ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ねこると創作クラブコミュのねこると"SF"大賞 応募作品No.5『SF』

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 甲賀は、その昔忍者の里として名を馳せた。
「甲賀流」としての単一の流派はなく、あくまで甲賀に伝わる流派の総称をそう呼ぶ。現在の甲賀市、湖南市が拠点であり、現在でも甲賀忍者の子孫は忍術帳をひっそりと受け継いでいる。

 違和感は感じなかった。それが自分の義務であるかのように受け入れ、学び、励んできたのだ。
 今でも間違いであったとまでは思わないが、流石に自分の将来を見据える年になれば何をしていたのかと疑問にも思い、また羞恥心すら感じる今日この頃である。
 生家のことは誰にも言えない。自分が甲賀忍者の末裔であるなどと。
 一人暮らしのアパートを出て、きつい日差しの中、律は足早に大学へ向かった。甲賀流の一派を受け継ぐ者としてこの世に生を受け一九年。幼少期より祖父や父の修行に耐えてきた。それが一般的でないと知ったのは父の仕事が忍者ではなく薬剤師であり、忍術のことを内密にしなければいけないときつく言われた頃である。
 ――ほななんで修行してきたんやって。
 と思うのは当然である。祖父からは「来るべき時に備え、我々は継承してゆくのである」と言われたが、江戸時代が終わって百五十年である。もう衰退しても良い頃ではなかろうかと思い初めて数年が過ぎた。
 現在は修行も終え、自分も薬剤師を目指す一介の女学生であるし、忍者家庭の事をそろそろ忘れても良いだろうと、思う。しかしそれは脈々と受け継がれてきた忍の本能であろうか。小さい頃からドッジボールでは余すことなく全てのボールをかわし、交戦することを嫌った。また仕える者として人から依頼・命令されたことは迅速かつ正確にこなしてみせるのである。そして火薬や薬物の調合を得意とする甲賀忍者としての才覚を発揮し、得意科目は科学であった。自分はこの運命から逃れられないのだと腹を括った所も、どこか使命を敢行する忍の本能を思わせる。
 立ち止まり、開店前のショウ・ウィンドウに映った自分を眺める。普通の女学生に見えるだろうかとそれなりに服を選んだり、人から「隙がない」と言われる目つきを隠すために眼鏡をかけたりしている。普通がよくわからない律にとって、鏡に映る背の低いポニーテールは忍の修行を積んだ杉谷律という自分でしかないのである。

 甲賀の里を出て一人で暮らし始めてからも、やはり律は自分の境遇と、また後世に受け渡してゆかなければいけないという重圧にため息が止まらなかった。
 琵琶湖を右目に見ながら蝉の鳴き声を聞いていると、スーツ姿の男がぼんやりと湖面を見つめているのが見えた。平日の朝から仕事もせずに、と思って過ぎ去ろうとした。すると男の立位が崩れ、体が湖面に吸い込まれた。水に落ちる状況を判断するより先に、律の体は地面を蹴る。肩に掛けた鞄を捨て、羽織った夏物カーディガンを脱ぎ、柵を飛び越えて湖面に身を躍らせる。
 湖面に僅かに浮かんだ上着を掴み取り、思い切り引き上げると、先程の男の顔が浮かんできた。男は口から水を吐き出した。律は訳がわからないまま男とともに岸へ上がり、呼吸を整える。
「大丈夫ですか?」
 水を吸って重くなった上着を脱がせながら、律は咳をする男に声をかけた。前髪が顔に張り付いているが、色白で細面な男はいかにも繊細そうであった。その割ににやけた印象がないのは、どこか品のある雰囲気のせいであろうか。
「光圀」
 走る音が近づいてくるのが聞こえてきて、それは律と男の前で止まった。足音の主は長身でスポーツマン風の男で、前髪は上げており、三白眼はヤクザな商売を思わせる。こちらは男の知り合いの様子だが、同じ部類の人間にはやはり見えなかった。長身の男は身をかがめ、ずぶ濡れの男を覗き込んだ。覗き込まれた男はくしゃみをし、その時右の鼻から藻が飛び出した。
「助けてくれてありがとう・・・・・・君もずぶぬれになってしもうたね」
 物腰の柔らかそうな声音に、律は住む世界の違う人間だと、忍の本能で悟った。律は俯いて「いいえ」と返す。律は早く退散しようと、投げ出した荷物を拾い、「じゃ」と言った。
「おう、ちょぉ待たんかい」
 低い、威嚇するような声が律を呼び止めた。
「な、なんですか」
「おおきに、ツレが助かったわ。ぼおっとしとるさかな。これクリーニング代じゃ。もろとけ」
 そう言うと角の尖った五千円札を渡してきた。物言いは乱暴だが義理堅い人間らしい。だが、関わりは避けたい。
「あの、大丈夫です。なんでもないんで」
「なんどい、子供が何気を使うとるん・・・・・・ん?」
 三白眼がしっかり律を捉えた。目が合ってしまい、律は文字通り蛇に睨まれた蛙になる。
「お前・・・・・・どっかで見たことあるの」
 まずい展開だ、即座に判断し、「さいなら」と言い捨てて律は背を向けて走り去った。

 ずぶ濡れのまま大学へ行くこともできず、一度家へ引き返した。シャワーを浴びて髪を乾かしていると、インターホンが鳴った。新聞か、宗教勧誘かと思ったが、玄関先で「わしや、律―」と子供の頃から聞きなれた声が入ってきた。
「お父ちゃん?」 
 見慣れた中年の男を招き入れようと、律は玄関を開けた。
「・・・・・・あ」
 律と同じく背が低く、垂れた人の良さそうな眉は誰しも忍者と思わないだろう。いかにも町の薬局さんという風情だ。その男の後ろに、先ほど琵琶湖から救出した男と連れ合いの男が立っていた。
「あ」
「どうもー」
「入るで、律」
 見た目より押しの強い父は律を押しのけ、部屋にずかずかと入ってきた。適当に座布団やクッションを三人分用意し、律はカーペットに直に座した。
「聞きたいことはいくつかあるんやけど・・・・・・」
 口を開いた律に、父親は左手を前に出して制した。
「夏休みはバイト探したい言うてたやろ」
 一番聞きたい内容を大きく外れた発言に、律は口をポカンと開けた。
「給料のええ仕事やし、知り合いやからお父ちゃんも心配ないし、何より忍の仕事ができるんやぞ。――申し遅れました。この子が私の娘で、杉谷律です」
 父は二人の男に向き直り、律を紹介した。知り合い、という言葉に、律は後ろの二人が父と何らかのつながりがあるのだと察した。そして忍の仕事ということから、依頼主もこの二人で、恐らくは優男の方が主君となる人間だと感じた。ここまでは律の忍の勘だ。父は優男を手で指し、言う。
「こちらは澤ノ郷光圀様や。京都を拠点に活躍する大会社の御曹司で、実は何百年も前に我らの一族は澤ノ郷家に仕えとった。今回ご依頼があったのも、そのつながりがあったからや」
 何百年単位の話が飛び出してきて、律は目を見開く。ついて行けない。次にヤクザ顔の男を指した。
「こちらは光圀さまの仕事の補佐をしている、芦屋千太郎様。本業は陰陽師や」
 律は一歩膝を乗り出した。
「え、なんで? なんで陰陽師? わかるように教えて」
 父は天井を見上げながら眉間を掻いた。
「光圀様は霊媒体質でな、要は妖やとか、人間以外のもんに狙われやすいお人なんや」
 そこまで話してから、芦屋という男が「それは俺が」と一歩膝を寄せてきた。三白眼が律を睨む。
「杉谷も芦屋も、代々澤ノ郷に使えて主を守ってきた。京都はただでさえ鬼が集まりやすい土地や。話せば長ぅなるが、澤ノ郷は都でも重要な立ち位置やったんやが、魔に好かれやすい一族やったんや。陰陽術で魔を払い、忍術で影ながら主人をお守りする。そやけどそれは俺の先祖が京都に結界を張ることで守護をする必要はなくなってったんや」
「それが今なんで私らが出なあかんのよ」
「結界が崩れた。結界を貼ってから、俺らの先祖は播磨の里に帰ったんやが、それから数百年、地形の変化や人為的な理由で結界の効果が弱なってきたっちゅうことや」
「メンテナンスを怠ったわけやな。それやったらまた張り直したらええんちゃうの?」
 律は黙っておられず、芦屋に割り込んだ。芦屋は不機嫌そうに眉を歪め、口角から言葉をねじり出す。
「簡単に言うなや。張るんにも時間と手間がかかる。俺ら芦屋は四方に別れ、京都の広範囲に結界を張る準備を始めた。半永久的に持続する結界の準備や。俺は大津のこの地に結果の拠点の一つを収めるため、國光とともに訪れた。準備中は光圀の体が一時的に結界から守られん。その間、俺が一緒におることになったんやけど、どうも俺一人では部が悪い。そういうことで杉谷亮殿に連絡を取ったわけや」
 亮とは甲賀流杉谷の現当主の名前であり、娘の目の前で欠伸を噛み殺しているこの父のことである。つまりは琵琶湖にうっかり落ちてしまうほど一見ぼんやりしている御曹司をもののけから守るための結界を張るに当たり、ボディーガードとして陰陽師一人では手薄になるため、甲賀流に助けを乞うたということまで、律はなんとなく理解した。
「そうかて、私らは戦闘員ちゃうで」
「敵と戦う必要はない。それは俺らの領分や。お前は光圀をさっきみたいに助け、身を守るだけでええ」
 簡単に言ってくれる、と律は思った。「なんや、三人とも知っとるんか」ときょろきょろする父を無視し、律は芦屋を睨めつけた。
「不満そうやな。女の、しかもガキには荷が重いか」
 芦屋は顎をあげ、律を見下げた。律は奥歯を噛んで視線を返す。するとさっきまでただにこにこと黙っていた光圀が電卓を手にして律と芦屋の間に割り込んだ。
「まあまあ、律ちゃん。色々気に食わんことはあるかもしれんけど、夏季の短期バイトやと思って気軽にしてみぃひん? そうやな、期間中は僕が大津に身を置いとるから、その間寝泊りはうちのオフィス、食事は三食つけるわ。不自由があるんやったら出来る限りでどないでもするし。結界が張れるまでやから無期限でしか対応できんけど。あ、あとこれうちの会社で作ってる新商品の旅行用の簡易枕。めっちゃコンパクトやろ。空気でふくらませてな。まあそんなこんなで・・・・・・日当これくらいでどないやろ」
 操作した電卓の液晶画面を律の顔の前に押し出す。律はその数字を見つめ、目を丸くした。にらめっこをしばしつづけた後、律は座り直し、背筋をぴんと伸ばした。
「喜んで御身を守らせて頂きます、光圀様」

 荷物を簡単にまとめ、澤ノ郷の出張オフィスに訪ねる。
「そういえば何してはる会社ですの? 耳にはしますけど」
「まあいろいろやなあ。はい、お入り」
 光圀は答えずに、三階建てビルのオートロック玄関をカードキーで開けた。話を躱された気はしたが、それを知ることに律は大した意味は持たないと感じ、黙った。
 寝泊まりしても良いと言われた部屋は、仮眠室のようなものだろうとタカをくくっていたが、そこらへんのビジネスホテル並の設備が揃えられた一室であった。
「うちね(自宅)より広いかもしれん・・・・・・」
「あたりまえじゃ、ボロアパートと一緒にすなダボ」
 布団を担いできた芦屋がぼそりと言って乱暴にベッドメイキングを始めた。
「なんであんたそんな口悪いねん!」
 この男は初対面から粗暴で気に入らないと思っていた律は仁王立ちになり、自分よりも二十センチは差があるだろう相手を真っ直ぐ見上げた。芦屋は何かを言いかけたがすぐに口を結び、フンと鼻を鳴らした。
「俺の部屋は隣やからなんかあったら言え」
 事務的な物言いに、律は地団駄を踏みたいのを堪えた。

 光圀の仕事場所は三階をいっぱいに使った部屋である。中央奥に重厚な机が置かれており、その上には書類やファイルの束が崩れんばかりに山積みになっている。絨毯の毛が長いところ以外はいたって殺風景だと、改めて挨拶するために覗いた律は思った。
「あ、荷物片付けた?」
 バイト代もそうであるが、何より律はこの男が全身から放つ人柄が好ましかった。芦屋との対比かもしれないが、高からず低からずの背を丸めず、前を向いて歩く横顔は真摯な姿勢を感じる。時折見せる柔和な笑みはいやみたらしくなく、他人行儀とも見えない純粋なものであると分かる。所作の一つ一つは優雅であるが女々しくなく、イギリス貴族の風情があった。律は扉を後ろ手で締め、腰から深く礼をした。
「あの、よろしくお願いします」
 こちらこそ、と光圀は椅子から立ち上がり、頭を下げる。その時、一瞬の揺れを感じたと思ったら、光圀の背後の窓からガラス片と衝撃波が襲う。律は地震がと思ったが、何かが窓より侵入したのだと感じた。光圀の傍に行こうと入口から走り出す。光圀はというと始めの揺れで後ろに倒れ、尻餅をついている。律が駆け寄ると、呑気に「びっくりしたぁ」と言いながら背広についたガラス片を払った。近くにいながらガラスで怪我はしなかったらしい。律は自分の着ていたパーカーを脱ぎ、光圀に被せた。
「とにかく出ましょう」
 肩を抱えながら立ち上がるが、律はその動きを封じられた。窓ガラス四枚をブチ抜いた侵入者はその長い胴を部屋一周させ、鎌首を持ち上げて二人を睨んでいる。体長は分からないが、部屋を一回りでは足りず、窓にからまだ長い胴が続く。蛇かと思ったが、鱗は黒く光り、黄色くぎらぎら輝く目と、頭部から背にかけて伸びる体毛。全体に苔むしており、長い年月を生きてきたと思わせる。現実離れした光景に、律は恐ろしさより畏れを思った。
 ――うごけへん。
「何しとぉねん!」
 重厚な扉を蹴破り、芦屋が入室する。目の前の大蛇に奥する風なく、「こんな時に」と悪態をつきながら呪符のようなものを唇で咥え、手で印を結んだ。大蛇はびくりと巨体を揺らせ、ゆっくりと芦屋の方を振り向いた。
「動きを封じる。離れえ!」
 律は黙って頷き、光圀を抱えるように窓の近くに連れ出す。丸太のような胴が伸びる窓際まで来たところで大人三人で抱えるほどの大蛇に乗り上がり、光圀の手を引いた。
「滑りますよ!」
