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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾の「終末」への信仰

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アメリカ合衆国が姿を現した第一次世界大戦後、同様の進歩がアジアで起こっていました。多数国家間の絶え間ない戦争と闘争は存在しなかったのですが、その代わりに、一国で文明の総合が継続的に行われました。日本は元来弱小従属文明しか有していなかったにもかかわらず、他の文明を同化することによって、次第に強大な力を身につけました。もちろん他の文明を取り入れない文明などはほとんどないが、日本は東西いずれの国よりも、包括的かつ野心的に他文明を統合したので、今や地球上で最も合理的な国家となったのです。

日本は歴史の気まぐれに、この地位に就いたのではありません。神武天皇が八紘一宇の理想を宣言して以来ずっと、世界が協和し、平和となるように、自国の国体を完成し、国体を通じてすべての文明を総合することが、日本の神聖なる責務となったのです。国体を完成するこの最終的過程は、日蓮の教えによって始まったが、明治日本が世界の檜舞台へ登場するとともに新たな重要性を帯び、田中智学の教えを通してほぼ完成したのです。

アメリカ合衆国と日本は、それぞれの文明を完成させるべく競争していました。石原莞爾の歴史的弁証法によれば、両国は急速に類似した道筋を通って発展し、その結果、必ず武力衝突を起こすことになる。「之偶然にあらずして神意なり。人類文化の自然の大勢なり」、と石原莞爾は書き記しています。大破壊から人類の理想が最終的に総合され、次いで人類の戦争は全く終わりを告げると言うのです。

諸々の理想や原則が溶け合うのは、日本が総合するからであり、アメリカが統一するからではないと、石原莞爾は考えました。それは世界を統一し、指導するために出現した日本国体の至高の勝利なのである。しかも多くの歴史的決定論者のように、その決定論をそのまま推し進めようとはしなかった。日本は来るべき戦いに備えるために、全銭、武器、思想など、能うなかぎりの手段をとらなければならないと、石原莞爾は主張しました。「我勝たざるべからずは単に自己の利益生存等の問題に非ずして正しく世界人類を救済すべき偉大な天職の為なり」。

石原莞爾にとって、迫りつつある戦争の終末論的意味は明らかでした。1914年から1918年の出来事を描くのに「世界戦争」という用語を用いるのは、大きな誤りであると石原莞爾は公言しました。というのは、あの戦争は本質的にヨーロッパ諸民族間の戦争であったからです。石原莞爾がいう日米戦争こそ、真の戦争、つまり、日蓮が700年前に予言した世界最終戦争となるのです。「東西両文明の綜合に依り最後最高の文明を創造し人類文化の黄金時代に入るべき関門たる人類最後の争闘、日蓮の所謂『前代未聞の大闘諍』はかくて吾人の目前に迫りつつあり」。

日米戦争という石原莞爾の「終末」への信仰は、軍事上の分析のみならず、神秘的予言にも基づいていました。両参戦国が最終的決戦を行えるだけの武器で武装した時、最終戦争が起こるであろうと石原莞爾は考えました。決戦が起こる過程と、その勝利を左右する手段に関する説明を見れば、戦争の歴史的分析の核心が、決戦的戦争と持続的戦争、石原莞爾が後に説明するところでは、殱滅戦争と消耗戦争の区別にあったことがわかります。

敵を打倒するために軍事的手段と非軍事的手段を併用するか、それとも純軍事的手段によって同じ目的を達成するか、このいずれに価値を置くかによって区別が生まれました。最初、石原莞爾によれば、戦争は決戦的性格を持っていました。つまり、古代文明や中世文明下での争いは、市民兵が戦う殱滅的戦闘によって、勝敗が決したというのです。

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