘場一雄両少佐らが不拡大を支持した。

作戦課長の武藤章大佐は、石原説にもっとも反対で、いまこそ抗日、侮日の者どもを倒すときであると主張した。陸軍省では、後宮淳軍務局長、柴山兼四郎軍務課長らが石原を支持し、なかでも柴山は杉山元陸相と梅津美治郎次官の説得に大わらわであった。

杉山陸相と梅津次官は、事件の早期解決を希望するが、省内強硬派を説得するための強い意志力がない。航空本部長の東久邇宮大将は、石原支持を表明した。ところが、部外の軍首脳はすべてといっていいほど拡大論を唱え、なかでも強硬なのは関東軍参謀長の東條英機と参謀副長の今村均で、支那膚懲論を唱え、今村が上京して軍中央に意見を具申した。

そのほか朝鮮総督の南次郎大将、朝鮮軍司令官の小磯国昭大将らはいずれも拡大派で、政府に向け激励電報を打っている。これに対し閣僚の態度はといえば、近衛首相以下の各閣僚は、はじめ不拡大方針を支持していたが、軍部の動向を抑えるに足る力がなく、時のたつにつれて拡大派にひき込まれ、軍の動きに従うようになってしまったのです。

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