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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾の予備役願の顛末

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東條英機の後任として関東軍参謀長に就任したのは、東條英機の同期生であった磯貝廉介でした。磯貝の関東軍の内面指導の考え方は東條と同一で、最初から石原莞爾とは意見が合いませんでした。

石原莞爾は「満州の内面指導を協和会に譲渡して、満州国を名実共に独立国にする」という強硬意見を主張しました。この意見が通らなければ、現役を退き丸腰となって、満州国の為に懸命の努力を捧げる固い決意のもとに、植田軍司令官に予備役願を提出したのです。

この報が陸軍部内に伝わると、秩父宮はじめ本庄大将、多田、板垣両中将らの先輩は、現役に止まるよう考え直すことを進めたが、石原莞爾は頑としてこれを拒否した。

当時石原莞爾の病気は相当重く、職務遂行困難な点もあったので、植田軍司令官は「辞表は板垣陸軍大臣に取り次ぐから、まず病気静養の請願休暇とせよ」と説得し、昭和13年8月14日満州から帰国することになったのです。

当時世間では東條英機と対立して、石原莞爾が辞表を叩きつけて無断で任地を去ったと伝えられていましたが、これを耳にした石原莞爾は憤然としてこれを否定しています。石原莞爾の帰国後、浅原健三らが心配して一時、母堂と夫妻で茨城県大洗の魚来庵に静養し、その後十河信二の配慮で、東京大学病院に入院した。

石原帰国の報が全満州に伝わると、民衆は非常なシッョクを受け、救世主を失ったような気持で皆驚き悲しみました。当時仙台東北学院の講師であった中国出身の某氏は、悲しみの余り三日間も戸を閉じて家にひきこもり「太陽を失ったという感じです。現在私共の漢民族は日本と戦争をしています。この悲しい現実に明るい解決の目標を与えてくれる人は、石原将軍しかありません」と嘆息していたのです。

石原莞爾平和思想研究会の会員の方の多くは高齢で90歳、100歳の方も多く毎月、訃報が届きます。 真実の歴史を語る方が少なくなってきています。 また、ITに関する新しいテクノロジーが現実化しつつあり、会員の多くはインターネットを使えない方ばかりで会報誌の作成発行が必要となってきています。 会員を募集しているのでよろしくお願い致します。

会費(年額:自4月1日〜至翌年3月31日)
篤志会員:10,000円以上
一般会員:5,000円

振込み先:「ゆうちょ」銀行
加入者名:石原莞爾平和思想研究会
口座番号:00130−9−410942

備考
篤志会員は、その会費の支払い度にご方名を「永久平和」に掲載いたします。
以 上
よろしくお願い致します。
石原莞爾平和思想研究会

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