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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾を語るならば心しておきたい事2

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(4)昭和26年になって石原の遺品の中から東亜連盟同志会の「宣言」の改定案が、六郎氏によって発見されている。それには「人類歴史の最大関節たる世界最終戦争は十数年後に近迫し来たれり。昭和維新とは東亜諸民族の全能力を総合運用して、(身に寸鉄を帯びず生活そのものの力によって、)この決勝戦に必勝を期することに外ならず・・・」( )部分が加筆されたものである。前後の事情から察して昭和20年10月頃と六郎氏は推定している。(『最終戦争論』P182−183)

(5)「老兵はただひたむきに大聖人のお示しを直接承って今日まで心身を君国に捧げて参りました。老兵の仕事は大体、敗戦の時に終わったので、顧みてまことに感激に耐えない一生でした。全く大聖人の無限のお慈悲によるものです。20年余の難病も老兵の仕事を少しも妨げる事はできませんでした。任務終って今はこの持病で静かに終わる日を待っています。大聖人のお側に馳せ参じる日が楽しみでございます」(『最終戦争論』P234)

この言葉はこの著書の結びに掲載されてあるのだが、この短い文面から多くの示唆と想像を膨らませる事が出来る。20年余の難病と自認しているところから推し量って、満州事変以前に相当の自覚症状があったであろうと、これを耐えて時局に対処した強靭な意志と常人を超えた発想と決断。それらに共通する自らが研究・考察した『最終戦争論』に導かれた判断に誤りがないか?

大聖人のお示しを直接承って確信を持ち発表されたものと考える。人間誰しも自分の所信を世間に発表する場合、相応の覚悟を持つのは当然であるが、石原の場合は自らの信ずる神との対話で不退転の決心をもたれたのである。私は石原莞爾先生と多感な17才より2年余、西山農場でお教えを受けたが、その素晴らしい包容力は感激の一語に尽きる。最も神に近く最も人間的な温もりに溢れた方だった。

テイ婦人にも実に濃やかに面倒を見て頂いた思いがつきない。実弟六郎さんには、時宜に適したお話と兄莞爾将軍同様人情の何であるかを身に持って知らされた上、莞爾先生の適切な評伝をお聞きする事が出来た。無上の幸せであろう。

その六郎さんの言われた言葉の中に「兄は兄を利用して一儲けしようとか、兄の名声を借りて世間にアピールしようとかの魂胆がある者には、木で鼻をくくるような挨拶しかしなかった。が近在のお百姓さんなんかが見えると、南瓜作りの先生とか、お米作りの先生とかと云って一生懸命話を聞いてあげたものだ」

過去現在を見据えて未来に及ぶ時、未来の分野は予言に属する。そして先生ご自身が「近い将来に最終戦争の来る事は私の確信である。最終戦争が主として東亜と米州との間に行われるであろうことは私の想像である。最終戦争が30年内外に起こるであろうという事は占いに過ぎない」(『最終戦争論』P24.25.34.36)と語っておられる。

将軍にお会いして、その人格に触れた方は将軍の信ずる日蓮教を信じ、将軍の思想・行動を宗教活動の一環として促え解釈するのは当然である。が私なりの考えでは、『最終戦争論』に述べられた時代に突入している現在は、最早先生の見通しが確実に進みつつあるかどうかに掛かっており、以後の半世紀を石原先生の言葉通りと信ずるものは、石原教の信者であろう。この論でゆけばかくいう私も石原教の信者と言える。

先生の実弟六郎氏は、常々「兄の事は兄自身が筆にした膨大な著作があるのだからそれを丹念に読めばおのずと真意が理解出来る」と語り巷の本は参考にはしても全幅の信をおいてなかった。文責・仲條立一

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