ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾将帥見聞記を読んで(;一_一)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
此のところ、体調がすぐれなかったこともあり、家でゴロゴロ・本を読んで居ました。

石原莞爾の生涯ですかわいいー(長音記号1)かわいいー(長音記号1)かわいいー(長音記号1)

御存じの方も多いと思いますが、あまりの辛い闘病生活・・涙が出てしまいました。

明治22年(1889年)山形の鶴岡に生まれる・・・・・そして

昭和24年(1949年)8月15日(60歳と7か月で西山にて永眠とありました。涙

県警察官の父の元に生まれ13歳で陸軍幼年生、すでにナポレオンの研究に着手とある

明治42年20歳・士官学校卒業・・歩兵少尉で会津若松へ・・・・31歳で二度目の結婚

34歳で、ドイツ留学・・その後、満州事変・・・日中戦争…大東亜戦争・・・

昭和16年日本海軍航空部隊ハワイ真珠湾奇襲攻撃開戦、昭和20年8月15日敗戦になる。

莞爾氏,42歳のころに(膀胱がん)そのころは病名が分からなかったみたいです。
そこからが、苦しみ・・・時代が時代で治療も思うようにいかず・・苦しみぬいた様子・・・・
タクさんのお父様や周りの人たちが輸血に出向き凌いでいたとか・・・苦しい、思いをしているのは
本人ですが、東亜連盟協会の設立のため精力的に講演活動を開始(昭和維新論)
(東亜連盟建設要綱)・・池本農業政策起草など・・・病人とは思われない活躍ぶりとある。

病状は、痛み、出血、排尿困難・・其の治療のすさまじさが、延々と書かれています・・・
読んで居て、気絶しそうでした・・・涙涙

その石原莞爾氏昭和24年(1949年8月15日山形西山にて永眠・・・・現在靖国神社で
後世を見て居られると、考えれます。合掌

コメント(11)

随分、勉強していますね。

石原莞爾の生涯ですね。(^_-)-☆
みみさん お体いかがですか?2年前に 吹浦駅にて息子と降り立ちました電車お墓まで一時間半位歩いたような足お墓で上記の本を買いましたよ・・・。手術に使われた術具の写真まで出ていて・・・本
持病は石原さんのお体をとても蝕まれていたことを想像いたしました・・・。
みみさん、おはようございます。

本を読む時間、作ればあるはずなのですが、なかなかです。(ー_ー)!!

今、7日に茨木市に到着したので、荷物の整理をボチボチしています。

10月20日にはいわき市に引っ越しますので、お会いしましょうね(^_-)-☆
各位

下記のメールは会員の池口さんのメールです。
わたくしの力では明確なお答えができませんので返答いただければ幸いです。
消耗しました。

記

池口 滋之

満州事変を計画実行した石原莞爾氏は、大馬鹿な東条英機より、罪が重たいのではと思いました。
さて、仲條さんは、どう思われますか???

陸軍が暴走し、海軍、国会、外務省等々と連携もせず、国として一致団結せずに、戦争を遂行して行った大きな原因、出発点が、満州事変だと。
満州事変は、軍事作戦的には、ロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海海戦以上の勝利を収めたかもしれませんが、その後の、陸軍の暴走のきっかけを作った事は間違いありません。

天皇陛下は、この満州事変が、日本の敗戦へと突き進んでいった出発点だと確信されているんでしょうネ。

私が、仲條さんの意見を聞きたかったのは、ただの一点のみです。それは、『石原莞爾氏が、軍規(軍を勝手に動かしたら死刑)を無視して独断で進めた満州事変は、当時の日本にとっては大勝利でしたが、陸軍若手将校が、上官の命令を聞かずに暴走する元になって仕舞った。勝てば官軍、大本営の命令なんか無視して勝てば良いと。満州事変以後、敗戦までの陸軍の悪しき伝統の先駆けを創ってしまったと。又、満州事変が契機となり日本は国際連盟から脱退しました』

天皇陛下も、今年元旦のお言葉の中の『この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び』とあるのは、天皇ご自身も、満州事変が、先の大戦のきっかけだったと確信されてのお言葉だったと思いました。

本来死刑の人間に、180度違う「本庄は大将に進級、男爵を授けられたうえ侍従武官長の重職につき、石原莞爾らに対しても進級叙勲の論功行賞がなされたため、」事を実施したが為に、その後の帝国陸軍の暴走になった訳です。
人を殺しても、即死刑にはなりません。裁判にかけられ、結果、判決によって死刑の場合もある訳です。それが、軍規で死刑と明記しているのを分かって実施し、その結果が、陸軍の暴走となった訳です。
それは、私は、『絶対』しては行けなかったと確信します。

それと、今回の問題提起は、何度も言いますが、満州事変の軍規を破って実行した事が、その後の帝国陸軍の暴走を招いた事です。
石原莞爾氏が、軍規(軍を勝手に動かしたら死刑)を無視して独断で進めた満州事変が、歴史の結果として、陸軍が暴走し、日本が国際連盟から脱退するきっかけを作った事です。

石原莞爾氏が、満州事変で大勝利を収めても、軍規・勝手に軍を動かしたら死刑に則り、死刑になっていたのなら、その後の陸軍の若手将校の暴走は無かったのでは思います。歴史は大きく変わったと。

仮に、満州事変の大成功が無かったら、軍を勝手に動かしたら死刑と言う軍規がある訳ですから、行け行けどんどんで、補給も考えず、大本営の命令も無視して勝手に進軍する事は無かった。即ち、日中戦争の拡大は、無かったかもしれないのではと思ってしまいます。
今年の正月の天皇陛下のお言葉、満州事変から、、、は、そんな気持ちが入っているのではと思います。

何度も言います。石原莞爾氏が、大本営、陸軍、日本国政府に、理想の満州国建設の為の満州事変の計画の了解を取っていたのなら、その後の歴史も変わっていたと、私は思います。
その了解を取らずに、勝手に大成功した結果が、敗戦になったと、私は確信します。その了解が取れるまで、満州事変は、しなかったら良かったと思います。

私は、敗戦後70年経過して、日本は、敗戦の失敗を深く反省する事なく経過して来たと確信します。
そして、今回のオリンピックの問題は、私的には、満州事変と同様の事が起きたと感じました。それは、日本の優秀な若者達が、オリンピック誘致に成功させました。ところが、その後、日本国を代表する凡人達が、失敗しても、誰一人責任を取る事もなく、世界に日本の恥を発信し続けている事です。

満州事変に成功した日本は、最終的に、原爆を2発落とされ、敗戦しました。同様に、このまま2020年のオリンピックが、本当に成功出来るか心配でなりません。
ただ、満州事変は、石原莞爾氏が、勝手に軍を動かして成功しました。しかし、オリンピック誘致は、日本国全部の総意に基づいて行われた違いはありますが、、、

私は、それを聞いた石原莞爾氏なら、自らが招いた事なんだから、そこは、責任を取って、或いは、部下達陸軍の暴走を止める為に、対支三個師団派兵を決断してしまうのでは無く、割腹自殺しるべきだったと確信します。

石原莞爾氏が理想に燃えて許可なく実施した『満州事変』の大成功は、その後、軍規、国際法を無視した陸軍の暴走を誘発しました。

さらに、満州事変の成功は、日本国民の幸せより、軍部の拡張を第一とすべく、国家予算の半分以上を分捕る大義名分を与える大きなきっかけを与えてしまったと、私は確信しました。

もっと言えば、陸軍若手将校が、高橋是清を暗殺しなければ、満州にユダヤ人を入植させ、日米開戦は回避出来たかもしれません。

そんな事を考えると、やはり、軍規を破って、勝手に満州事変を起こした事は、その後の歴史を考えると、とんでもない成功事例を、その後の帝国陸軍に与えてしまったとしか、思えません。

4百万も日本人が死亡した敗戦に対する、日本人自身による反省会は何もされていません。

今年の元旦の天皇陛下のお言葉『この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています』を実現すべく、先の敗戦の反省をしなければと思います。

そんな機会があるならば、私は、軍規を無視して実行した満州事変の責任を追及すべきだと確信致します。
>>[2] ・・・昔の、医療器具は、今と違い、使う方も、使われる方も、苦痛
だったのではと思います・・・今の医療は進歩してますものね・・安心・・・ほっとした顔
>>[5] ・・・・石原莞爾氏、や戦争の話になりますと、私も生まれていませんので・・本を読み

そうだったのかと、思うだけで、真実は、よくわかりませんね・・

本を読んで、鵜呑みにしているだけです・・お恥ずかしいですがうまい!涙がまん顔exclamation ×2
>>[7] ラミー&みみ同志、山崎事務長が返事を出してくれました。

池口 様

歴史の評価は、それを見る者の立ち位置(立場)によって大きく異なります。
太平洋戦争(大東亜戦争)を例にとれば、日本の場合、対米戦のみに限定すれば自衛戦争だった側面もありますが、
当時植民地だったインドネシアを攻略されたオランダや白豪主義のオーストラリアからすれば日本の軍事行動は一方的な侵略戦争に他なりません。
しかし同時にインドネシアの現地人らにとって日本軍は正に解放軍でした。
つまり、太平洋戦争は自衛戦争、侵略戦争、アジア解放戦争といった幾つかのそれぞれ異なった「顔」を有しており、そのどれか一つだけでは括れないものがあります。
また、それぞれの立場で異なる「横方向」の歴史観も、時代の変遷で「縦方向」でも変化します。
例えば、日米交渉がまだ正式には決裂してない段階で宣戦布告もないままパールハーバーを奇襲されたアメリカは、長らくそれを「(卑劣な)だまし討ち攻撃」としてきまたが、
当時の日米交渉の経緯や日本側の事情も考慮してか、現在では「突然の攻撃」と表現や評価を変えています。

