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ねこると創作クラブコミュの第五回ねこると短編小説大賞応募作品No.8『swallowtail』

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 幹線道路から少し入っただけで驚くほど静かになる住宅街。
 その角を曲がった二軒目に、よく手入れをされた形のいい樹木が並ぶ喫茶店がある。

  チリ…リリン……

 ドアの揺れに合わせて、蒼いガラス玉が鉄琴を揺らす。
「いらっしゃいませ」
 涼やかな音と一緒にかけられる、やわらかな声。
「今日のコーヒー、なんですか?」
「エスプレッソ」
「…早く帰れ、と」
「ここは学習室じゃないのよ」
 喫茶店『swallowtail』…並木の中にレモンの木があるお店。

 通学バッグをカウンターの椅子に置くと、特注のカプチーノを注文して身を乗り出す。
「……作りにくい」
 計量した極細挽きのコーヒー豆をホルダーに乗せたまま、爛々とした視線の送り主に聞こえるように呟く。
「そんなぁ、いつものことでしょー?」
 言っても無駄なのは分かってるけど…、と思いながらホルダーをマシンにセットしエスプレッソを抽出しつつ、出てくるため息と一緒にフォーミングノズルの水抜きのために一瞬スチームを出す。
 先の尖ったピッチャーにミルクを入れ、フォーミングする前にもう一度水抜き。ノズルの位置を調整し、先端がピッチャーのミルクに沈んだ瞬間、スチームを全開にする。
 ノズルとミルクが触れ合うところでピッチャーを微調整して、チリチリという高い音を鳴らし続け、ミルクの泡を作っていく。
 ある程度でノズルを底まで沈めてピッチャーを傾け、スチームのみでミルクを回す。
 ノズルと反対側に手をあて、熱さで触り続けられなくなったら、スチームを止め、すぐにノズルを引き抜く。
 ノズルに付いたミルクを拭き取り、位置を戻したら最後に水抜き。
 ピッチャーを回しながら底を台に叩き付け、表面に出てきた大きな泡を消す。
 空の容器にミルクを少し注ぎ、そのあとエスプレッソをおとしたカップにゆっくりと注ぐ。
 高い位置からミルクを注ぐと、エスプレッソの泡と香りの層であるクレマの下にミルクが流れ落ち、カップ全体にクレマの茶色が広がっていく。
 8割方で低い位置にすると、今度はミルクの泡が表面に浮いた白い層が広がっていく。
 カップいっぱいに注いだところで、再びピッチャーを高くして、反対側の縁まで移動させると、カップの中央にハートマークのカプチーノが出来上がる。
「はい」
「〜♪」
 泡で盛り上がったカプチーノをこぼさないようにゆっくりと運び置くと、受け取る方の目もハートになっている。
「おいしぃ〜♪」
 …と、ここまでが一連の流れである。
「で、今日は何分勉強するの?」
「もうしなーい。癒されたぁ〜♪」
 ゴッ…カウンター越しに骨があたるゲンコツをおみまいする。
「ぃっったぁいっ!!」
「あら、意外に詰まった音がするのね」

 チリ…リリン……

「いらっしゃいませ」
「よぅ、ラテ・マキアートもらえるかい」
「はい」
 入店早々に注文して来た初老の男性もカウンターに並ぶ。
「らてまきあーと?ってなに?」
「メニュー見なさい…」
「おすすめだよ。前のマスターのな」
 マキアート=イタリア語で染み。グラスにフォーミングミルクを入れたあとからエスプレッソを注ぐと、泡の表面にコーヒーの染みのような模様ができる。
「ミルク多めで甘いし、作るのも楽だから、だそうだ」
 はっはっはっ、と軽快な笑い声に合わせるように、笑顔でフォーミングする。
「お待たせしました」
 透明なグラスに泡が溢れるほど注がれたラテ・マキアートをカウンターに置く。
「うわぁ…」
 上に集まった細かい泡が、エスプレッソの茶色に染まったミルクの層に溶けていく様が見え、目にも美味しい。
「……うん、うまい」
 ゆっくりと安堵のため息を吐く男性を見ていれば、飲みたくなるのが人間である。
「あたしも飲む!」
「…マキアートでいいの?」
「飲む!」
 年相応の輝く瞳を見て微笑む一同…の中で、エスプレッソを淹れながら口元に妖しさが漂う。
「はい」
 出て来たのは小さなデミタスカップ。
「ん?」
 自分の目の前に置かれたカップと、隣のグラスの間で何度も行われる視線の往復運動。
「……ん?」
 自然と傾く首。
「マキアートよ。飲みたかったでしょ?」
「へ?え?」
「早く飲みなさい。エスプレッソもマキアートも長い時間かけて飲むものじゃないから」
 急かされるままに一口飲んでみる。細かく泡立った、温かくて甘いミルクを感じると同時に襲うエスプレッソの苦みと酸味。
「!!☆@□●√★▽??」
「まだマシな方よ、ミルクの甘みがあるんだから」
 そういう意味ではマキアートは、エスプレッソの入門編と言える。しかし、本場イタリアではエスプレッソにシュガースティックまるまる一本、約8gを入れ、三口で飲み干したあと、底の溶け残った砂糖をスプーンですくって食べるという大人のスイーツのような飲み方をするらしい。
 必死に一口分を飲み込み、苦情を言おうとしたとき、カウンターへ揚羽蝶がひらりと舞い込んで来た。
「あら、いらっしゃい」
 さも常連客が来たかのように挨拶をする。そして当たり前のようにエスプレッソマシンのホルダーを外し、ケーキと呼ばれるコーヒーかすを捨て、新しいエスプレッソを落としだした。
 流れるようにラテ・マキアートを作ると、カウンターの端にグラスを置く。すると、それまでカウンターの中をひらひらと舞っていた揚羽蝶がグラスの縁にとまった。
「…いつも思うけどさ」
「ん?」
「追い払うどころか、コーヒー用意するよね?」
「あぁ、シンボルだから」
「シンボル?」
 それを聞いて、はっはっはっ、と静かに笑う初老の男性が話に入って来た。
「そうかそうか。それもそうだな」
「どういうことですか?」
 質問に対し、外の植木の隅を指差した。
「植木の中で、あれだけ違う種類なんだが、なんの木かわかるかい?」
「さぁ…?葉っぱが虫に食べられてるのは分かりますけど」
「あれはな、レモンの木だ」
 イタリアの南部、特にシチリアではレモンの栽培が盛んで、レモンを使った『リモンチェッロ』というリキュールまである。チーズケーキを作るときにもレモン果汁を入れ、食べるときには輪切りにしたレモンのシロップ漬けも一緒に出すほどだ。
「ミカンの葉っぱなんかを食べる揚羽蝶の幼虫が、この店ではあのレモンの葉っぱを食べる。同じ柑橘系だからなのか、毎年な」


「なんで殺虫剤撒かないんですか?」
「あのレモンの木は妻が好きでね。揚羽も好きだったんだよ」
 グラスを拭きながらマスターは呟く。
 大学の帰り道に立ち寄った喫茶店に、気付けば通うようになっていた。店の雰囲気が気に入り、ここだけ異次元のようにゆっくりと流れているような時間が好きだった。
「そんなに好きなら働くかい?」
「いいんですか!?」
「あぁ、給料は満足に出せないがね」
 個人経営ということもあって、かなりの融通をきかせてもらった。講義の時間に合わせてもらい、テスト期間中は休み。何も予定がないときは、一日中居させてもらったりもした。
 しばらくするとエスプレッソの淹れ方を教えてもらい、常連さんに腕を認められると、マスターがカウンターに入らない日もでてきた。
 常連さんと自由に語り合ったり、お気に入りのレモンの木の横で本を読んでいたり。それぐらいお客さんの入りも少なかったけど。
「あぁ、そうだ」
 呟かれて差し出された封筒。
「ここ最近、君が選んだジャズを流しているだろう?常連さんが気に入ったらしくてね。買い物に行ったときについでに見て来てくれるかい?これはその経費だ」
 ありがとうございます、と軽くお礼を言って、妙に分厚い封筒を受け取る。マスターは買い出しの経費も封筒で渡してくるから、CD1枚分だけ余分にが入っているんだろうと思って買い物に出た。
 隣駅にある行きつけのCDショップを目指して電車に乗り込む。いつものように封筒を開けたとき、白い紙が目についた。
「…えっ?」
 電車内なのに声が出て、自分で驚く。

『いつもありがとう。君のおかげで今まで生きながらえているのかもしれない。こんなに店を好きになってくれてありがとう。実を言うと、妻に先立たれてから店を畳むことも考えた。そこまで落ち込んでいたからか、それからどうも調子が良くない。医者が言うには、ストレスによる高血圧だから気に病まなくていい、らしい。だが、ここ最近は医者も驚く程改善しているようだ。それもこれも、みんな君がいてくれたからだろう。私はそうだと考えている。だから、というわけでもないが、この店を守り続けてくれないだろうか。まぁ、君の人生だ。まだ大学生だから、就職をし、結婚をし、この町を離れるかもしれない。そのときは潔く店を畳もう。遅かれ早かれ、そうなることになるんだろうから、君は気にしなくていい。大丈夫、私が死ぬまでは店はあり続けるさ。これからもよろしく。いつもありがとう。』


「あ」
 三人での談笑で気付かなかったが、カウンターの端に置かれたグラスに、いつのまにか揚羽蝶が二匹とまっている。
「おぉ、珍しいな」
「珍しいの?見たら幸せになれる?」
「運がイイのは確かね」
 笑い声で明るくなった店内で、再びスチームの音が響く。
「作ってあげるの?」
 首を軽く横に振り、口の広いカップにエスプレッソを落とす。スチームを終えたミルクを注ぎ、いつものハートを作る。
「見たら幸せになるのよ」
 おもむろに取り出したピンをハートの真ん中に差し込む。
「えぇっ!?」
 抜いて、ピンに付いた白い泡をカップの縁からハートのくぼみに向けて弧を描く。それをもう一回して、あとはピンを拭きながら、カップの縁からエスプレッソの茶色を引き入れる。
「ぅわぁ……」
 カップに浮かんだ真っ白な蝶。
「はい、三匹目」
 そのカプチーノを揚羽蝶の居る端に置かずに、三人並ぶように置いた。

 チリ、リリリン……

「いらっしゃいませ」

コメント(3)

<投票者の感想>

・いつも変わらない、のどかな風景。
何でもないようなことが幸せだったと思えるのは、過去に何かがあったから。
辛さや痛みを乗り越えたからこその幸せというのは、確かに存在する。"

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