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石原莞爾平和思想研究会コミュの日本人の感性

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虫の音に対する日本人の感性については、ラフカディオ・ハーンの「虫の演奏家」という随筆で触れています。日本人は虫の音を音楽として聴くと言います。欧米においては稀にみる詩人だけに限られた感性を、日本ではごく普通の庶民でさえ、当たり前に持っているのです。秋になって遠くから鈴虫の声が聞こえてくると、心を洗われ、秋の憂愁に心を静ませます。このようなことが古代から日常的に行われているのですよね。

ハーンは証拠としていくつもの和歌を引用しています。例えば万葉集の歌で「庭草に村雨降りてコオロギの鳴く声聞けば秋づきにけり」。古今集から「秋の野に道もまどひぬまつ虫の声するかたに宿やからまし」などです。ちなみに、虫の音を楽しむという事は、欧米にはもちろんのこと中国や韓国にもないそうです。

人間というのは、何かに対して感性が研ぎ澄まされていると、必ずそれを言語化する生き物です。例えばエスキモーの間では、雪に関する言葉が百以上あると言います。東京でも、牡丹雪・細雪・粉雪・ドカ雪とか、色々あります。東北へ行ったらもっとたくさんあるでしょう。それでもエスキモーほどではないのです。だから、雪に対する感性では、日本人はエスキモーに負けてしまうのです。

長い年月生き続けてきた自然と儚い人生との対比の中に美を発見する感性、このような感性は、日本人がとりわけ鋭いと言います。おそらく世界中の人が感性をもっているのでしょうが、日本人が鋭いと思うのです。日本人の感性の鋭さの一例が、桜の花に対するものでしょう。桜の花が、本当に綺麗なのはたったの3日です。しかも、毎年、春風や嵐が吹き散ってしまいます。日本人はたった3日の美しさのために、あの棒のような木を日本中に植えているのです。

桜の木は、毛虫がつきやすいし、太い上にねじれていて、肌はガサガサしているので、伐採したくなるような木です。しかし日本人は、桜の花が咲くこの3日に命をかけて潔く散っていく桜の花に、人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを見出しているのです。だからこそ桜をことのほか大事にし、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花にまでしたのです。人々をなごませてくれる桜の花は、その満開の時期の短かさゆえに日本人を感動させるのでしょうね。

桜前線が南から上がって来ると、吉野は満開かな、小田原はどうだろう、千鳥ヶ淵や井の頭公園は来週かな、弘前の桜はいつになるだろうなどと、みな自分の知っている桜の名所が気になりだす。桜前線が地元に至ると、今度は天候を心配します。天候を心配するのは、花見の幹事だけではありません。桜は人生そのものの象徴だから、誰もが気になって仕方ないのです。米国ワシントンのポトマック川沿いにも、荒川堤から持っていった美しい桜が咲きます。日本の桜より美しいと言います。しかし、アメリカ人にとってそれは「オー・ワンダフル」「オー・ビューティフル」と眺める対象に過ぎません。そこに儚い人生を投影しつつ美しさに感激してそこに止まる暇人はいないのです。

父は来年まで生きられない命だよと医者から宣告されて春を向かえた。父は咲いている桜をじーと見ていた。きっといつも見る同じ桜だがすべてが違って見えたのだろう。父にとっての最後になる花見は格別なものだったのだと思います。父は幼少の頃から石原莞爾将軍の身の回りの世話をして将軍をこよなく愛していた。ベットについた父は最期まで石原莞爾の生涯を語っていた、死の間際、父の心に去来したものは若き頃の自分が石原莞爾将軍をリヤカーに乗せて東京裁判へ曳く姿だったかもしれません。大寒の入り日になると、私の元に毎年、父から満開の桜の絵葉書が届きます。一瞬にして澄みわたるような、父が大好きだったあざやかな桜の花です。文章は短いもので、返事を書かなければならないような負担を感じさせない気配りがありました。だが、もうその葉書は来ないのです。

コメント(2)

秋、闌・・・・まさしく、虫の音の季節・・・癒されます・・・人、それぞれの感じ方と
思いますが・・・私は、鈴虫を聴きながら、一杯・・・いいですねるんるんワイングラス

桜の花のお話、なんて、素敵なんでしょう・・・お父様の心の大きさが感じられました。

石原莞爾氏も、どんなにか、お父様に感謝されたことか・・病気の時ほど、誰かに
頼りたいもの・・・喜ばれた事と思います。
そして、素晴らしいお父様をお持ちのタク様・・・同じように御活躍されていると感じますクローバー
例えば虫の音や鐘の音や、さわやかな風の音、しんしんと降る雪の音等日本人は左の言語脳に入ってくるが、外国人には殆ど雑音として右脳に入ってしまいます。即ち秋の夜に蟲の音を聞いて、わびしさを感じ、風の音にさわやかさを感ずる所謂日本人の情感の世界、わびさびの世界は左脳が働かない外国人には殆どわからない世界なのです。

茶の湯や日本庭園や俳句の文化は日本人の左脳が拓いた文化で、外国では造りえない文化なのです。このような世界で類例の無い日本の大脳の機能は何によって出来上がったのか?それは遺伝体質ではなく、角田博士の結論によれば幼児時期七歳位迄日本語で育つ環境で日本人独特の左右の脳機能が出来上がると言い、外国人でも幼兒少年期に日本語で育てれば日本人と同じ機能の大脳になると、即ち母音で成り立つ日本語が左の言語脳に虫の音や鐘の音を受け入れるスイッチ機能を持たせるのだろう。との結論で、子音を主とする外国語では、これらの音は殆ど雑音として右脳へ入ってしまうのであると。

ここに母音(あいうえお)を主とする日本語に何か深い意識があるのではないか、しからば世界中でこの日本人の脳の働きと同じ機能を持つ民族はいないのか?と角田博士が探した結果、南太平洋のポリネシアの人々に日本人と同じ脳機能を持つことを発見しました。ポリネシア語も日本語と同じく母音を主として構成されていたのです。

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