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石原莞爾平和思想研究会コミュの沖縄がなぜ米国の領土に

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沖縄がなぜ日本の領土でなくなったのか。戦争中の軍事占領に引き続いて、昭和21年(1946) 1月29日に発せられたGHQ覚書で確定したのです。「北緯三〇度以南の琉球諸島(口之島を除く)、大東諸島などに対し、政治上の権力を行使することを停止するよう日本政府に指令する」

こうして沖縄に対して日本は政治的な措置(司法・立法・行政三権)を一切行使できなくなり、沖縄はGHQの管轄下に入ったわけです。さらにそれが講和条約で、「沖縄は米国を施政権者とする国連の信託統治のもとに置かれる」ことが決められ、沖縄はまったく日本の政治権限の及ばないところに存在することになりました。

ちなみに昭和33年(1958)、全国高校野球大会に首里高校が沖縄代表としてはじめて出場することになった時、沖縄はあくまで外国だというので選手たちは甲子園に行くのにパスポートが必要でした。では連合軍、とくにアメリカがなぜこれほど沖縄を必要としたのか。それには冷戦が大きく影響しています。

戦前の話をした時、制空権がいかに戦局を左右するかという事です。沖縄を基点として太平洋に大きなコンパスを回せばわかりやすい。グアム、沖縄、台湾からは北朝鮮や中国やソ連などを爆撃機や戦闘機で十分にカバーできる位置にあるのです。

たとえば北海道からですとシベリアあたりにしか届きません。そこに冷戦がはじまると、沖縄とフィリピンを基点にすれば共産圏に対するアジアの戦略態勢がほぼ整いますので、米軍としては沖縄確保がアジアの権益を守るための絶対的な必要条件となったのです。

現にベトナム戦争では、沖縄の基地からB52爆撃機が北ベトナム爆撃へと飛び立ちました。これを日本がベトナム戦争に加担しているとして、左翼の人たちが猛反対運動を起こしたのです。というわけでアメリカは容易なことでは沖縄を手離しません。

また、もちろん明言はしませんが、当然、そこには核兵器が持ち込まれていました。アジアの戦略態勢を固めるのに核兵器がないほうがおかしな話ですから。そういった非常に厳しい戦略的・戦術的な条件下、佐藤内閣はどうしても施政権を日本に取り戻そうとします。

沖縄県にしようというわけです。困難極まる交渉を承知で、昭和40年(1965)に「沖縄を返してもらわないと戦後は終わらない」と発言して以来、返還運動に正面から取り組んだのです。

国民はそんな佐藤さんを応援はしましたが、一方で「核をどうするか」に関してはさまざまに議論がなされ、言論界では「返還は核抜きでなければならない」 と盛んに言われます。なるほど施政権は返すとしてもアメリカは基地がどうしても必要です。

しかしそこに核があったのでは、冷戦下で非常に危険であり、真に施政権が返されたとは言えない、と猛反対運動が起こります。激論が交わされて、アメリカとの交渉前に国内の意見統一が困難になりました。

そこで佐藤さんは、「核を造らず、核を持たず、核を持ち込まず」後に非核三原則と言われる国策を決定し、横須賀など本土内の基地と同様、沖縄を返してもらう際もアメリカに「核抜き」を承諾してもらうという態度を決めます。アメリカは日本の事情を承知して、昭和44年(1969)11月、佐藤・ニクソン会談において、合意にいたりました。

当時の米大統領ニクソンは、「われわれは深い理解を示し、日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖縄返還を日本政府の政策に背馳しないように実施する旨を、総理大臣に確約した」と述べます。ただしこれは、聞いただけではわからないでしょうが、文字にして読むと非常に微妙なのです。核をどうするか、をはっきりさせていないのです。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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コメント(4)

現在の日本の政治を見てると、沖縄は日本に返還されないまま、ガッツリ米軍基地に成ってた方が良かったかも・・・って思えて来ます。
ン〜、ベトナム戦争に沖縄の米軍基地が使われてたと言うのには、複雑ですねーふらふら
>>[1]

昭和26年9月8日は、敗戦日本が独立国として、世界の仲間入りができた輝ける日です。全面講和か多数講和かをめぐって議論がありましたが、日本政府はアメリカの方針にそって、多数国との講和でよしとしてサンフランシスコでこの日、講和条約に調印したのです。

それと同時に日米安保条約が調印され、日本はアメリカの極東戦略体制下の一国に組み入れられてしまったのです。なぜ同時だったのかといえば講和条約が成立した時点でアメリカ軍が日本を占拠する大義名分はなくなったからです。
>>[2]

北朝鮮問題は泥沼化の傾向にあり、米国は自国の利益、景気回復のためにベトナム戦争やイラク侵攻と同じ過ちを犯してしまうのであろうか。

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