ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾の辞表

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

数十年間に及ぶ研鑽と修行の結果、石原莞爾哲学が第一次完成を迎えた時点における理論の発表であり、重大な発言でした。その中心となるものは法華経の奥義であり、また石原莞爾の著作『世界最終戦論』と『戦争史大観』です。

石原莞爾はその人生観に基づいて、将校としての判断の仕方、世情の観察などを口説き聞かせ、また日本の現状、世界情勢を明確に分析しました。それから締めくくりとして、東條軍閥のあくなき攻勢欲と、それによって歪められた日本の政治、軍事などを完膚なきまでに糾弾し、日本民族の生存と国家保全のために、東條陸相の退陣を要求しました。

その激しい東條折伏ののろしは、参加将校を説得しました。この講義は、軍部をはじめ日本国に大きな波紋を投ずる結果となり、石原莞爾を慕う人々はこれを受け止め、一層の奮起を心に誓いました。

しかし、東條陸相は激怒し、権力者にとって伝家の宝刀ともいうべき人事権を発動、報復をはかったのです。東條陸相は、その2カ月後に行われた陸軍大異動で石原莞爾中将の第十六師団長解任、予備役編入を実施するに至ったのです。石原莞爾はそれまでに辞表を2回も出しています。

1回目は2・26事件における反乱軍の鎮圧直後でした。参謀本部作戦課長として事件の処理に不手際があったとして己れの責任と、責任を回避して事件をうやむやに葬ろうとする軍上層に対する怒りが重なっての辞表提出でした。

2回目は関東軍参謀副長の時です。作戦主任参謀時代から営々として築き上げた理想の国、満州への夢が東條参謀長をはじめ、心なき軍人、官僚たちによって、儚くとも消えたとき、憤然。軍とたもとを分かとうとしました。

2度とも軍最高統師部、そして秩父宮をはじめ皇族方から翻意を求められ辞意を撤回したのです。しかし、今度は石原莞爾を最も信頼している秩父宮は病に伏しているのです。今度こそ3度目の正直、陸軍を去るのに何の未練もない。

石原莞爾追放に起こった全国の同志間に、東條軍閥を倒せ、との不穏な空気が流れ、なかでも第16使節団隷下の青年将校の一部、中央の若手幕僚の急進グループが、東條陸相を成敗しようと動き始めたのです。しかし、石原莞爾は彼らの行動を厳しく制止し、各自の任務に精進するように諭したため、彼らの暴発を未然に防止することができたのでした。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

石原莞爾平和思想研究会 更新情報

石原莞爾平和思想研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング