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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾将軍との出会いと忘れ得ぬ人々(中)6

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「潜行三千里」の辻 政信氏をかくまっていた和田 勁氏

――先ほどの辻 政信氏につきましてはとかくの評判がありますが、軍人として見るとやはり凄い人物だったと思います。ノモンハン事件直前に偵察機でソ連軍の情報を国境を越えて偵察しているんですね。彼が昭和25年(1950年)に出した『ノモンハン』という本にはその時の情景がリアルに描かれています。
武田 和田先生は辻さんを非常に可愛がっていました。「潜行三千里」で日本に帰って来た時に、辻さんは和田先生のお宅に厄介になっていた。ある時、僕は静岡のそのお宅をお訪ねしたことがあります。品のいい小さな家でしたよ。「武田さん、そこに小さな物置があるでしょ。あれに辻君は1ヶ月ほどおったんですよ。毎日のように特高が私のところに来る。変な者がいないかと伺いに来る。時間をずらしては見張りに来るのに、とうとう見つからないで済んだんですよ」と和田先生は言っていました。そういうように和田先生は懐の深い人なんですよ。
 辻さんの著書を見ると石原将軍を尊敬しているようだけれども『潜行三千里』(昭和25年刊)では将軍と東條を並べて尊敬していますからね。ある時期、辻さんは将軍の後を継いで東亜連盟運動の後継者になりたかったんではないでしょうかね。それに真っ向から反対したのが、朝日新聞記者の田村眞作さんでした。もちろん私も反対でしたが……。僕は辻さんから「武田君の顔は見たくもない」と言われるほど嫌われました。
――何回か、お会いしているんですね。
武田 ええ、何回も会いました。辻さんの言うことは聞けば聞くほど将軍とは違うんです。それで私も思った通りに言うたんです。「それでは民族協和は成り立ちません」と。向こうもこっちの考え方をすぐ確認しますからね。これは話すだけ無駄だと思ったんでしょう。
――辻さんには大和民族の優越感というものがあったのでしょうか。
武田 それはあったですね。そもそも東條さんと将軍とを同じ様に敬意をもって書くということ自体がおかしいですよ。対立しているわけですからね。両方に首を振る秤(はかり)などあり得ないですからね。ああいう人が、東亜連盟を継いでいたら瓦解していましたよ。

 東亜連盟活動を監視する特高警察官を、石原将軍は大喝

――そのほか、和田さんに関係するエピソードはありませんか?
武田 同志の合宿の時に、朝方、太鼓のドン!という合図とともに皆が起きます。ドン!と鳴ると、将軍や和田先生はサッと起きてクルクルと布団をたたんで顔を洗って、とにかく朝方の支度は早い。こっちはノロノロやっているから間に合わない(笑)。二日目は、僕もあんまり恥ずかしいもんだから、ドン!と鳴るか鳴らんかという時に目が醒めるわけだ。そして、飛び起きて、さあ将軍の布団をたたませて頂こうとしたら、将軍はもう済んでいるんですよ。あんな恥ずかしいことはなかった(笑)。
そのお寺に5つか6つくらいの向こう気の強い男の子がおってね、将軍が部屋からすっと出られた時に、その子が向こうからダッーと走ってきて将軍とぶつかった。そしたら、その子が「バカヤロー!」と将軍に向かって怒鳴って、また走って行った。僕はその時、将軍はどうするんだろうと思って見ておったら、ニヤッとほほえんだ将軍は一言、「馬鹿野郎に違いないよな」と(笑)。
 まあ、これが僕にとって、初めての大勢の会合でした。百何十名か二百名ほどおったでしょうね。将軍が「最終戦争論」の講義をやるのに教練、つまり鉄砲はないんだけれども持っている格好をして膝撃ちをやったり、寝て撃ったりをご自身で示された。その姿が本当にきれいなんですよ。芸術的なんだ。僕らも相当教練はやらされたんだが、うまくできませんよ。将軍は鉄砲を持たないでやるんだけれども、本当にきれい。はあー、こんなにできるのかと感心しました。
――根っからの軍人素質を持っておられたんですね。
武田 それから、特高が必ず監視に来ていました。僕らは初めての大勢の会合だったから知らなかったんですが、将軍が「オイ! お前ら特高だろう」と呼びかけたんです。特高が2人来ていたんです。「お前たちは、俺が何を話しておるのか判っておるのか!」と一喝した。彼らが黙っていると、「国体の話を今しておる。国体の話をしておるというのに壁にもたれて聞くとは何事だ!」と続けて一棒をくらわした。
まあ、2時間に及ぶ講演だから特高の方も、それはくたびれもしますね。「帰れ! 帰って署長に言え。石原の国体の話を壁にもたれて聞いておって追い返されたと署長に報告しろ!」と将軍の舌弾が飛ぶ。そしたらスゴスゴと帰って行った(笑)。これが、僕が初めて東亜連盟の会合に出た時のショッキングな思い出の一つです。

▲武田邦太郎(たけだ・くにたろう)氏のプロフィール
大正元年(1912年)12月〜平成24年(2012年)11月。広島県福山市生まれ。昭和10年、東京大学文学部西洋史学科卒業。同11年、鐘紡農林部に入社。中国にて大農牧場の建設・経営に参加。同21年、山形県遊佐町西山開拓地に入植、開拓農業協同組合長。同年3月、国民党結成。同26年、日蓮教同志会結成。同27年、協和党結成、中央委員長。同36年、池田勇人総理の諮問機関、新農政研究所に入所、農政部長。同40年、(財)新農政研究所発足、副所長。同52年、所長。同58年、武田平和研究所設立、代表。同61年、武田新農政研究所設立、所長。この間、赤城宗徳農林大臣顧問。田中角栄内閣日本列島改造問題懇談会委員。三木武夫内閣国民食糧会議委員等を委嘱される。日本新党副代表。平成4年、参議院議員。外務委員会委員、沖縄及び北方領土に関する特別委員会委員。国会等の移転に関する特別委員会委員長。著書に『食糧危機と日本農業の展望』『日本農業前途洋々論―農業イノベーションのすすめ』(共編)『コメは安くできる! 農家は豊かになれる―農業イノベーションの提唱』『永久平和の先駆 石原莞爾』『永久平和の使徒 石原莞爾』(編著)など多数。

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