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石原莞爾平和思想研究会コミュの石原莞爾は理想主義者

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鎖国が解かれ明治維新で解放されると、元来が海外に勇飛する性格の日本人は、その方向へ当然のように進んでいきました。海外をみると、目前には巨大な障害がありました。つまり、朝鮮から大陸にかけて、また、オホーツク海から日本海にかけて、西欧やソ連の勢力が巨大な障壁となって、日本に覆いかぶさっていることがわかったのです。

しかも、それは非常に危険なものに見えたので、これをいかに排除するかということが、日本の国策のひとつとなったのです。日本人が海外に出ていくときの最短距離は、昔から、日本海を渡って朝鮮を経て、それから満洲へ行くという道筋になっていました。

ところが、すでに朝鮮は諸外国に荒されており、満洲も当時は未開の地のように思われていたのに、実はそうでなかったのです。すでに、ソ連とアメリカとの経済上の競合地域となっていたわけです。これ以前に、英国は中国の中東部地方、フランスは南の方を、押えていました。

アメリカは上海に来て、ここがすでに英国の力で閉ざされているので、北上して満洲へ入ります。そして、以前からあったロシアの勢力と競合することになるのです。しかし、この競争にどちらが勝っても、日本がおびやかされることに変りはないわけで、なにか絶体絶命と思われる境地に日本は立たされていたわけです。

だが、そういう場所ではありますが、経済的なものを求めて、或は土地を求めて、日本人は満洲に新天地を求めて入っていったのです。これは、国策としてというよりも、個人個人の欲求から、そうなったわけです。そういう時期に日露戦争が起こり、その結果、日本は、はじめて外国の地に権益を持ったことになりました。

このはじめて持った外国での権益を拠点にして、日本は着々と満洲の開発を行いました。ところが、ロシアは、今も昔もその勢力を極東と中近東の両方へ伸ばすという対策をとっています。帝政ロシアのころから、ロシアの勢力のはけ口がこの二方面だったし、ソビエト社会主義国となってからも、その実体は少しも変らないのです。

ロシアは、伝統的に、中近東からアフリカへ入っていく、そして、極東の方も満洲を取り囲むソ連の力、満洲に襲いかかるソ連の勢力というものは、想像を超える強大なものであって、これは、今日も同じなわけです。

また、一方、満洲に根を下ろしていた張作霖一派の勢力があり、これも中国国民党から民族意識を植えつけられて目覚め、大きな力になってきました。こんな状況から、日本人の持っている権益、生命や財産が常に危険にさらされるということになってきました。まるで、真綿で首を締められるような状態になってきたのが、昭和三年ころの満洲です。

このような状態を断切ろうとしたあせりから、張作霖爆死事件を誘発し、これが失敗に終って、世論が悪化しました。そのあとをついで、満洲事変がはじまることになるのです。この、満洲事変の目的は何かというと、陸路東進するソ連の勢力をソ満国境で遮ること。

さらに、将来とも、永久にソ連の勢力を満洲に伸ばさせないようにすること、これが第一。それから、張作霖の武力暴力的な政治を排して、満洲人の自治による平和的な文民政治を満洲に施くこと、この両面の目的がありました。

その政治体制を、王道楽土という言葉で表現しました。王道楽土の持つ意味は、日本的にいうと、満洲を理想的な国に建国しよう。そのためには、ソ連の支配を遮断して、現住民と中国との間に和を結んで仲良くさせ、満洲を理想的なユートピアにする、そのことがアジアの安定、アジアの繁栄を創り出す基本的な条件だと考えました。

欧米に勝るとも劣らぬ、近代国家繁栄圏をアジアに建設しようという理想、これらの期待が錯綜して行なわれた結果が満洲事変であり、満洲建国でした。この王道楽土の理想、民族協和のアジア共栄圏の構想を描いた人・中心になった人が、石原莞爾将軍です。石原莞爾という人は、現実主義者が多い軍人のなかでは、珍しい、理想主義者といえます。

大詩人というような面もあったから、将軍が一市民でうらぶれた生活をしていたら、石川啄木のような詩人になっていたかもしれない。それが軍人になりました。そして、剣をさげて、いったい武力とは何をなすべきものかということで真剣に悩んだ。

そして、いちばん最初に考えたことは、世界の平和を恒久化すること、絶対平和の世界を創るための武力とはどんなものかということでした。その手始め、序段を満洲で行った。満州合衆国です。世界平和の恒久化という理想を、まずアジア、それも、満洲を拠点として構想を立てたのです。

石原莞爾という人は、人類が絶対的な理想にできるだけ早く到達するためにこそ、軍事学を勉強したわけで、そこから得た結論は、世界最終戦争が数十年後に迫ってきているということでした。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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