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石原莞爾平和思想研究会コミュの放射能と玄米

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戦時中、玄米食のおかげで命が助かったという話もあります。それは、昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆の中で、当時、浦安病院で内科医長をつとめていた秋月医学博士は、それまで病院では1日2食の玄米正食を続けており、午前11時頃、患者の治療にあたっていた先生は、白色の閃光と巨大な衝撃とともに被曝しました。

その後、炊事婦や職員たちに命じて、傷を負った患者には水を厳禁にしました。なぜなら出血が止まらない時に水を与えると、血液が薄まって死に至るからです。そして、玄米の握り飯を塩辛くして食べさせて、甘いものは自然の甘みを摂ることとし、白砂糖を厳禁としました。それで幸いなことに、周りからは放射能で死亡したものはいませんでした。

その著書「長崎原爆記」に書かれています。このように、極限状態に陥った時の対処の仕方は大きな教訓となります。そして、玄米の胚芽に含まれるフィチンのすばらしい効果は、放射能さえも解毒排出する作用があったと理解されますから、現代の原発の放射能や、食品添加物の害を取り除くためにも重要な情報となります。

石原莞爾平和思想研究会の同志に、20歳の時に広島の爆心地から800メートルの地点にあった兵舎で被曝して重傷を負い、火葬寸前に救出されて奇跡的に死を免れた方がいらっしゃいます。その後、90歳の今日に至るまで、低気圧の時は被曝の後遺症に苦しみながらも非常にお元気です。

この方は、発芽玄米食を食しており、以前よりもさらにパワーアップされ、まだまだ現役で働かれるのではないかと期待しております。福島の放射能問題も、こうした例もあることを参考にしていただきたいものです。戦後、日本の食は変えられました。それはアメリカの占領政策に入ったからです。

日本は戦争に負けてアメリカに占領されましたが、この7年間に、それまでの伝統的日本社会が、アメリカの意向に沿って大きく方向転換させられました。日本に占領軍として乗り込んできた連合軍総司令部(GHQ)は、次のようなことを考えていました。

つまり、戦争で負けても日本民族は非常に勤勉で精神性も高く、放っておけば必ず復興し、将来再びアメリカを脅かす国になるだろうと予測し、次のような基本政策を決めました。まず、軍事的に自立させないため、戦争放棄の憲法をつくらせる。政治、経済、情報、エネルギー、文化、食糧において、常にアメリカの庇護を求めざるをえなくする。

3S政策、つまりスポーツ、セックス、スクリーン等の3大娯楽によって日本民族の高い精神性を堕落させる。というものでした。我々戦後世代は学校で、アメリカのおかげで日本は軍国主義から民主主義国家に生まれ変わったと教育されましたが、それはマスコミも動員した巧妙な洗脳トリックによるものです。

実態は日本をアメリカにとって都合のいい隷従国につくりかえることだったのです。アメリカという国の歴史は、かつて南米大陸でスペインが先住民族にしたと同じように、アメリカ大陸で平和に暮らしていたアジア系の先住民族を滅ぼして、今日に至ったことを忘れてはならないと思います。

この問題には、石原莞爾だけでなく多くの識者が反対しましたが、1番の理由は、アメリとの戦争に踏み切れば、日本は、彼らによって伝統文化を含め、亡ぼされてしまうだろうと予測したからです。占領解除後、食を含めた欧米化の現状は、ほぼその予測が正しかったことを物語っています。

私は、決して反米主義者ではなく、今の日本が置かれている立場からすれば、アメリカとの友好関係、同盟関係を維持していくことは不可欠と考えています。しかし。食の歴史を考えるうえで、どうしても史実に触れなければ真実が見えてこないので、ご理解頂きたいのです。

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