ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

石原莞爾平和思想研究会コミュの石原師団長の日課

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

石原莞爾の語った言葉の中で、特に次の言葉が記憶に残っている、と奥田紘一郎氏は言います。「皆は東條とわしの間に意見の対立があるように言うけれど、それはピントはずれというものだ。なぜならば、わしには多少なりとも意見があるけれど、東條には意見というものがない。それでは意見が対立しようにもできないだろう」

さらに石原莞爾は、愛国の思いを語りました。「二・二六事件では、わしは戒厳参謀として反乱軍討伐の命令を起草した。天皇陛下御自身の意志が明確に示された以上、致しかたがなかったのである。しかし、収拾の方法はいくらでもあったはずだ。陸軍大臣や軍事参議官たちが、一命を賭して陸軍の収拾方針を奏上すべきであった。」

「大将達は、陛下のお怒りの言葉に腰を抜かしてしまったのだ。君側に争臣なくば、国亡ぶ」という諺が中国にあるが、今後いかなる大事が起こるかわからないとき、まことに寒心の至りだ。それにしても、若い有為の若者たちをたくさん失ってしまった。本当に惜しいことをした」

奥田紘一郎氏は、「当時の情勢からみて、よくもこれだけのことを言い切れたものである」と感心しています。その夜は中、少尉も見習士官も、師団長からたっぷりエキスを吸収し、勇気凜々、宿舎に帰った。ところで、奥田たちが見聞してきた上級将校の日常生活と石原師団長のそれとがまったく違うのです。

毎朝七時半、石原師団長は馬当番兵が官舎へ迎えに行くが、それから石原莞爾は当番兵を帰し、単独で稲荷山周辺を駆けて朝の乗馬訓練に励み、たまには伏見練兵場で独特の並足訓練をして、午前八時きっかり、師団司令部の玄関に到着する。

軍隊の慣習では師団の次級副官が師団長官舎まで出迎えるわけですが、石原莞爾はそれをひどく嫌い、出迎えは司令部玄関先に改められました。言行一致のサンプルみたいな将軍でした。司令部に到着すると、師団長決済事項が待っています。これは約一時間で完了し、次は幕僚会議ですが、石原莞爾にとって会議は嫌いなものの一番です。

参謀長にまかせて、その間、師団統率上の重要問題、とくに歩兵操典をはじめ、各種教範に代わるべき戦法の研究にうち込んでいます。午後からは、馬当番兵だけを連れて、各部隊の野外訓練場を視察します。師団長が視察に来ても指揮官の敬礼は必要なし、そのまま訓練を続けるよう部隊に通達してある為、以前と違って訓練はそのまま続行です。

視察は京都周辺だけでなく、気軽に管下の各部隊に出向き、京都以外の際は副官一人だけを連れて三等車に乗って行く。当時の国鉄には一等車はなくて二等と三等。二等車は社会的地位のある者、よほど裕福な者だけが乗り、一般は三等を利用していました。

将軍ともなれば、当然二等車のはずでした。ところが、石原莞爾は至極当たり前な表情で、三等車に乗り込み、街のおじさん、おばさんと話し込んで、ときには赤ん坊をあやすこともあったそうです。石原莞爾は列車から降りると、そのまま練兵場か演習地に直行します。他の師団長のように、部隊本部で格式ばった報告を受けるのは嫌いです。

それより将兵と肌を接するのが目的でした。京都師団ではそれまで各府県知事や地方実力者と懇談する際、祇園などの料亭を利用していましたが、石原莞爾は、その慣習をすべて廃止し、師団の偕行社、いわゆる将校集会所を利用するようになりました。そのほか、夜の招待は一切辞退しました。

しかし、地方から講演を依頼されると喜んで出かけ、軍民間の親睦に努めたため、信奉者が急速に増えていきました。石原莞爾の配慮はそれだけではなかった。農繁期になると、農家出身の兵に生家の手伝いをさせるため、一時帰郷を実施した。

また人手の不足している地区には、兵による援農隊を組織して出動するなど、農村に対する援助活動を進めていきました。それを実施した師団長は、前にも後にも石原莞爾一人でしょう。いずれにしても、農休みによって各徴募区の軍に対する協力姿勢が盛り上がり、その責任者である各連隊区司令官は大いに助かったと言います。

連隊区司令官の任務について少し説明すれば、徴募、召集、在郷軍人の訓練、兵籍名簿の保管など、いうなれば裏方的な仕事ですが、じつは軍の大動脈を保全するという重要な任務です。その業務がスムーズに作動し、その存在が世間に強く認識されたのです。

石原師団長がモットーとしている兵農一致、軍民一体理念が、盛り上がるムードの中でごく自然に実現されつつありました。とくに各級指揮官は、その分に応じて独断実行の権限があたえられたため、責任を痛感し、部下の育成に全力を捧げたのです。

かくして第十六師団は石原師団長を中心に団結が強化され、訓練の成果も日に日に向上していったのです。奥田紘一郎は、「一人の偉大なる将帥の出現が、いかにその軍隊に大きく影響するかを肝に命じて感じとった」と、いまでもそう述懐しています。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

石原莞爾平和思想研究会 更新情報

石原莞爾平和思想研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング