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石原莞爾平和思想研究会コミュの第一次世界大戦から米騒動

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19世紀の末、ヨーロッパではイギリスとフランスが大きな力をもっていました。そこへ力をつけてきたドイツが世界進出をすすめたため、多くの植民地をもつイギリスと対立するようになりました。

このような中、ヨーロッパ各国は自分の国が有利になるように国同士が結びつくようになりました。ドイツはオーストリア、イタリアと三国同盟を結ぶと、イギリスはフランス、ロシアと三国協商を結び、大きな2つの勢力となって対立するようになりました。

一方、バルカン半島は、列強各国の利害や民族などの対立から紛争が絶えず起こっていたため、「ヨーロッパの火薬庫」 と呼ばれていました。1914年、三国同盟の一員であるオーストリアの皇太子夫妻がサラエボで、三国協商側のセルビアの青年によって暗殺される事件 (サラエボ事件) が起きました。

オーストリアはセルビアに宣戦布告すると、戦いは三国同盟側についた同盟国と三国協商側についた連合国との第一次世界大戦に発展しました。戦いは約30か国が参加する大戦となり、各国の国力をかけた総力戦となりました。

第一次世界大戦によって苦しい生活が続いていたロシアでは、人々の不満がストライキや反乱となってあらわれました。この動きによって皇帝は退位して、臨時の政府ができましたが、人々の生活はよくなりませんでした。

1917年にレーニンは、労働者の理想の世界をつくるために国民を巻き込んだ革命を起こし、世界で初めての社会主義をとなえる政府をつくりました(ロシア革命)。そして、1922年、名をソビエト社会主義共和国連邦 (ソ連) としました。ロシア革命は戦争に反対する人々に支持され、世界に社会主義運動が広まりました。

だが、日本やアメリカ、イギリス、フランスなどの資本主義諸国は、革命のために暴力を使うことをみとめる社会主義の考え方が自分の国に広まることをおそれて、1918年、ロシアに兵をおくり社会主義運動をおさえようとしました (シベリア出兵)が、ロシアの革命を支持する勢力の抵抗によって失敗におわりました。

一方、第一次世界大戦中の日本は、連合国に軍需品を輸出するなどして、好景気となりました。しかし、好景気が続くと物価が上がり、また、シベリア出兵のために商人が米を大量に買いしめたため、米の価格がとても上がりました。

1918年、生活に困った人々が米屋を襲う米騒動が全国に広がり、警察や軍隊が出動して各地の反乱を鎮める事態になりました。この騒動で、当時の寺内正毅内閣は世論の激しい非難をあびて総辞職しました。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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