 顔をこわばらせながらも光圀は頷き、飛び乗った。胴は律の予想通りなだらかに坂を作り、地上まで降りている。巨体は驚く程長く、二人が降りた場所よりまだ先に尾があるようである。尾の先は見えない。ビルの裏は松林で、その奥に琵琶湖が寝そべっている。松林の奥に伸びる長体は、琵琶湖まで続いているのかもしれない。
「なんであんなんが光圀様を狙うんですか?」
 律は息切れをしている光圀に尋ねた。
「僕のご先祖はなんや妖に恨みを買うようなことをしてきたみたいで、その血を受け継ぐ僕を狙うてんねやと思う。僕は一族の中でも特にそないなん引き寄せるみたいで」
 難儀なことだ。場慣れしている風をみると、芦屋や結界に守られてきたとは言え恐ろしい思いも今までしてきたに違いない。おいたわしや、と律は思った。
 がしゃん、と再び耳をつんざく音が頭上より聞こえた。ガラスの破片と、大蛇が身をよじらせながら頭を振り下ろして来るのが見えた。芦屋の術を振りほどいた様子である。律は松林に駆け込んだ。大蛇は鎌首を持ち上げ、しゃあ、と鳴いた。身震いするほど不快な音だった。すると裂けた口から炎が吹き出し、それを逃げる二人の背後に吹きかけた。律は迫り来る熱風を感じながら、パーカーを頭から被らせ、琵琶湖まで光圀を連れ出す。案の定、大蛇の胴は湖面に続いている。周りにいた釣り人などは悲鳴を上げながら逃げている。振り向くと、大蛇が再び炎を吐き出そうとしているところであった。湖に飛び込むのは危険だ。身動きが取りづらくなる。何より敵の陣地に飛び込むようなことになってしまう。考えていると、大蛇との間に人間が躍り出た。芦屋である。何枚かの呪符をばらまくと、三人の前に吹きかけられた炎は青くなって消えた。
「お前、小娘! あいつの頭乗れるか」
「はぁ?」
「脳天からこいつを刺して封印する」
 芦屋はジャケットから小太刀を取り出した。
「どっから取り出してん! そやさか忍は戦闘員ちゃうんやって!」
「消去法でお前しかおらんやろ! 炎から光圀守れるんは俺だけや」
 律は頭上の鎌首を見上げた。しゃあ、と鳴き、こちらとの間合いを図っているように頭を揺らせている。
「・・・・・・高すぎる。頭が下がるきっかけがあれば」
「これ使てみい」
 芦屋は一枚の札を取り出した。
「咥えながら頭で念じたものが幻覚になって見える。一回だけやぞ」
 律は何秒か考え、芦屋から札と小太刀を受け取った。「すみません、一回返してもらいます」と言って、光圀に掛けたパーカーを剥ぎ取り、羽織った。
 律は二人から離れ、湖の左側に走った。やはり動くものに敏感なのか、大きな蛇は律に注意が逸れた。
数十メートル離れてから、律は札を咥え、目を閉じた。大蛇は律と芦屋たちを交互に見ており、攻撃の隙を狙っているようであった。
 律が目を見開くと、背後に大蛇と同じ姿で、半分位の大きさの蛇が現れた。大蛇の関心は完全に律の方に向いた。ゆっくりと頭を律に近づけてゆく。その時、蛇の幻影が消え、律だけが残された。
 芦屋はまずい、と呟いた。
「律ちゃん!」
 光圀が叫ぶが、律はゆっくりと迫る大蛇と睨み合う。
「来いや!」
 律の言葉が通じたのかわからないが、一度大蛇は動きを止め、下をちろりと出して律に突進してくる。だが律は動かない。
 巨頭は地面を叩きつけ、律も叩き潰された。頭を持ち上げた大蛇が地面を見るが、そこにはパーカーを着せられた旅行用枕が無残な姿で残っているばかりである。不思議そうにもたげる大蛇の頭上に、律は飛び移っていた。
「ホンマは人が戸惑う隙に奇襲をするんやけど、まさか蛇にも通じるとは思わんかった」
 ひび割れた眼鏡を投げ捨て、律は毛にしがみつき、膝立ちになった。鞘から刀身を出し、刃を下に向けて頭上に掲げた。
「やっ」
 渾身の力で振り下ろし、硬いものを貫く抵抗にひるむことなく、白刃を大蛇に埋めた。

