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石原莞爾平和思想研究会コミュの野村乙二朗先生にインタビュー

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野村乙二朗先生にインタビュー

「行幸された天皇に会えず残念」
「危険な時は日記はつけなかった」  

会員の皆様、お元気ですか。ウクライナ、パレスチナ戦争が続きますと、石原将軍最終戦争論が思い出されます。石原全集七巻の中で〈昭和二十年十二月鶴岡市常磐館で四日間に亘って開かれた「昭和維新論講習会」〉将軍は「今まで私達は最終戦争兵器は電子爆弾であり、世界一周の飛行機と考えて来ましたが、これはまずかった。原子破壊力か何かで正確な方向を以て間違いなくニューヨークやロンドンに原子爆弾をあてて呉れるだけの電波兵器でなければなりません。マッカーサーがいくら研究機械を破壊したから(注、二科研究所の爆弾研究の機会三台を壊して東京湾に沈めた)といって、その辺は心配ありません」(三百四十八頁)とあるのを読み直し、ふと九十四歳になられて、昨年和子夫人を亡くされた野村乙二朗先生に会いたくなり、厚木市の野村さんへ、インタビューとなりました。

会見場所は愛甲石田駅構内の喫茶店です。写真でお分かりと思いますが、大変元気です。十二時二十八分発のバスで帰えられる一時間十分程時間を頂き、インタビューしました。毒舌を混じえたお話を、以下に対談式で公開します。

◆行幸した天皇に会いたかったか。
早瀬:現在取り組んでおられますテーマは何ですか。
野村:太平洋戦争です。石原莞爾の最終戦争です。死ぬ迄に完成させます。ウクライナ、パレスチナ戦が続くと気になってしょうがないです。
早瀬:実は石原さんの昭和20年12月の講演速記録に「電波兵器がある」と予言されています。ウクライナ、パレスチナ戦争はミサイル戦とドローン兵器の戦いになっていますが七十九年前の石原さんの予言通りになった感じがします。ついには北朝鮮の弾道ミサイルも出て来ました。
野村:石原さんはすごく予見能力のある人だった。少しハッタリもあったと思うが、そういう知見を持っていた。電波兵器とありますが、原爆を併用した電波兵器のことですね。予見能力ですよ。
早瀬:今日は石原さんの件で二つ教えて頂きたいのですが。一つは昭和二十三年天皇が行幸され、酒田の吹浦駅を通り秋田に向かわれますが、石原さんが吹浦駅に近い西山農場にいるのを承知の上で立ち寄られたんでしょうか、あの時、なぜ武田さんのみが行かれて、石原さんが行かれなかったのか。なぜなんですかね。
野村:武田さんとしては、石原さんは病床で寝ている訳ですから、連れて行くにも動力が要りますからね。武田さんは自分でリヤカーを曳くだけの力はないから。武田さんは天皇に対しては反感を持っていたはずです。天皇が石原を神にした。ということで頭にきている。武田さんは、石原さんを天皇の所に行かせるとは考えていなかったんですよ。帰って来て石原さんに報告したら、石原さんは膝を震わせていたそうです。石原さんは残念だったんでしょうね。私には、天皇と石原さんの関係というのはよく分からない所があるんだすよね。知見がある鷹揚な天皇にあれだけ石原さんは服従しているのに。
早瀬:満州事変、第二次上海事変、南京事件など侍従武官長がはたして天皇へ正確に伝えていたか、というと疑問ですね。二、二六事件の時は、天皇の決定を叛乱兵たちに伝えて即鎮圧に出ます。
野村:石原さんはあくまでも作戦参謀として、将校たちを理解していた。だが途中天皇の勅語が出ると天皇の命令によって鎮圧にかわっていく。変わり身が速すぎて、他の人は皆んなついて行けなかった。軍の作戦参謀とはそんなものではないですか。機転がきかないと作戦参謀はつとまりませんからね。
早瀬:侍従武官は石原さんの「昭和維新」のことを正しく話されたんでしょうか。
野村:石原さんは天皇には、昭和維新なんてことは言ってないですよ。天皇が何を考えているか、石原さんは知ってるわけですから。

◆危険な時は日記をつけなかった
早瀬:もう一点は昭和十六.七年の日記が見つからないのですが。書いていたんでしょうか。
野村:石原さんは、ちょっと危険な時は日記はつけませんよね。日記でなく手帳ですか。手帳にもつけてません。満州事変の所も途中からないでしょう。危険な時はつけないです。
早瀬:松井石根将軍は前線にいても縦書きノート一頁に多い時は三頁に亘って書き残してきます。石原さんの場合は人名しかありません。書く時間がないんですかね。
野村:そうでなく警戒しているんです。どんなに味方と思っても石原さんは心を許していません。まして東条さんには忠実ではないです。満州事変の時は基本的につけていない。殆ど分らない形でしか書いてないです。基本的に石原さんがつけている時は、安全な時です。
早瀬:そういえば舞鶴司令官、十六師団長時代は、人の出入りまで書いています。
野村:安全だからです。でも満州事変、大東亜戦の十六.七年のところは、つけてないです。その点はシビアです。石原さんは記憶力がいいですから。日記をつけることはないんです。それに石原さんは警戒心が強いですからね。
早瀬:作戦参謀は手のうちは見せられませんですからね。
野村:松井さんは前振でも残したい、伝えたいですから。石原さんには伝えたい。残したいということは全然ないです。他人に自分のことをらさらけ出すことはしないんです。自分の汚いことを知ってますから。全員を信頼していないんです。信頼する人には凄く感激するんですね。それも先生とか言って。極端です。石原さんには信用する人がいないから。信用できる人間には過大評価とまでは言いませんが、極端だと思っています。
(以上、一部分を紹介します。先生が同成社から出版された「東亜連盟の石原莞爾資料」の一読を、お勧めします)

石原莞爾平和思想研究会 副会長 早瀬利之

1940年(昭和15年)長崎県生まれ。昭和38年鹿児島大学卒業。石原莞爾研究者。著書に、『石原莞爾 満州合衆国』、『石原莞爾 満州備忘ノート』、『石原莞爾 国家改造計画』、『参謀本部作戦部長石原莞爾』、『石原莞爾 北支の戦い』、『南京戦の真実』、『サムライたちの真珠湾』、『将軍の真実・松井石根将軍の生涯』(以上、光人社および潮書房光人社)、『奇襲』(南日本新聞開発センター)、『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』(双葉新書)、『靖国の杜の反省会』『石原莞爾満州ふたたび』『敗戦、されど生きよ 石原莞爾最後のメッセージ』(以上、芙蓉書房出版)などがある。日本ペンクラブ会員、満州研究会会員。

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