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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾の日記から

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木村武雄が公職追放中の昭和24年8月15日、彼が生涯の師と仰いだ石原莞爾がこの世を去りました。胱腫瘍が悪化し、同年6月7日に軍医大佐の宮本忠孝が見舞いを兼ねて診察した際には、およそ十五分おきに血尿と血塊が排出され、激痛が石原莞爾を襲いました。

この日の石原莞爾の日記(父・仲條立一が戦後隠し持っていた)には「木村 (武雄)、和田(勁)、宮本(忠孝) 部下数名ヲ率イ、レントゲン機械迄携行、一同一泊」と記されています (前掲石原莞爾平和思想研究会副会長・早瀬利之氏の『敗戦、されど生きよ』)。

7月に入り、死期が迫っていることを感じとった石原莞爾は、石原莞爾平和思想研究会顧問の武田邦太郎を呼び、「新日本の進路」の口述筆記を開始した。「新日本の進路」が完成するのは、亡くなる5日前の8月10日でした。

その第三章「東亜的統制主義の確立」で石原莞爾は次のように述べています。「この運動(東亜連盟運動)は終戦後極端なる保守反動思想と誤解され、解散を命ぜられた。それは私の持論たる『最終戦争論』の影響を受けていたことが誤解の原因と想像されるが、最終戦論は、これを虚心に見るならば、断じて侵略主義的、帝国主義的見解にあらず、最高の道義にもとづく真の平和的思想を内包していることが解るであろう。」

「東亜連盟運動は、世界のあらゆる民族の間に正しき協和を樹立するため、その基礎的団結として、まず地域的に近接し、かつ比較的共通せる文化内容を持つ東亜民族相携えて民族平等なる平和世界を建設せんと努力したるもの、支那事変や大東亜戦争には全力をあげて反対したのである。」

「今日私は、東亜連盟の主張がすべて正しかったとはもちろん思わない。最終戦争が東亜と欧米の両国家の間に行なわれると予想した見解は、甚しい自惚れであり、事実上明らかに誤りであったことも認める。」

「しかし同時に、現実の世界の状勢を見るにつけ、殊に共産党の攻勢が激化の一途にある今日、真の平和的思想に導かれた東亜連盟運動の本質と足跡が正確に再検討せらるべき緊急の必要ありと信ずる。少なくともその着想の中に、日本の今後の正しき進路が発見せられるべきことを確信するものである」

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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