 律が気づくと、雲の斑な夕空が見えていた。
「おつかれさん」
 光圀の声だった。気絶していたのだと気づく。
「傷だらけになってしもうたねえ。ありがとう」
「雇い主が礼なんて言わんでええ」
 芦屋の憎まれ口も聞こえる。妙に穏やかな声音に聞こえた。二人は律の両側に座っている。起き上がろうとするが、大蛇の瘴気にあてられたのか、動かない。
「琵琶湖に龍が住むという民話は昔からあるんやが、おそらく琵琶湖の主やったんやな。無防備な光圀が琵琶湖に落ちたことでかぎつけて、ご先祖と縁があったことを思いだしたんかもしれん、どんな縁かはしらんが――」
 光圀は困ったように頭を掻いた。律が掠れた声で呟く。
「いっつもこんな感じなん・・・・・・」
「まれやで」
 光圀が答える。結界ができるまでこんな感じでは身が持たない、と言おうとしたが、話すのも怠いのでただ黙っていた。
 光圀が飲み物買ってくる、と言ってその場を離れ、律は腕はいいかもしれない憎まれ口の陰陽師と二人になった。
「ミツは俺の幼馴染でもあるねん。危なっかしいやろ、あいつ。せやから先祖の縁故とか、そんなん関係なく俺はあいつを守ってきた。それを今回甲賀の、しかも小娘にまかせて大丈夫なんかと思た」
 あの仕打ちは幼馴染を独り占めしたい子供の嫉妬だったのか、と律は湾曲して理解した。そしてこの男も、危なっかしいと言いながら、澤ノ郷光圀という人間に魅かれた一人の人間だった。
 目を閉じ、湖面から吹く心地よい風を感じた。
「いっこ、だけ言わせて」
 律は声を搾り出す。
「甲賀は、『こうが』ちゃうで。『こうか』やから」
 芦屋が吹き出し、「スマン」と言う。缶を抱えたまま走る光圀が盛大に転け、芦屋が「べっちょないか」と立ち上がった。
 ――せっかくもろた枕、もったいないことしたな。
 蝉がやかましく夏であると知らせる。ひと夏のアルバイトは、始まったばかりである。