翻って当時の満洲(現:中国東北区)は、現在の中東情勢のように列強の思惑とその権謀術数が渦巻く地域でした。
パレスチナ自治区を空爆したり戦車で侵攻したりするイスラエルの軍事作戦は我々の目には侵略的なものと映りますが、
同時にそれを誘発させたパレスチナ側の無関係な市民までも巻き込む無差別テロとそれを行わざるを得ないようなパレスチナ住民の状況も勘案すれば、
単純にどちらか一方だけに非があるとは言い切れないものがあります。
長らく「化外の地」とされてきた満洲には、日露戦争後に多くの日本人が入植しました。

中東でのイスラエル人の入植時のように昔からそこにいた住民らとの軋轢も当然ながら生じたことでしょう。
満洲事変の発端は、その3年前の1928年に父・張作霖を関東軍によって爆殺された長男・張学良の反日行動(併行線の敷設など)にありました。
元々の原因は日本側(関東軍)にあったにせよ、居留民の保護は軍としての当然の責務でしたし、急速に軍事大国として台頭してきたソ連との緩衝地帯を構築の必要性もありました。
そしてあの頃の日本は戦後の日本と違い、今のアメリカや中国と同様に軍事行動への敷居が極めて低いという軍側の事情もありました。
また、世論もマスコミもそのような軍の行動を積極的に支持したことも事実です。

とは言え、板垣や石原らが独断で軍事行動をしたことは事実ですし、それは本来軍法会議ものであり最悪の場合極刑もあり得たと思います。
昭和史研究家の秦郁彦氏も讀賣新聞誌上で、「石原ら満洲事変の首謀者達は極刑にされても仕方なかった」との見解を述べていました。
因みにその記事を読んだ当会の機関誌・「永久平和」の初代編集長だった方(故人)は、私に対し「事務長として讀賣新聞に厳重抗議しろ」と息巻いてきましたが、
私は秦氏の意見は賛否はともかく至極真っ当な意見である旨を伝え、その申し出を断りました。
満洲事変に限りませんが、五・一五事件で犬養首相を殺害した犯人たちを法の下に毅然として厳しく処罰していれば、後の二・二六事件は生じなかったかもしれません。
しかし五・一五事件では世論が寛大な処置を求めてしまいました。その結果が二・二六事件の愚考極まる愚行に繋がったのだと思います。
当時の軍人たちには、「大義(=大きな正義)のためには何をしても許される」というとんでもんない思い上がりがあり、しかもそれを多くの国民が支持したという背景がありました。
今日の観点から考えれば愚かしい限りですが、あの時代にはそのような官民一体の破局へと向かってしまうパトスがあったということです。
しかしながら、そのことに石原はやがて気付き、満洲事変での行動に自責の念があったのではと私は密かに思っています。
その一つが、二・二六事件では迷わず鎮圧に向けて行動したこと。
因みに昭和天皇は「昭和天皇独白録」の中で、満洲事変の石原を否定的に評価する一方、二・二六事件での素早い行動は高く評価しています。
二つ目は、支那事変勃発の前年(1936年)だったと思いますが、日中の軍事的対立が高まる中、それに異を唱える石原に対し、
部下の武藤章から「石原さん、あなたが満洲でやったことを我々は支那でやろうとしているだけですよ」と言われ石原は反論できなかったとされていることです。
私は「反論できなかった」のではなく、あえて「反論しなかった」のだと思っています。

つまり、自分の満洲事変での「軽挙妄動」が武藤章のこのような発言を招いたとの自責の念がその時生じたのではないでしょうか。
「天才」と言われた石原であっても、「時代の子」です。その時代の影響を受けないはずはありません。
しかも、あの時代には上述のような「負のパトス」が吹き荒れていました。
そのため石原は、後世の我々から見れば誤った判断と行動をしたかもしれませんが、それでもそれを糊塗すべく自己弁護や自己保身に走ることなく、
精いっぱいに己の信じる最善の方策を模索し行動した人物だと私は思っています。
あのアインシュタインも、宇宙膨張論を否定するという過ちを犯しましたが、そんな自分の見解の誤りを素直に認めています。
ですから私は石原莞爾もアインシュタインも本当の天才だと思っています。


以上の見解は、事務長・山��八九生の個人的な所感であり、石原莞爾平和思想研究会の統一的な見解ではないことをここに付記いたします。

平成27年9月11日

石原莞爾平和思想研究会・事務長 山��八九生

みみさん タクさん 上記の本に新庄にて終戦後 講演会が開かれて二万五千人が集まったと出ておりました・・・本国鉄が臨時列車を用意したそうですものね・・・電車本田宗一郎さんの言葉ですが「大衆が選ぶことは正しいと・・・」・・・。そんなに多くの方を自然に集めることが出来た石原さん、何らかの真実があった方なんだと想っています・・・!
>>[10] すごいことですよね。記念式典にもものすごい人だったけどこれだけ集まるのはすごい子です。3日前に600名集めましたが限界です(笑)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

石原莞爾平和思想研究会 更新情報

石原莞爾平和思想研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング