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石原莞爾平和思想研究会コミュの最終戦争論と五五百歳二重説

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石原莞爾と日蓮教に関する論述を展開するためには、解説として残された書籍は少ないと思います。だが石原莞爾の総見ともいえる「五五百歳二重」説をとりあげ、日蓮図顕の大本尊讃文との関連において、その謎めいた断案の解明を試みることが出来ます。石原莞爾の、「最終戦争論」と表裏一体をなすともいえる「五五百歳二重」。

石原莞爾の努力も充分なる説得力をもち得ず、むしろ「神通力」によって末法が二重に使い分けられたという説明の方に共鳴するものを感じ、そして、『石原莞爾選集』(全10巻)を刊行するに至るわけです。石原莞爾の信仰と理解がより明確になる書物です。

日蓮宗にしても宗定本尊はいまだ定まらず、一方、日蓮出世の本懐の本尊ありと豪語していた日蓮正宗は、その最大の信徒団体である創価学会との抗争に明け暮れ、その本尊義は打ち捨てられています。予言は、今まさに日蓮門下において的中しているという状況のなかで、「五五百歳二重」ないしは「多重」説を裏付ける拓本の大本尊の出現は、何を意味するものだろうか。

石原莞爾の信仰の軌跡を見ると、師の田中智学の域を乗りこえられず、国家主義者的横顔をみせるときは、田中智学の影響下にあったでしょう。しかし、満州建国の理想と挫折という苦い経験のなかから、日蓮教の世界史意義に目覚めていたときに「五五百歳二重」説は、田中智学門下から反発を買ったのでしょう。

信仰の世界には試行錯誤がつきものです。「最終戦争」が必ず起るという石原莞爾の予言も外れたかに見えますが、最終戦争論の裏づけともなった日蓮の予言も、検討すれば「最終戦争」が必然的不可避であるといっているわけではありません。『如説修行抄』にみるように、日蓮にはユートピア到来の予言もあり、明暗の二者択一の余地を残していることに留意しなければならない。

それをあたかも必然的不可避と断言した石原莞爾は、軍人として、また戦争史家としての己の立脚点に偏り過ぎたのでしょう。いわゆる日蓮主義者の偏った日蓮理解が、日本を戦争に追い込む背景の一つになったといえないこともないのですが、同時に石原莞爾が、身命を賭して、祖国が破壊への路線をひた走ることに反対した努力もまた評価されなければならないでしょう。

「日蓮を悪しく敬まわば国亡ぶ」の予言どおり、日本は一旦亡国の淵に沈みました。仏教因果説によれば、日蓮門下はその原因を日蓮に対する誤れる信仰の中に求めなければならない。石原莞爾やその日蓮教の母胎となった田中智学一門の信仰も、無論その例外ではないのですが、石原莞爾の信仰と理解のなかで今日も不滅の輝きを放っているのは「五五百歳二重」説であり、日蓮教そのものが存立しえない卓見といえます。

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