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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾の歴史観

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私の父は幼少の頃から石原莞爾将軍の身の回りの世話をしていましたので、東京裁判の法廷へリヤカーに乗せひいている写真は若き日の父です。石原莞爾の満州での構想は、南下するロシアの勢力を、ソ連の国境線で食い止めねばアジアの安全は保障されず、その防衛は中国では不可能と判断したからです。

石原莞爾の心中深く秘められた対策は世界の平和であって、その前提としてアジアの平和があり、その第一路線はソ連の国境線にあったのです。アジア人をこよなく愛していたので、戦争で中国の人々の恨みを買うことは極力避けたのです。石原莞爾の行動はすべて戦争史観に発足しています。石原莞爾が戦争史観を確立したのは、革命精神です。

世界の現状を大観して英米を中心にしたアングロサクソン民族の植民地世界の現況は革命さるべきであると考え、古戦史を研究して、戦争史観を確立し、その可能性に自信を深めて、まずアジアの大同団結に着目したのです。日本と中国は隣接して国を建てて何千年となるが、友好国となった年月は極めて少ないのです。

だが、友好な国同士の付き合いができなければ、石原莞爾の戦争史観は成り立っても予言による世界統一は実現しないのです。石原莞爾は戦争史観の上にたって、世界が絶対平和の境地に突入するには、世界はまず2大ブロックとなって最終戦争を行なうと予言しています。この2大ブロックの相手は日本とアメリカです。

その2大ブロックの前に4大ブロックが準決戦を行なうとしています。その4大ブロックは南北アメリカ、ヨーロッパ、ソ連と、アジア・ブロックです。だから、アジアで、日本と中国が対立抗争していては、石原莞爾の予言は根底から崩壊するので、日本と中国を真から仲良くするために努力し続けていたのです。

結論はアジアの安定線をまず日本が確立して、アジアの平和、繁栄問題で蒋介石の国民党と話し合うことを良策と考えて、満州事変に踏みきって、満州からロシア勢力を排除して、ソ連の国境線でアジアの平和線を確立して、蒋介石と話し合う方針でした。そのためには蒋以外の軍閥には強い意志で臨んでいましたが、中国民衆には慈愛で応対しました。

錦州攻撃などはそのためにとられた極めて慎重な政略戦争でした。満州建国も満人を主体としての建国、日本人が中心になるなどとは毛頭考えていませんでした。ただ石原莞爾は干沖漢の提言には共鳴して、満州の防衛だけは日本の責任において担当する決意でした。

石原莞爾は世界の歴史を変える革命家であって、そのための日本改造は考慮しましたが、日本一国の革命などは世界一家となれば当然国家は消滅しますが、民族はなくならないと言います。それで各民族はあくまでも平等でなければ、対立を生んで、その対立は戦争となって又歴史は逆転すると考えていたので、民族の平等を念願していました。

日本民族の世界統一などは石原莞爾にとっては考えもしないことだったのです。世のいわゆる維新論者は、日本がアジアの指導者であり、世界の支配者となる事を自負しましたが、石原莞爾は日本民族が世界の指導者と呼称することはおこがましいとして、あくまでも世界民族と平等の立場においてこれを考え、己には極めて厳しかったのが石原莞爾なのです。

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