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ねこると創作クラブコミュの第六回ねこると短編小説大賞応募作品No.1『どすとおこうこ』

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 「あんのクソガキども・・・・・・まさかこの年になってガキの抗争に巻き込まれるとは思わんかったわ」
 昌司は老いた体をゆっくり折り曲げ、地面に座った。ぼう、と霧笛の音がする。時計をしていないので時間がわからないが、日が落ちてから一時間ほど経っただろうか。
昌司は年齢も年齢で表立った仕事はしていないし、組員と言っても数名の暴走族上がりや世間に見捨てられた子供ばかりで、シノギもあくまでカタギの人間に迷惑をかけない方法を取ってきた。子分もいずれは盃を返させ、社会へ出そうと思っている。ところが自分の兄弟分に当たる組が跡目争いをはじめ、なぜかそれは分派である昌司らにも飛び火した。構成員数を稼ぐために統合させようとしたのと、親の兄弟分である昌司を取り込むことで跡目であることの証としたかったのだろう。昌司は何度か断ったのだが、穏便に事は進まなかった。彼らは昌司らとは違う、新しい形のヤクザで、今では手広く始めたビジネスはカタギとヤクザの区別も曖昧だった。
 次第に追われる身となり、己のマンションにいては子分に迷惑がかかるため、身一つで街を逃げ回っている。幸い顔は聞くので身を隠す場所はある。とはいえ、一どころにいてもバレるのを待つだけだ。狭い神戸を渡り歩くうち、甥分にあたる若者たちに見つかった次第なのだ。捕まったところで殺されるわけではないが、今更子供に利用されるのはごめんだ。それに子分達をそんな礼儀知らずに預けるのは許せないことだった。
 神戸港から船が出る音がする。こんな夜でも汗水たらして働く人間がいるものだ、と昌司はぼんやり考えた。自分は浮世を離れた生活を何十年も過ごし、世間に迷惑をかけたこともあった。親が右といえば右を向き、黒だといえば黒という。オヤジのいうことはみな正しいからと手を血で染めたこともある。
 コンクリート塀にもたれかかり、ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。煙と一緒に、「あああああ〜」という自分でも驚く程老いた声が漏れる。
 せめてこの人生に報いるため、世間や己を生かした恩返しをするためと余生を過ごすつもりでいた。その結果がこれだ。いや、因果はないかもしれないが。
「おっちゃん、何しとぉん?」
 幼い声の囁きが、思わぬ近さから聞こえてきた。昌司は煙草を吹き出し、身構えた。
「なにしてんの?」
 もう一度声が尋ねる。闇に目を凝らすと、二つに髪を束ねた十ほどの少女が昌司を眺めている。夜の、港の資材置き場などに少女がいるのは奇異であった。
「おっちゃんちゃうで。おじいちゃんや。お嬢ちゃんも何してんね」
 正面に向き直り、優しく問いかけてやる。よく見ると少女の周りには二匹の痩せた野良猫が、缶詰の中身を食べていた。買い物の帰りなのか、少女は買い物袋を抱えている。
「えさやり」
そうかそうか、という口元は自然と笑となり、力の入っていた肩が緩んだ。
「おっちゃんはご飯食べたん? 食べる?」
「それは猫ちゃんのやろ」
「ううん。あるよ。晩御飯これからやから」
 そう言いながら少女は袋を掲げた。家に来いというのか、無用心なことだ。
「あんな、簡単にそんなこと言うたらあかんで。おっちゃんが怖い人かもしれんやろ」
「怖い人はそんなボロボロちゃうもん」
 そう言われ、改めて己の身なりを見てみれば、確かにみすぼらしい格好であった。黒に白のストライプシャツは袖が敗れていた。革靴は白く汚れ、踵部分は擦り切れていた。初めて納得してみると空腹であることが分かり、心身ともに疲労が重なっていることに気づいた。
 少女の導くまま付いてゆくと、木造アパートの二階、鍵を開けるのに少々苦労しそうな住処であった。物は少なく、収納もないため服や布団は積まれて隅に追いやられている。
少女はてきぱきと袋から食材を取り出し、台所で仕事を始めた。昌司は床にあぐらをかき、部屋を見回した。奥に、小さな台の上に写真と位牌と香櫨が置かれているのに気づき、なんとはなしに覗き込んでみた。写真の中には白い歯を覗かせ笑う五十程の女性がおり、写真立ての前にはツツジの花が置かれている。
「それ、おばあちゃん。もう死んどぉ」
 振り返ると少女がこちらを見ている。光の下で見る少女と、写真の中の女性は似ている気がした。眉毛は太くくっきりしており、短い。その下の瞳は黒目がちで光を多く受けている。頬は孫娘の方がふっくらとしていた。
 なぜだかふと、懐かしい気分になった。少女は米を研ぎながら言葉を紡ぐ。
「困ってはる人は助けないさいって教えてくれた。いっつも他人に迷惑かけてんねんから、人には優しくしなさいって。生きるんは辛いことやけど、愚痴とか、文句とかは言わんとけって」
 随分とませたことを言うが、それは昌司がいつも子分に言い聞かせている言葉だった。少女の後ろ姿を見ながら、昌司は耳の奥で記憶のチューニングが合ってくのに身を任せた。

※※※※※

「さぁ〜けぇは〜涙〜かぁ、ため〜息ぃかぁ〜・・・・・・っと」
 底の低くなった下駄を小さく鳴らしながら、遠くで聞こえる鉄工所の轟音を聞く。ガス灯着けに走る法被姿を横目に、暮れゆく福原を歩いている。この界隈は、夜に近づくと手招きをするやり手婆や、見世に向かう工夫の姿が見受けられた。鉄道の音、客引きのがなり声、天秤を担ぐ商売人。昌司は歌いながら、景色の音を感じた。いつの時代の転機にも、ただの漁村であった地は、当地する者の匙加減で重要な外交拠点となる。長崎も、横浜も、そして神戸もまた大出世した土地であった。土地が開け、人が流入すれば工業が発展する。福原遊郭もまた、その象徴であった。
「ショージさん、えらい早い帰りでんな」
 背を丸めた小男がちょろちょろと寄ってきた。若い頃は吉原の太鼓持ちに支持していたというのは自称かもしれないが、言うだけはあって花街での立ち回りは見事である。
「おお、どないや、最近は」
「へえ、桝崎親分さんのおかげで、ぼちぼち儲けさせてもろてます」
 太鼓はぺこぺこ頭をさげながら、手をこすり合わせる。ショージと呼ばれた男は小さく頷きながら、「そうか」とだけ返した。
「またオヤジに伝えとくわ」
「今日はこちらへ?」
「んや、三ノ宮に飲みに行くんや。ついでに冷やかしとこうおもてな」
 目を細めると、太鼓は肩をすくめて息を吐いた。
 小さく手を振って福原を後にし、ゆっくりとした足取りで暗くなる東に歩き出した。
「さぁ〜けぇは〜涙〜かぁ、ため〜息ぃかぁ〜・・・・・・こぉーころおのォ〜う〜さ〜のォ捨てェどおこおぉぉろぉぉ〜」
 三ノ宮駅前には勤め人や早い時間の酔っ払い、派手な衣装のモガやモボ。疲れた様子の職人に、外人がちらほら見える。そんな中で、駅前の通りに並ぶ屋台は営業を始めていた。
「ショージさん!」
 中の一つの暖簾をくぐろうとすると、丸メガネに髪をなでつけた男が声をかけてきた。女衒の鯉川であった。
「このあたり、十くらいの、薄汚あいガキ見てないやろか」
「知らんなあ。逃げられたんか」
「うどん屋で飯食わせとったら目え離した隙に逃げよったんや。ちょお、見かけたら頼むわ。かなんなあ、ただでさえ高値で言うて、汽車も遅れたちゅうのに。また蒼雲楼の女将にどやされる」
「子供の足やし、土地勘もないとこで遠くには行ってないやろ」
 かなんわあと絞り出すように繰り返す鯉川は、カンカン帽で執拗に顔を扇いだ。少女は東北のどこだかで買い取ったのだろう。今年は近年でも酷い凶作であったと、昌司は聞いていた。
「しゃあないの、俺も探したるわ」
 上げた暖簾の隙間から、主人に「また来るわ」と言い残し、昌司は鯉川と通りを南へ歩いた。
 数年前から娘身売相談所が東北の各地で置かれ始めた。昭和の恐慌、加えて過酷な土地の飢饉が重なった。食うに困った者が自分の娘を身売りさせるという手段をとるのだから、胸の痛む話である。多くは開拓中の北海道、東京はもちろん、こんな西国にも故郷を離れた少女たちは来る。昌司のシノギは人身売買に直接関わりはないが、置屋の斡旋、料亭と妓楼の口利き、客の揉め事処理などは日々行っている雑務の一つである。
「名前はたづこ、歳は十二や。紺の絣着物に、足は草履、海老茶の風呂敷包み持っとるわ」
 鯉川は簡単に娘の容姿を説明し、東に走り出した。
 昌司は神戸港方面に向かい、路地や工場の隅、船から下ろされた積荷の陰など、子供が隠れられそうな所を確認していった。南下するにつれ、少しずつ潮の香りが強くなってくる。前方から、大八車を引く運搬夫が、「まいど」昌司に頭を下げた。車は空で、仕事を終えて戻るところなのだろう。挨拶がてら呼び止めてみる。
「ごくろうさん。この辺で、女の子見んかったか? 十二歳くらいの」
 運搬夫は一度来た道を振り返り、ああ、と繋げた。
「荷物下ろす時に、こうずーっと沖の方みとった女の子がおったと思います。赤いような、茶色いような風呂敷抱えた」
「紺色の着物か」
「そんで下は草履です」
 おおきに、と言い残して昌司は波止場へ向かった。
 少女は直ぐに見つかった。作業する大人達は自分の仕事に夢中で、場にそぐわない少女のことなどきにも留めず、少女もまたしゃがんだまま動かなかった。
「ここで身を投げても死ねへんぞ」
 小さい痩せた背中はびくりと動いてゆっくり振り向いた。鯉川ではないと悟ると小さく細い息をゆっくり吐いた。眉毛が太く、黒い目は夕日を受けて輝いていた。
「戻るで、な。うどん代はお前の借金に入ってないで。鯉やんはいっつも売られた娘に自腹切るんや」
 再び海に顔を戻し、少女は風呂敷包みをかき抱いた。
「一人で売られてきたんか?」
「・・・・・・大阪で、姉ちゃんが降りた」
 くぐもった声だったが、重みがあってはっきりと耳に届く声だった。昌司は少女の傍らで煙草を吸い始めた。陸から切り替わった海風が、紫煙を流し消す。逃げるかと思ったが、少女は微動だにしない。
「ここの海は、静かだな。波が無え」
 強い東北訛りだった。
「どこから来たんや?」
「秋田」
 しばらく会話がなく、お互い港の喧騒を聞いていた。波が当たる音が大きく聞こえる。
「なして、おれがこったら南の街まで来ねばなんねが」
 たづこがぽつりと呟く。波の音も昌司の声も届かない、遠くの声のようだった。
「なして、おれは一人でここさいるべかなあ」
「売られるのは、悲しいことか」
 昌司は自分で聞いておいて、とても平凡でつまらない質問だと思った。
「わがんねえ。なあんも感じねえ」
 強く抱えていた風呂敷をおもむろに解き、丸まる一本の大根のぬか漬けを取り出し、昌司に突き出した。
「あんちゃんさやる。おれはもういらねえがら」
 昌司は一瞬考え、黙って受け取った。表面の乾いた漬物はもう匂いもしなくなっている。
「連れてけろ。さっきのあんちゃんとこ」
 たづこは立ち上がり、昌司の正面に立った。利発そうな目は恐れや怒りもない。激しい自暴自棄とも違う。諦めの色が見えた。昌司はしばらくその目を見返していた。哀れとも同情とも違う感情が湧いた。この世界に関わる罪悪感だろうか。帰る先を無くした少女は力なくその場に立ち尽くしているようだった。
「・・・・・・自分、故郷には誰がおんね」
「とっちゃと、かっちゃと、兄ちゃん」
「ええか、お前を売った両親も、後継やと売られることのない兄弟も恨んだらあかん」
 腰を落とし、顔を少女に合わせ、言い聞かせるように、ゆっくりと話す。
「・・・・・・おれ、誰も恨んでねえけど」
「そうか。なあ、何が悪うてこうなって、ここにおると思う」
 たづこはゆっくり首を傾けた。
「凶作のせいか? 親のせいか? 国のせいか? 売ったり買ったりする人間か?」
 首を傾けたまま、たづこは困ったような顔をした。
「わからんな。そう、わからへんのや。そやからその中で、親とか国とか、わかりやすい相手を呪ったり恨んだりするんや。でも結局、何が一番悪いかわからんのや」
 日はどんどん暮れてゆき、少女の目からは光が小さくなっていった。
「恨んで恨んで、そうしとったらな、恨んでる自分が一番悪いような気がしてくる。そやから、恨んだらあかんのや。感謝を忘れる。人に優しくされたりすることを忘れるんや」
 たづこは大きく首を振って、泣きそうな声を出した。
「なあんも、恨んでねえ。恨んでねえし、とっちゃたちには感謝もしてる。さっきのあんちゃんにも、うどん食わせてもらってありがてえと思ってる。んだども、わがんねけど、海の匂い嗅いだらおれ、ここに来たくて仕方がねがったんだ。・・・・・・怒られっかな」
「大丈夫や。俺が口きいたる。感謝しとるんやったら、その気持ちを忘れたらあかん。この先何があっても、その気持ちを思い出せ。忘れんな」
 鼻をすすり、自分の体を抱いて何度も頷く。この子供は、ここに来るまで涙を堪えていたのかもしれない。ボロボロと重力に従ったたくさんの涙が落ちている。
「この世に生きとる限り、人に迷惑かけて、かけられて生きとる。それはどうしょうもないことや。そやし、世の中に拗ねたらあかんし、こんなもんやと見下してもあかん。自分をごまかしたりしてもあかんぞ。愚痴や恨み言を言うな。強く生きい」
 怒られた気分になったのか、たづこはむせび泣いている。昌司は大根を胸のあたりに挙げ、笑いかけた。
「これの礼や。・・・・・・行こか」
 売られた少女のことを忘れた頃、神戸の空襲で焼け跡にうずくまる妊婦を介抱した。造り酒屋の若旦那に身請けされたたづこだった。昌司はすぐに分かったが、果たしてあの混乱の中で、彼女が昌司を認識できたかは分からない。お腹の子が無事生まれたのかも、そのあとどう生きたのかもわからないまま、長い年月が過ぎた。
 
