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石原莞爾平和思想研究会コミュの植田英一前会長を偲んで

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石原莞爾平和思想研究会前会長の植田英一先生が2019年2月11日老衰のため93歳でご逝去されました。葬儀は2月15日午後1時よりJA郡山東斎場に於いて葬儀委員長は、石原莞爾に心酔しているという元外務大臣・玄葉光一郎先生や品川萬里郡山市長のもと盛大にとり行われました。長年、支えてくれましてありがとうございました。

振り返りますと私は3年間会長代行として「会長」を引き受けていただける方を探してまいりましたが、空席のまま2013年の総会を迎えることとなりました。その時、植田栄一前会長より、「今の若者は肉食でなければならない」とのお話から「あなたがやりなさい」と言われ、植田先生ご推挙を受ける形で5月25日開催の総会において植田栄一会長の後任として会長をお引き受けすることになりました。

この大役を、微力な私でつとまるのか心もとないものでしたが、植田先生に助けられ一生懸命に努めさせていただきました。植田先生の力強いリーダーシップがあったからこそ、私は安心して、石原莞爾将軍が望む、多彩な活動を展開することができ、当会は精鋭小数でかつ着実に歩み続けてきました。

改めて、長年にわたる植田先生の大きなご功績に心からお礼申し上げます。最高顧問となられましても、変わらぬご指導とお力を賜りました。植田先生は戦後、満州事変、満州建国について、これを正しく認識しない限り、わが国の歴史は誤り伝えられてしまう、このことはしっかり受け継ぎ、確信をもって伝えていかないといけないと言われました。

「五族協和」、いま国連がこれを採用したら世界は永久平和への道を歩むことは可能だと思う。石原先生の戦争歴史観による行動が私の生活となって今日に到っているという。満州事変が十五年戦争の始まりとか侵略主義に置き換えられ、日清・日露戦争まで侵略視されるようでは全く残念であり、戦争体験の一部分に触れた立場からも死にきれない思いである。世の中は正しいことが誤り伝えられることも充分知らなければならない。

植田氏は中国や韓国に行った際も日常会話の中でもアジアを守ったのは日本だ、日清、日露、満州事変と何れもロシア、ソ連の侵入からアジアを守ったのだと、これだけは当時の満州、中国、韓国の実情に照らして自信をもって話してきました。一歩もゆずれないことだと思います。

植田先生が会長を辞任する経緯として、新聞掲載記事から抜粋しますと、県土地改良事業団体連合会(県土地連)の会長を務める植田英一氏(84)は3月の任期満了を前に会長を辞任する意思を固めた。副会長で鮫川堰土地改良区理事長の若松昭雄氏(81)が残任期間中、会長職務代理者を務め、植田氏の後任会長に選任される公算が大きい。

植田氏は福島民友新聞社の取材に対し、辞任の理由について「交通事故を起こした道義的な責任を取る」として、郡山市東部土地改良区理事長を辞任する考えを示し「土地連会長も辞めることになりました。

交通事故は飛び出してきた浮浪者をひいてしまったことで相手方の家族も「気になさらずお仕事をお続けください」と言っていたのですが、永田町に出向き野中広務先生に会いすべての政治関係の団体を辞任してその足で私のところに来て「道義的な責任を取る」と辞表を渡され辞任したのでした。

私は植田先生が80歳をとっくに超えているのに、いつも凛としていて、若々しく、とてもその年齢には見えませんでした。それに、いかにも上品な方です。植田先生のよさは、どこから出てくるのだろうかと、常々、考えていたのですが、やはりその話し方に品があるからだとわかりました。第一に、笑顔がとてもよい。

話すときも、話を聞くときも、笑顔を絶やさない。会合の1時間前には会場入りしていてロビーでばったり会ったりすると、立ち止まって、笑顔で声をかけてくれます。しかも必ず、関心を示す言葉をかけてくれるのです。会長1年目の時、私が悩んでいたときのことを憶えていて、一言「孤独に耐えろ」と言ってくれるので、とても励みになりました。