(テーマ:(S)滋賀(F)ファンタジー)

コメント(2)

<投稿者の村崎のヴさんによるあとがきがあります>

甲賀忍法変わり身の術!
自分でも読み返すのが嫌なくらいの出来になった。
読んでくださってありがとうございます。
<投票者のあとがき>
・アイエエエ、ニンジャ?ニンジャナンデ?・・自分もずっと甲賀(こうが)だと思っていました。
・ある意味歴史に翻弄されている律ちゃんの葛藤(?)に萌え。
・3人が犬に見えてくるのは私だけですかそうですか。
・滋賀県…というか琵琶湖人気すぎ(笑)ファンタジーバトルものが好きなのでもろヒットでした。陰陽師の人がいい味だしてました。甲賀って『こうか』と読むのか…。
・蛇や龍にちなんだ話ってとても面白いですね。大百足退治や三井寺の晩鐘など、調べてみれば琵琶湖には蛇や龍に因んだ民話が数々ありますが、このストーリーでは、光圀くんのご先祖がどのような理由で恨みを買ったのかちょっと気になるところでした。…畏れ多い。律は直感していたようです。
 光圀といえば、ご先祖じゃないですが、徳川光圀公が竜神川に飛び込んで大蛇を倒すという伝承があります。そして、夜叉姫が大宅太郎光圀に妖術で襲いかかるという演目。これらを基に読んでみると、光圀という人物は色々恨みを買っていそうですね。特に、夜叉姫は平将門の娘で、親子とも朝廷側から陰陽術で調伏されるという経緯があります。とても畏れ多いことです…。山手線伝説も然り。
 最後の締めくくりから察するに、今回のドタバタだけで終わらないってことなんでしょうね。今回より激しい戦闘か、もしかしたら、それ以上に激しい三角関係のラブコメ的展開が待っているかもしれない。
 颯爽とした大蛇退治劇。読んでいてとても楽しかったでござる。にんにん…。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ねこると創作クラブ 更新情報

ねこると創作クラブのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング