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石原莞爾平和思想研究会コミュの奇跡の武装解除とは

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石原莞爾平和思想研究会同志の戦争経験者が語る。昭和20年8月15日、焦土と化した日本列島を真夏の太陽が照りつけていました。抜けるような青空とジージー鳴く蝉の声。今日の日本の出発点となったこの日を、戦後何十年経った今でも、忘れられないのです。

精魂こめて築き上げてきたもの、死ぬ覚悟で守り続けていたものが、一瞬にして消滅したあとの無力感。襲い掛かる疲労感や絶望感が複雑に重なり合い、何かをしようという気力もなく、日本人は空腹を抱えながら、幾日も過ごしたのです。その状態でも、日本人は少しずつ前へ歩き始めました。瓦礫の山に、焼けトタンを繋ぎ合わせて小屋を建てました。

そして焼け残った電車やバスが何事もなかったように動き出しました。8月15日は複雑な何かの終わりであり、復興を目標とする出発点となりました。破壊の後に創り出すものは何か。国家の復興・再生であり、それはとりも直さず、日本人の人間性の解放でもありました。

戦後の出発は戦争のみならず戦前的価値や存在をまず否定することから、新たな第一歩が踏み出されたのです。戦前から戦後へ、8月15日を境に徹底的に破壊されたもの、形を変えて生き残ったものと、様々な変容が我々のまわりにはあるでしょう。

その象徴的なものは天皇像でした。戦前の「現人神」から、戦後の人間天皇という象徴天皇となり、それは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占拠方針によるものでありましたが、同時に、深くは日本人の文化と倫理と国家観に根ざす問題でもあったのです。

史上初の敗戦という事態をもたらした戦争責任との関連で、様々な天皇制論議がなされました。日本人の大多数は「国民統合」のよき「象徴」として天皇が、国民とともに歩まれることを歓迎したのです。

その人間天皇にかわって、「神」として君臨したのが、GHQの総司令官ダグラス・マッカーサー元帥であったのです。東京の中心、宮城とお濠をへだてて向き合っている第一生命ビルの屋上に9月17日以来、星条旗が鮮やかに翻り続けました。

この旗、マッカーサーの命ずるままに、民主主義となったのです。ワシントンからの指令の第一の目的は、日本の「非軍事化」で、電撃的に処理されました。8月15日現在、日本本土に57個師団約257万名余の兵力を有し、陸海合わせて約1万6000機の航空機が残っていました。

これらがおとなしく武器をすて、武装解除が完了したのは10月15日のことです。一発の発砲もなく、ただ1人の負傷者もなくこれが完了したというのは、世界中のだれの眼にも奇跡としかうつりませんでした。

あの神風特攻隊がある日本軍が、あれだけソ連を苦しめて一度も負けなかった日本軍が何の抵抗をみせないとは。スターリンでさえこう洩らしたといいます。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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