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石原莞爾平和思想研究会コミュの世界史から見た満州国

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戦後の教育を受けた人々にとって「満州国」といっても、ピンと来ないのは当然でしょう。なぜなら「満州国」は昭和20年、日本の敗戦とともに地球上から消え去ってしまった国だからです。しかしながら日本人として「満州国」を抹殺し、忘却し去ることは自己の歴史そのものの否定に繋がるものだけに胸中まことに複雑なものです。

満州国は一体どこにあったのかさえ知らない多くの日本人に対し「世界史から見た満州国」というテーマは、まことに難しい問題です。「満州」というのは現在の中国では「東北部」と称される地域の総称で昔から「東三省」とも呼ばれていました。総面積は110万平方で、日本の約3倍、フランスとドイツを合わせたくらいの大きさです。

東はロシア、南は北朝鮮と国境を接している広大な地域です。満州の入り口となっている大連、旅順は日清、日露の古戦場であり、少し北には満州事変発端の地があり、長春は満州国の首都でした。少年時代よく唄った軍歌に「戦友」があります。

長い間、多くの日本人に親しまれた歌で、私も先輩同志が集まった時には歌いました。「ここはお国の何百里、離れて遠き満州の紅い夕日に照らされて友はここに眠れるか」この悲しいメロディーは子どもの頃からよく聞かされていました。

さて、東京裁判で日本は連合国に「侵略国家」の烙印を押されて裁かれました。その傷痕はいまだに深く日本人の魂に刻まれています。しかしながら今日、東京裁判は世界の多くの識者によってその不公正さを指摘され、国際法を無視した「勝者の敗者に対する復讐裁判」と批判されているのです。

確かに満州建国のスローガンでありました。「王道楽土」「五族協和」の理想は関東軍や日本政府によって次々と裏切られ、満州国は事実上日本の傀儡国家になったことは否定できません。それにも拘らず、わずか13年半の短時間にあれだけの近代化と発展を成し遂げたことは世界的に一大驚異であったことも事実でしょう。

第二次世界大戦後、アジア、アフリカの植民地が解放され、独立したのですが、今もなお多くの民族問題が発生し、その解決に悩まされています。日本が満州国で取り組んだ「民族協和」の問題は、今日のいわゆる民族問題の解決に向けた世界的実験として、もっと評価されてもよいのではないでしょうか。

二十世紀における革命と改革とは、「満州建国」もまた一つの革命であるとの見地から、その評価をより公平なものにするために必要だと思います。特に考えなければならないのは、最もひどく満州国を非難し罵倒した社会主義国家が人類の理想とされながらも、その実態は一党独裁のファシズム国家であることが暴露され、崩壊しつつある今日、満州国は新しい角度から見直されてもよいのではないでしょうか。

そしてここ十年来、石原莞爾平和思想研究会の活動が実を結び大東亜戦争を見直す動きが史学関係で活発化していますが、満州国の問題も、それと同様に世界史的に立場から見直すべき必要があると思うのです。

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