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石原莞爾平和思想研究会コミュの日本とフランスの類似点

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ノストラダムスはヴァロア・アングーレーム王朝の2代目、アンリ2世の事故死を予言して一躍有名になりました。「1999年7の月」の予言は恐怖よりも「蘇るなりアンゴルモワ大王」に主眼があります。これはアングーレームの形容詞アングーモワの古形です。

最後の王アンリ三世は子供がなく、カトリック派のリーダー、ギーズ公爵に政権を奪われそうになり、危機が去った後の手打ち式を装って、ブロワ城で暗殺しました。だが、その仕返しに、ギーズ派の刺客に襲われ、その傷で死にました。

その直前に改革派南部諸侯のリーダー、ナヴァール王アンリ・ブルボンを王位継承者と認めたのです。これはフランソワ一世の姉の孫です。新王アンリ4世は全国的に受け入れられるのに時間がかかり、改革派を離れ、カトリックに回心します。

パリの市民に歓迎されて入場、ノートルダム大聖堂で祝福のミサを受けました(1594)。「パリは1回のミサに値する」はこの王の言葉として知られています。改革派はミサという形式の礼拝を拒みました。アンリ4世の故郷はガスコーニュです。

土地の方言は今も殆どスペイン語に似ています。今でもガスコーニュ人は強烈なニンニク臭がすると言います。「新しい王とその側近は王宮を彼らの故郷の香りで満たした」と当時の文献にもあるのです。

ブルボン王家の始祖アンリ4世は国内が平定した1598年、ブルターニュの人口の古都ナントにおもむき、勅令をもって、特定の場所においてでは、改革派が好むやり方で礼拝することを認めました。

その特定の場所とは、国王軍の勢力の強いところだったといいます。政治的に確りした王でした。国内の宗教的平和を生み、財政の改善、産業の発達を実現させ王権を強化したのです。この16世紀、スペインとポルトガルは南米やアジアに植民地帝国を作り、銀などを欧州に持ち込んで大盛況の時でした。

総括しますと、百年戦争の結果、イングランド国王の領地は大陸から一掃され、宗教戦争の間に多くの大貴族が闘争に倒れました。フランス国王はゲルマン人の風習「貴族の代表」を越えた存在になっていきます。

フランスという国の成長は争いの台風の目の王家でした。国王は国土統一の中で、貴族たちに対して超絶的存在になっていくのです。ルイ13世を経てルイ14世で頂点に達するとナントに勅令も発する力を持つのです。

そして日本ではナントに勅令を発した2年後の1600年に、関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利を収め、全国統一の機運が生じるのです。日本とフランスは似ています。その事の1つの要因が全国統一のプロセスなのです。

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