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石原莞爾平和思想研究会コミュの満州国の崩壊

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支那事変以来、次第に戦時色を強めていった満州国は、大東亜戦争の勃発とともに完全に戦時体制に突入しました。従ってそれまで順調に発展していった経済建設もストップ、日本に同調して軍事優先の生産体制となっていたのです。

昭和20年8月9日のソ連侵入と共にわずか一週間で満州国は完全に崩壊しました。なぜ関東軍が満州国を防衛できなかったのか。それは政治並びに軍当局があまりに日ソ中立条約を過信して関東軍の主力はほとんどフィリピン作戦に投入したことが大きかったのではないだろうか。

すでに制空権を米軍に奪われていた日本が、なぜ関東軍の精鋭をフィリピンに投入したのか。せめて関東軍の主力をソ満国境に配備していたのならば、あれほどの大悲劇、大混乱は避け得たのではなかろうか。

ヤルタ秘密協定はキャッチできなかった軍と政府の無能怠慢を今さら批判しても始まらないのですが、あまりにも甘い情勢判断に腹が立って仕方がないです。ノモンハン事件であれだけこっぴどくソ連に叩かれながら、満州国の国防を担当している関東軍がその責任を事実上放棄した罪は絶対に許されないと思います。

在満人のほとんどが関東軍の「無責任」を非難するのは当然です。それにしても、日本にとって、「敗戦」は歴史始まって以来最初の経験だけに、その衝撃はあまりにも大きかったのです。以下、「抹殺された日本人の現代史」を引用し敗戦直後の混乱状況を述べます。

「ソ連兵・中国人暴徒、開拓農民を虐殺す。敗戦後の満州のみでも、一般人の死者、行方不明およそ20万という冷酷な犠牲者が出た。軍側の弁明者はその犠牲の9割以上が、降状武装解除以後のことで、非武装で監禁されてしまった後の軍では、何もできなかった」という。

「だが文民系の犠牲が、あまりにも深刻だっただけに、軍への酷評は、今もなお激しい。軍が作戦用兵至上主義で、ソ連軍の危険について文民に対して予告もしないで、四分の三の大領土放棄の戦力を暗示もしなかったのは許しがたい。文民は最後の日まで軍を信頼していたので、退避すらもできなかった」という。

その感情的な思いは、満州国文官系の人々が編纂した「満州国史」「満州終戦史」などの底流にも見えます。それは大いに一理ありますが、無条件的な断定はできません。詳しい論証はないのですが、多くの記録を総合判断すると、関東軍のみでなく、政府も一般日本人も、その程度の差こそあれ、ソ連不法来襲の予感があったのが事実です。

だが、そのいずれもが、ソ連兵が後の事実で立証したほどに乱暴だとの実感的予想に反し、中国人暴徒の集団的凶暴さが、あれほどに極限的な残酷な事をするものとは知らないで、そのために退避や自己防衛方策の準備が、はなはだしく不十分だったことを認めざるをえないでしょう。

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