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石原莞爾平和思想研究会コミュの松岡全権の随員として

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石原莞爾は満州から帰国すると間もなく、ジュネーブで開かれる満州事変の国際連盟総会臨時会議の松岡洋右全権の随員を命ぜられ、昭和7年10月、日本を出発しました。その途中、モスクワにつくと、ソ連のウォロシロフ国防相が面会を申し出てきたのですが、なぜか国防相には会わず、エゴロフ参謀総長と会うことにしました。

その当時、ソ連の高官は各国の大使などが面会を申し入れても会おうとはしなかったのです。それが髄員に過ぎない石原莞爾に、国防相の方から面会を申し入れるあたり、石原莞爾に対する関心がよほどあったようです。

エゴロフ参謀総長は、石原莞爾大佐を温顔で迎え握手を交わしました。その時、石原莞爾は突然、「貴国が人類文明のため努力され、しかも成果を上げていることに対し、人類の一人として敬意を表す」といいました。

石原莞爾が何を言うのかと神経をとがられせていたときだけ、エゴロフ参謀総長はびっくりしたらしいです。何せ日本軍人といえば、共産党嫌いと聞いています。それだけに驚きと安心がごっちゃになったようです。

「ソビエトは、」と、ソビエトの活動状況を説明しようとしたところ石原莞爾は、「ちょっと待ってくれ。ソビエトがやっていることが正しいというのではない。人類文明発展のためと思い込んでやっている努力には敬意を表するが、それが果たして相手に対して正しいか否か考慮してもらいたい。それを忠告したい」

といったので、通訳が弱りはて、冷や汗をかいていたそうです。石原莞爾は、さらにエゴロフ参謀総長の度肝を抜いてやろうと思ったらしく、「ソ連部隊を見学させてもらいたい」というと、エゴロフはすっかり慌てて、「今は入隊、除隊がかちあって混雑している。会議の帰りにしてくれ」としどろもどろだったと言います。

石原莞爾は、「帰途はアメリカをまわって帰国するから、遠慮する」と答えを返しました。石原莞爾の窯にかかったエゴロフは、「日ソ不可侵条約を締結したい」と血相を変えて言い出しました。おだてて持ち上げておいて相手の気持ちが緩んだ時に鉄槌を下す、という論法で相手の本音を吐かせます。

事実、エゴロフの申し出は日本に対して敵意の愛ことを示すもので、事前の石原莞爾のソ連動向に関する状況判断が間違っていなかったことを語っていました。石原莞爾は、ジュネーブについてから杉村連盟事務局長に対し、「私どもは日本が連盟を脱退しようがしまいが、どちらでもいいのです。

「満州は既定方針に向かって進むだけです」とクサビを打ち、あとの雑務は諸君に任せるということを言外ににおわせておいて、連盟総会には顔を見せず、毎日、本屋を歩き回って戦争文献を探していたのです。

総会における松岡全権の演説は、石原莞爾の熱意を反映してか、堂々たるものでした。しかし、日本の主張は42対1で否決されました。そこで日本は国際連盟脱退を宣言し、全権一行は帰国したのは、昭和8年の6月のことです。

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