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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾と東條英機

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昭和16年3月1日、石原莞爾に来るべきものが来ました。石原莞爾は辞表を懐にして陸相官邸におもむきました。しかし東條英機はよく石原莞爾と会ってくれたものです。石原莞爾が東条英機と会ってのべたのは、ただ一点だけでした。「日本の将来のために、一日も早く中国から全面撤兵していただきたい」東条英機は即座にそれを拒否しました。「それはできない。これまで何のために大陸を尊い血で染めて来たか。もちろん陸軍は反対だ。国民もそれでは納得すまい」石原莞爾は声を荒げた。「まだわからぬか。それが国を謝らせるといっているのだ。その元凶は貴様だ」そう言い捨てるなり、辞表を東条英機の机にたたきつけ大臣室を出たのです。

その足で石原莞爾は、財団法人満州移住協会の理事長の小磯国昭を訪ねました。小磯国昭は山形県に本籍を持つ陸軍大将で、のちの総理大臣です。小磯国昭の顔をみるなり、石原莞爾はこう叫んで大笑いした。「東条二等兵を喧嘩して、サーベルを捨てて来たよ」たまたまその場に居合わせて記録したのが著名な郷土史家後藤嘉一でした。こうして石原莞爾は待命、予備役編入を命ぜられたのです。

昭和17年9月まで石原莞爾は立命館大学学長にまねかれて、同大学で「国防学」を講義しました。教授となるについて、石原莞爾は1つ条件を出しました。自分は恩給をいただいているから、教授としての給与は受けられないと。その間にも政局が動きました。昭和16年10月18日に東条英機内閣が誕生し、12月8日には、ハワイの「真珠湾攻撃」で不幸な太平洋戦争がはじまりました。この緒戦の戦果に国民は熱狂しました。

しかし国体学の権威里見岸雄博士の質問に対して、石原莞爾はこう答えていた。「この戦争は負けますな。仮に戦争のためにお金が1万円必要とします。アメリカが100万円持っているのに、日本にはわずか1000円しかない。だから1000円を使い切るまでは、何とかなるでしょう。しかしその先は金がないから、どうしようもなくなります」同じ時期、高松宮(昭和天皇の皇弟)からも意見を求められたが、答えは同じでした。「持久戦争をするには、攻撃の終末点をどこにするか、はじめから確立しておく必要があります。しかし日中事変でも今次の戦争でもそれを定めていない。東条首相のやり方は決戦戦争のやり方で、攻撃の終末点を越えれば、敗けるのは当然です。そのことを知らずに尊い将兵を送るのは、指揮官として最大の罪にあたります。日本を救うには、早期講和しかありません」石原莞爾の言葉のように、日本の戦況に暗雲が見えてきたのは、昭和17年6月の「ミッドウェイ海戦」の敗戦以降だといわれています。

この石原莞爾の言葉は東条英機にも伝わったはずです。しかし東条はそれを色にも出さず、戦意の高揚を国民に訴え続けたのです。その反面、悪名高い私服の特別高等警察がうごき出し、言論統制と反対者の弾圧は始めたのです。そのため大学側でもこの圧力に屈し、石原莞爾を教授から解任しました。山形の鶴岡市に帰った石原莞爾は、高畑町の斉藤求邸に落ち着いた。しかしここでも、県内はもちろんのこと東北一円から来客があり、講演の依頼がひっきりなしに続いたのです。

ある日、憲兵が石原莞爾を訪ねて来て質問しました。「閣下は東条首相と対立なされているとか」莞爾は語気も鋭く断定した。「それはおかしい。東条首相と退役の老兵で無力な私がどう対立できるか」憲兵は虚をつかれて「いや、対立とは思想的にであります」「それなら、かえっておかしい。たしかにわたしには思想がある。だが、東条にはそれがない」憲兵はまじまじと莞爾を見て、これでは東条閣下も敵ではないとつぶやいた。

同年12月、ガダルカナル島の戦況が悪く撤退を考えていた東条は、腹心の甘粕正彦を石原莞爾のもとによこして、会見を申し込んで来た。石原莞爾は東条に会いたくなかったが、甘粕はねばった。「今は国家存亡の時であります。従来の行き掛かりなどお捨て願います」
甘粕のいうのは正論である。石原莞爾も負けた。

2人とも数年ぶりの再会だった。まず東条から「大政翼賛会」のことから切り出した。「聖戦を戦い抜くために大政翼賛会に課せられた最高の任務は、戦力増強にある。今後どう指導すればよいか」この翼賛会とは、戦争を勝ち抜くための、挙国国民運動の組織であった。石原莞爾は即答した。「それを私に聞くのは、おかしいではないか。会は君が自信をもって動かしているのだろう。国民運動はもともと国民の自発的運動であるはずだ。」ついで東条は会談の核心に触れた。「今後の戦争指導をどうすればよいか」石原莞爾はじろりと東条を見すえた。「君にはこの戦争の指導はできない。一日も早く総理大臣を止めてはどうか」

≪2016年度石原莞爾平和思想研究会総会のお知らせ≫
日 時:2016年5月14日(土)午後2時より
    総会終了後、同場所にて懇親会を行ないます(4千円程度)
場 所:「鳥元」・上野

コメント(2)

今回のお話、吸い込まれるように読んでしまいました。

東條と莞爾氏は、仲良しではなかったんですね・・・この時代は、戦争も終わり
何もかもが新しい、方向に向かっていた日本・・私たちも生まれ昭和を生きて
今が有る・・・莞爾氏に会つて見たかったです。
>>[1] 憲兵隊司令官であった東条英機は、満州国においても、東亜連盟の首脳部を次々と検挙したのです。東条英機は官僚的覇権主義者で、その秩序を乱すものは検挙しなければ、秩序は保てないと発想します。それに対して石原莞爾は、人間の持っている共同体というものに根ざさなかったら軍隊も何も浮き上がってしまうというのが基本にあるのです。石原莞爾と東条英機とは発想も志も全然違うものだったのです。

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