※※※※※

目を開ければ、少女の後ろ姿が調理をする見慣れない風景が映った。その時、薄い扉が開いて、やせ型の女性が「ただいま」と笑みを浮かべて入ってきた。昌司と目が合った瞬間、その表情は一気に凍りついた。味見をしている少女が「おかえり」と言うのと同時に、女性は土足で上がり、娘と思われる少女を抱きしめた。昌司は両手を挙げ、無罪を主張した。
「なんですかあんた!? 借金取りやったら意味ないですよ! 旦那は今大阪で働いてますし、来月にならんとまとまったお金はお返しできんってお伝えしましたから!」
 錯乱していると思われる女性は喚くように言う。昌司は手を挙げたままゆっくりと腰をあげて立ち上がった。その間にも女性は何か訴えているが、弁解もできないのだから聞くだけ意味はないと思った。ただ一つ、聞きたいことがあった。
「・・・・・・あの、お母さん、ですか。失礼なこと聞くようやけど、あんた生まれは何年ですか」
 喚く声をぴたりと止め、母親は訝しい眉を見せた。思いもよらない問だったからか、素直に声が答える。
「・・・・・・二十年、終戦直後の生まれやけど」
「そうですか。ほなワシはこれで、失礼します。嬢ちゃん、おおきに」
「ええの? もうすぐできるよ。お茶漬けくらい食べていったらええのに」
 沢庵を盛り付けながら少女が言うと母親が諌めた。昌司は「怒らんとってください」と極めて優しく言ったが、自分の容姿でどんなに振舞っても火に油を注ぐだけだ。速やかにアパートの部屋を後にした。
 ずっと張っていたのか、昌司が下に降りると、表に若いヤクザが十数人、待ち構えていた。中の一人が「オジキ」と腰を割ると、全員が頭を下げる。年を言い訳し「暴力団」と呼ばれるのが嫌だと逃げてばかりいても仕様がない。事が丸く収まるよう、先代の兄弟分である自分がしっかりしなければいけないのだ。
「おう。暇なやっちゃな。もう逃げも隠れもせんで。ナシつけようやないか。そのかわりワシは頭とらんぞ。うちの一家だけで手一杯なんや」
 腹から静かに言い放つと、年かさの男が頭を上げた。
「オジキ、その話は後で・・・・・・オジキに会いたい言うてはるお人が」
 男の口調は落ち着いているが、戸惑っているようで何度か坊主頭を撫でた。男の群れをかき分けて、昌司の前に出たのは、着物をきちっと着こなした年増の女だった。化粧は濃いが品があり、おくれ髪のない額も項も艶やかだった。背中から首まですらりと伸びているが、見た目以上に歳は上かもしれない。
「うちは大阪西成、千条組組頭の妻で長谷川千鶴子です」
 女は頭を深く下げた。昌司は「どうもご丁寧に」と返事をしたが、大阪のヤクザの女から仁義を切られる筋合いはない。千条組とは名前くらいは聞いたこともあろうが、今までなんの関わりも無かったはずだ。見れば一人で来ているようだし、不可解であった。
「本日は、急な訪問失礼いたしました。実は、カタギの妹のことでご挨拶に伺いました」
「妹・・・・・・」
 昌司は息を止めて女を見た。似てはいないが、確信はした。
「うちと妹は戦前、生まれの秋田から関西まで売られ、生き分かれてました。うちは新地で娼妓を経て今の旦那に引かされました。戦争があって、終戦直後、妹と会えたんです。神戸へ少し移ってましたさかい。また別れたものの、終戦のゴタゴタやら、うちとこの小競り合いやらでそっからは妹に会えずでした」
 女はそこで一度言葉を切り、感情の高ぶる瞳で昌司を見つめた。
「あれから何十年も経ちましたが、妹は言うてました。あんたさんに、一度は心細い気持ちを励ましてくれ、命を捨てることも思いとどまれたと。二度目は焼け野原の中、助けていただいたと。それからは妹の消息は絶たれましたし、恥ずかしながらお探しするのに時間がかかりました」
 昌司は口元に手を当て、偶然の重なりに立ち尽くした。なんという日だろうか。しかしこの女は、果たして妹がすでに亡くなっていることを知っているのだろうか。そしてこのアパートに、その娘と孫が住んでいることも。おそらくどちらも知らずに、神戸へ来たのだ。何が悪くてこうなったのだろう。奇しくも二人とも花街から抜け出せたというのに、引き裂かれたままでいた。国だろうか、凶作だろうか、戦争だろうか、姉の生業だろうか。どれでもない。しかし不遇であったと片付けるべきだろうか。
「あの、うちの妹、今はどこで何をしてるかご存知でしょうか? いえ、知らんでも、手がかりの一つでも」
 渡世のつながりから、昌司を見つけることは容易かっただろう。そしてそこから妹を探そうとしていたのだろう。
「妹さんは・・・・・・」
 言い淀んでいると、女が首を傾げる。この仕草は見たことがあった。
「あ、おった! おっちゃーん! たばこ忘れとぉでー!」
 さっき出てきた部屋から、少女が身を乗り出して昌司に手を振っている。昌司は見上げ、女と見比べた。昌司はポケットに手をつっこんで若い衆に引くよう顎で指すと、男らは頭を下げて大人しく帰った。千条組とのいざこざがあったとでも思ったのかもしれない。暫くは内輪揉めも大人しくなるだろう。
 一連を不思議そうな顔で見つめていた女の視線は、二階から手を振る少女に送られていた。一つ咳払いをして、昌司は気まずそうに言う。
「・・・・・・お姐さん、あのお宅、上がって行きませんか。大根の漬物と、茶漬けでもよばれてながらゆっくり」


