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石原莞爾平和思想研究会コミュのペルーとパラオに対する日本

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過去に元ペルーの大統領フジモリ氏が、参院選出馬しました。当時の国民新党の亀井氏は、フジモリ氏の出国認められるべきだと言っていました。落選したり、肉を詰まらせ窒息状態になったり、極めつけは禁固6年になりました。(笑)フジモリ元大統領と聞けば、1996年のペルー日本大使館公邸人質事件がありました。

その事件で興味深い記事を自民党の斉藤健先生と地元我孫子まで来ていただき石原莞爾平和思想研究会の仲間と一緒に呑んだ時に頂いた本に書いてあったことです。それは、フジモリ大統領がなぜリーダーシップを発揮できるのかといった趣旨の日本人記者の問いかけに対し、現地のペルー人が、それは日系人だからだと答えた、という記事です。

今の日本人には考えられないでしょうが、一般のペルー人がイメージしている日系人は、明治の時代に海を渡り、昭和の時代をペルーで生き抜いてきた為、戦後マインドコントロールされていない明治の遺伝子を直接引き継ぐ日系人の事ですから、リーダーシップがとれるというのです。

ペルーのフジモリ元大統領は、両親とも日本人で、ペルーで生まれたので二重国籍者であり、外国の国家元首になっても日本国籍が残っていたのです。ちなみに歌手の宇多田ヒカルも両親は日本人だが、ニューヨークで生まれたのでアメリカ国籍と日本国籍を持つ二重国籍者と言うわけです。

昭和天皇は、敗戦の理由の一つとして、明治時代のような元老がいなくなったことを挙げています。元老の井上馨のシナリオどおりもハリマンと同じく、日米合併による満州経営を構想していたら満州国は今頃どうなっていたであろうか。ハリマン構想に政府内の大物・大浦兼武逓信大臣が異議を唱えてでも、元老・井上の一喝で黙ってしまったという。

その遺伝子は、今でも遠く離れたペルーの日系人の体のなかに生き続けているのでしょう。さらに齋藤健先生が驚かれたのは、1999年9月にペルーで行われたNHKのど自慢大会のことだそうです。一生懸命覚えた日本語の歌を唄った愛くるしい日系三世の少女をみて。その娘の名前を聞いて驚いたと言います。その娘の名前は「きく」だったのです。

地元の市議会議員と近隣の市議会議員、それに石原莞爾平和思想研究会の幹部だけの忘年会だったので齋藤健先生の前で日本人の名前に関連するパラオの話をしたのでここで紹介します。太平洋に浮かぶ小さな島国の中にパラオ共和国という国があります。そのパラオ共和国の旗が、日本の旗と色違いで同じなのです。

パラオは、日本の委任統治領だったので、多くの日本軍が駐屯していました。そこでの日本人は厳しいのですが、産業・教育・文化の発展に大きな功績を残して、パラオの人々に大変な信頼を受けていたのです。パラオの人々は「日本人は厳しかったが、我々に農業と真面目に働く事、嘘をつかないことを教えてくれた」と今でも語っています。

第二次世界大戦末期、米軍がパラオに迫り、上陸してくるという時に、パラオ人は驚くことに、「我々も日本人と一緒に米軍と戦う」と決意したのです。しかし民間人に被害が出る事を懸念した日本軍はそれを許さず、貴重な船舶を使いパラオ人全員を他の島へ避難させたのです。

そして戦闘が終わり、パラオ人が島へ帰るとそこには日本人の遺体が多数放置されていました。パラオ人は泣きながら丁重に遺体を埋葬し日本人がいつ来てもいいようにと墓の掃除を今でも欠かさないと言います。終戦を向かえ日本の変わりに米国が統治する事になりましたが、パラオの人々は日本への感謝の念を忘れる事はありませんでした。

1994年にパラオはアメリカから独立する事となりました。それに際して国旗を制定する事となったパラオは、敬愛なる日本の日の丸と同じデザインにする事を決めた。黄色い丸に背景は青です。青い海に月の光を表します。だが、月が中心より少しずれているのです。これは日の丸と全く同じデザインだと日本国に失礼だからとのパラオの配慮だそうです。

独立式典ではパラオ国歌の後、日本の君が代が流れて、パラオは独立を宣言したのです。米国の統治は50年にも及びましたが、パラオの人々の心に残っているのは米国の統治が始まる前の50年前に滞在した日本人だったのです。日本が短い統治の間にパラオの人々の心に残したものはなんだったのでしょうか。

今でもパラオ人の8割の方は日本人への親愛の証に、その姓名のどちらかに日本の名前を付けているのです。またパラオ共和国は日本の歴史教育問題に非常に協力的で、パラオの国会で日本の教科書問題「日本へ真の歴史を」が議論されるほどです。パラオでは独立一周年を記念する式典が開催されていました。

各国の元首から祝電が届き、各国の代表が振る色とりどりの国旗の中に日の丸の旗は無く、全パラオ人が待ち望んだ日本政府からの祝電を読む声は遂に聞くことが出来ませんでした。ナカムラ・クニオ大統領とパラオ国民は非常に悲しんだと言います。そのときの日本国総理大臣は社会党の村山富市氏だったのです。小泉さんのマレーシアに対する態度も馬鹿にしていましたが、日本人の人情はどうなってしまったのであろうか。

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