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石原莞爾平和思想研究会コミュの犬養首相殺害の真実

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歴史に刻まれている史実のひとつひとつには当事者や当事者の近くにいる者だけが理解できる何かが隠されているでしょう。五・一五事件にしても、単に海軍士官や陸軍士官候補生が公然と首相官邸を襲い、首相を暗殺したのではなく構図の中には遺族が直感的に見抜く何かが隠されていると思えたりします。

犬養首相が官邸に住むようになって、道子氏の一家も父・健が首相秘書官を務めになり、その一角に住むようになります。十一歳の道子氏は官邸内部が遊び場になりました。その遊びの延長として、あるとき (昭和七年二月か三月なのだろうか) 閣議室の扉を開けてしまったことがあります。閣議の最中です。

道子氏の記述を読むと、扉を開けて覗いたことは誰も別に注意を払わなかったらしい。たぶん直感の鋭い少女はこの閣議室にしばらくとどまっていたのではないでしょうか。満州事変が上海事変(昭和七年一月)に飛び火したときです。

荒木陸相は興奮した口調で、上海にあって「支那軍の大抵抗に遭っている皇軍」の援助のために、「一大軍隊を送り支那を一挙にこらしめるべきだ」と発言したというのです。道子氏は、「お祖父ちゃまはこの馬鹿に答える気にもならず黙っていた。そのとき高橋是清大蔵大臣が、大きな眼をギョロリと剥き大声をあげて陸軍大臣を叱咤した」と書いています。

高橋は、「君はまだ若い。波がひとつ来ただけで大変だ大変だと言う。支那の身になってみろ、満州かっさらわれて、まずかっさらった満州を返すことが先決だよ。支那問題はここにおられる総理のナワ張りだ」と叱ったそうです。

「陸軍大臣は窮し、蒼白となり、 陸軍省に帰って憤をぶちまけた」とも書き、陸軍内部に「高橋、消すべし」の声があがり、それが昭和十一年の二・二六事件へとつながったというのです。

官邸に住んでいた十一歳の少女は、実はこのころの政治のウラ側を見ていたのです。誰が「お祖父ちゃま」を殺したのか、誰があの高橋是清を殺したのか、道子氏の筆は決行者こそ青年将校ですが、その真の犯人はと問うていることがわかります。

「靴でも脱げや、話を聞こう」道子氏は犬養首相の死の数ヵ月前、部屋に呼ばれ、この年三月に女子学習院の前期 (小学)を卒業する記念にお祝いをあげたいと言われました。孫文死去の折に中国での葬儀に出向いたときに求めた硯を贈られたという。 木堂の名での書なども手渡されました。

「愛する孫に遺品を手ずから与えることを思い立つほど、迫り来る『時』」だったのです。五月十五日の夕刻、官邸正面からの暴漢が襲ってくる音、そして護衛の巡査を撃つピストルの音。そのとき道子氏の母が食堂でお茶でもと首相を政務室へ呼びに行っていたが、すぐに不穏な動きを知り、庭に下りて逃げるように勧めました。

「いいや、逃げぬ」と犬養は答え、海軍少尉の服をつけた二人の士官と士官候補生三人が土足のまま入ってくるのを直視した。一人がピストルの引き金を引いたが、弾丸は出ない。「まあ急くな」と議会の野次を抑えるときと同じ動作で手で制したというのだ。そして次のように言った。「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう。ついて来い」

犬養首相は健の妻と子供(康彦氏) から意図的に離れ日本間に士官たちを連れていく。そして次のような言葉を足した。「まあ、靴でも脱げや、話を聞こう」しかし別な四人が現れて、 「問答無用」と叫びピストルを乱射した。これが道子氏が、一部始終を目撃する形となった母親からの証言を引いて記述した内容です。

私は、現場にいてこのやりとりを見た道子氏の母の証言を全面的に信用します。「話せばわかる」とは言っていないのです。「話を聞こう」と言ったのが事実とするならば、なぜ話せばわかるといった語でこの光景が語られることになったのか。戦後民主主義を例示するかのようにすりかえられたのだろうか。

「話せばわかる」と「話を聞こう」の間にある無限の開き。私は道子氏の証言や記述の中には、この開きについての絶望感を覚えるのです。言論が暴力に屈服する図。それがこの事件の本質であるにしても、「話せばわかる」という表現がこの本質を言い当てているといえるのか否か。

暗殺された犬養首相の最後の言葉は、「話せばわかる」だったとされた。この言は戦後の教科書でも紹介されて、戦後民主主義を象徴する一句として喧伝されることになりました。だが犬養道子氏によるなら、「この伝説の言葉については、現場証人の母(保阪注・道子氏の母)の証言うらづけはない」と著書(「ある歴史の娘』)で書いています。

犬養家に長年仕えていた「古参の女中テル」の証言も、流れる血の中から犬養が命じたのは、「いまの若いモンを呼んで来い』であって、『話せばわかる』は語られなかったのである」となっており、これが正しいとしています。

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