(なんで、おれに優しくしてくれんだ? 怖え人かと思ったのによ)
(ん? んん、なんでやろな。お前の顔が昔の女に似とったんかもしれんし、単に気まぐれな風に吹かれただけやったかもしれんし、)
(あんちゃん、名前なんてんだ?)
(ショージや)
(それは苗字だか? 名前だか?)
(どっちゃでもええ。俺の名前は忘れえ。これっきりや)
(んだか。でもよ、おれショージって名前とあんちゃんの顔は忘れねえがら。したらよ、ありがてえって、ずうっと生きていげる気がすんだ。次に会えたら、そん時にもっぺん礼さ言うべ)
(これだけ立派なもろたら十分や。せやな、でも次会うたら一緒に食おか)

コメント(2)

<投稿者の村崎のヴさんによるあとがきがあります>

近畿6府県いつつめー!!

のヴです。

関東と関西でヤクザの文化も使う言葉も性質も違うんですね!難しかった。

ほんまは現代設定で、テキヤ系を貫く昔気質のヤクザを書きたかったんですけどねえ、「レトロ」を使いたくてねえ。

時系列としては、現在軸は昭和六十年代、回想は昭和二〜五年設定って感じです。

どす=ドス(ヤクザの武器)

おこうこ=沢庵の東北弁(関西はこんこ)

読んでくれてありがとうございます。



のヴ
<読んだ人の感想>
・話の流れが好きです。
 昌司さん、面倒見ええなぁ……

・たとえヤクザの親分さんでも運命と時代の流れには抗えない。どうしてこうなった、と独りごちながら受け入れるよりほかにない場合もあろう。しかしそれでも、運命は時に思いがけないような気まぐれを携えて僕らのもとへ顔を出す。幸か不幸か、感動か絶望か。それは時と場合による。
 悲喜交々の交じり合うリアルな世界描写、お見事。

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