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石原莞爾平和思想研究会コミュの昭和天皇の退位問題について

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最初は終戦直後の8月29日、戦犯として逮捕される人が出はじめた時、天皇陛下は「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納めるわけにはいかないだろうか」と木戸幸一内大臣にもらしています。

この時は、「今、退位をされるとかえって戦犯指名につながってしまいます。あるいは(強硬に天皇制廃止を主張する国もあるなか) 天皇制廃止にもつながります」と、木戸氏と藤田尚徳侍従長が反対し、陛下も気持ちを仕舞い込まれました。

ところが当時の東久邇宮首相と近衛文麿氏は、むしろ退位を期待し、口にも出していました。そこで、木下道雄侍従次長が御用掛の寺崎英成氏を通してGHQの考えを打診すると、マッカーサーは「アメリカはまったく天皇退位を希望しとらん」と答え、話は立ち消えになったのです。

もっともその後に、木戸氏が戦犯として巣鴨刑務所に出頭する前、12月10日に昭和天皇に会った時に、「講和条約の成立した時、皇祖皇宗に対し、また国民に対し、責任をおとり遊ばされ、御退位されるのが正当なり」と恭しく申し上げたのは確かで、天皇陛下もまたこれを「そうか」と聞くだけは聞いたようです。

二回目は、東京裁判の判決が出た時です。この時は、世論でも天皇退位論が高まり、マスコミにもたくさんの議論が出ました。天皇もそう思われたらしい。GHQが心配して「退位など考えないでくださいよ」というような手紙を寄越したのに対する昭和23年(1948)11月12日付の返事が残っています。

「閣下が過日、吉田首相を通じて私に寄せられたご懇意かつご厚意あふれるメッセージに厚く感謝いたします。私は国民の福祉と安寧を図り、世界平和のために尽くすことは、私の終生の願いとするところであります。いまや私は一層の決意をもって、万難を排し、日本の国家再建を速やかならしめる為に、国民と力を合わせ、最善を尽くす所存であります」

こうしてこの時も、自分は退位などせず、国民とともに国家再建と世界平和のために最善を尽くすという決意を示され、この時も話は立ち消えになりました。そして三回目ですが、さきほど木戸内大臣が天皇に言上したように、講和会議の調印後、国家が独立した時に退位されるのがよいのでは、という意見はかなりの人がもっていたのです。

南原繁氏もどこかで「日本が独立した時に、天皇陛下は責任をお取りになって退位されるのがよいのでは」という意見を喋っています。その一つの面白い話の代表として、講和会議が済み、条約の発効を待っている昭和27年(1952)1月の衆議院予算委員会で、中曾根康弘議員がこう質問しました。長いので抜粋してみます。

「神聖不可侵のご身分より解放せられた天皇が、地上のわれわれと同じ一員として、過去の戦争について人間的苦悩を感ぜられておることもあり得るのであります。もしこの天皇の人間的苦悩が、外からの束縛によってほぐされない状態であるならば、この束縛を解くことが、古くして新しい天皇制にふさわしいことといわなければなりません」

おやおや、と思うところもあります。天皇陛下は「人間的苦悩」なんて安易な言葉で扱ってもらっちゃ困ると感じていたかもしれませんが。そして次は一般的な意見です。「天皇が御みずからのご意思でご退位あそばされるなら、 最後の機会として、平和条約発効の日がもっとも適当であると思われるのであります」

「皇太子も成年に達せられ、今日、天皇がみずからご退位あそばされることは、遺家族その他の戦争犠牲者たちに多大の感銘を与え、天皇制の道徳的基礎を確立し、天皇制を若返らせるとともに、確固不抜のものに護持するゆえんのものであると説く者もありますが、政府の見解はこの点いかがなものでございましょうか」

「説く者もありますが」なんて他人に被けたようですが、ご自分が思ってらっしゃることなのでしょう、ともかくこれに対して吉田首相はこう答えます。「日本民族の愛国心の象徴であり、日本国民が心から敬愛している陛下。そのご退位を希望するがごときは、私は非国民と思うのであります」忠臣吉田茂の面目躍如です。

一言のもとにはねつけて中曾根議員を「非国民」にしてしまったという話が残っているくらい、議会においてもマスコミにおいても論ぜられたわけです。そして、天皇陛下ご自身も退位のご意思をかなり固められていた。この時、猛反対したのが吉田首相でした。

今、退位などすればかえって混乱を招く、これから日本が再出発しようという時に、それを引っ張っていくためにも天皇陛下はますます大事である、と。5月3日、皇居前広場で大々的に講和条約発効式典が催されましたが、そこで天皇陛下が読むお言葉について、ご本人がこういうことを言いたいというものを文章化したものを、事前に小泉信三元慶応義塾大学塾長、三谷隆信侍従長、宇佐美毅侍従次長らが目を通して検討した際、「退位」などという言葉などもってのほか、さらに原案に二、三ヵ所あった「敗戦の責任を国民に詫びる」に近い表現など「今さら陛下が謝罪するのはおかしい」と削ってしまったという。

側近はそれほど、今に及んで天皇が戦争責任問題を云々したり、まして退位などを口にすることなど必要ない、という態度でしたから、天皇も再びお気持ちを引っ込められました。そして当日、天皇が読み上げられた言葉は以下のようでした。

「この時にあたり、身寡薄なれども、過去を顧み、世論に察し、沈思熟慮、あえてみずからを励まして、負荷の重きに堪えんことを期し、日夜ただおよばざることを恐れるのみであります。こいねがわくば、共に分を尽くし事に勉め、相たずさえて国家再建の志業を大成し、もって永くその慶福を共にせんことを切望してやみません」

相当に悩まれたことははっきり述べられています。新しい日本の出発を考え、「自分も」と思ったところもあったけれども、じっと考え抜いてやはりここは国民と一緒に歩いていくことを決意した、そう日本の船出を祝ったのです。

そしてこれ以後は、昭和天皇の退位や戦争責任に関する問題が云々されることはなくなりました。こうして日本は、新しい国づくりに出発したわけです。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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