あるとき、問題を抱えて、植田先生に聞いてもらおうと会合が終わった後に近づくとすでに先客がいました。30分も待てば自分の順番が来ると思い植田先生と目を合わせてから気を利かせて一度その場を離れました。また30分後に戻ったのだが、その日は様子が違っていました。

ロビーの椅子には同志があふれていて、会合の時間が近づいても自分の順番はこなかった。次第にイライラしてきて、何度も目にとまるように近づいたりわざと大袈裟に時計を見たりした。ついに会合の時間が来て皆が席に着き始めた。そのとき、植田先生は私を呼ぶのでした。

会合が始まるギリギリの時間だったので、イライラしたような私の顔を見て植田先生は、いつものにこやかに笑顔で、「長いことお待たせして、悪いことをしましたね」と言ってくれたのです。この一言で、イライラが一気に消えました。そして、80過ぎたご老体で、福島県から新幹線に乗って毎月何回も都内まで出てきてたくさんの同志を励ましている植田先生の方こそ、さぞ、お疲れのことだろう。

そのことに、いまのいままで気づかなかった自分を、私は恥じた。たった一言で、人の気持ちをとらえてしまう話し方。だからこそ、そこに品のよさを感じるのでしょう。いつまでも元気で我々同志を見守って欲しいと思う瞬間でした。

武田邦太郎顧問や佐藤秀一郎顧問や多くの同志たちに続いて植田先生もご逝去されました。我々石原莞爾平和思想研究会としては大黒柱を失ったような出来事です。植田先生からは、助言などを頂きながら会を運営してきましたが、これからは若い世代で自らが判断して行動するという非常に厳しい運営環境となりました。

その一方で、会員の確保や質の高い情報の提供など様々な課題が山積しており、会の骨組みを立て直すことは急務な課題となっています。今後は情報の配信を迅速に処理ができますよう改善を図り、向上に努めて参りたいと存じます。何はともあれ植田先生が守ってこられました石原莞爾平和思想研究会の存続を誓うばかりでございます。

この先、日本国はTPP問題や消費税問題、また放射能問題など様々な課題が山積しており、どのような形になっていくか皆目検討がつかないままではございますが、石原莞爾将軍が生きていたならばどのように判断したであろうか植田先生だったらどのような発言をするのだろうかと考えながら歩んでゆこうと思います。

今後ますます世界を視野に入れた活動、地域社会を豊かにする活動が重要となり、必要となるでしょう。これまでの流れを継続しながら、さらに、時代に即した活動も適宜取り入れ、会員増強を呼びかけながら、活発に発展させていきたいと思います。植田先生亡き今、皆さまのお力を頼りにしています。活動を通してボランティアの意義を体験していただければ幸いです。

この世界の中を生き抜くためには、石原莞爾将軍や植田先生の語られたお言葉を胸に抱き、自らの状況を客観的に把握し、進むべき方向を定め、正義の判断で決断をしていかなければならないと思います。日本国は自分で考え、責任を持って役割を果たし、行動しなければ世界から孤立してしまうでしょう。

会については、古参の方々が亡くなり、時の流れの速さに怖さを実感する今日この頃です。理想とする恒久平和は険しい道ではございますが、回避する方法やこれからの会の方向性を同志の皆様と考えながら、ともに歩んでいこうと思います。

私たちは、今のような時代だからこそ、未来の子供たちのためにも自らの可能性を最大限に生かし、真実の歴史を萎縮することなく語り新たな視点を加えながら、時代を切り開いていかなければならないと思います。自らを信じ、誇りをもって、石原莞爾将軍の王道を共に築いていけたらと希望します。植田先生、これからも見守ってください。石原莞爾平和思想研究会へ長年の功績とご尽力に深く感謝いたしますとともに、謹んで哀悼の意を捧げます。

「石原莞爾平和思想研究会」植田前会長(福島県酪農業協同組合代表理事組合長・福島県土地改良事業団体連合会副会長・郡山市議会議長・自由民主党福島県連政調会長幹事長・福島県議会議長・全国都道府県議会議員会会長・地方制度調査会委員など多数)

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