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ねこると創作クラブコミュの第四回ねこると短編小説大賞応募作品No.6『ことは』

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 夕暮れで黄金の色彩に染まる教室はとても綺麗だった。
 とても強烈なイメージで、その光景は私の眼に強く焼き付いている。
 その中で、私は、彼とある一つの約束を交わした。
「また、会える日を楽しみに待ってるぞ。約束だ」
 そう言って、彼は小指を私に差し向けた。私はそれに応え、私達は小指を強く結び合った。
 これできっと何があっても離れないような気がした。
「…待ってていてくれ」
「うん。待ってる」
 次第に私の意識が遠退いていく。
 いや、私の意識がこの身体から離れようとしているのだ。
 最後に彼の顔を見たかった。だけど、彼の姿は窓から入ってくる西日が逆光になってよく見えなかった。でも、また会えるんだ。
 私は、強くそう思った。
 きっと会える。

 *

 私の名前は、東雲ことは。十八歳。
 何かのアニメに出てきそうな変わった名前以外はごく普通の、どこにでも居るような女子高生だ。
 性格は明るい方で、放課後には仲の良い友だちとウィンドウショッピングをしたり、 ファーストフード店でしゃべりこんだり、休みの日には受験勉強をそっちのけにダーツやボーリング、カラオケをしたり、わりとアクティブに日々を過ごしてる。
 ある日、次が体育の授業で、クラスの女子が体操服に着替えて教室から校庭へ移動しようとする時のことだった。
「ことはさん、ちょっとよろしいですか?」
 後ろから呼び止められ、振り返ってみると同じクラスメートの入江さんが立っていた。
「突然ですが、ことはさんは、運命を信じますか?」
「え…?」
 余りにもの唐突さにしばらく思考停止する私。
 入江さんの口から何の前置きともなく、いきなり大きなテーマを投げかけられる。
「うーん…どうかなぁ」
「私は、ことはさんとは出会うべくして出会う関係だと思ってますよ」
「えっ、…そうなの?」
 斯くも、言葉に詰まる私。
 出会うべくして出会う関係と言われても、私はいまいちピンと来なかった。
 入江さんとは今のこの時まで会話をしたことがない。
 入江さんは、三年間ずっと人と全然関わろうとしなかった。彼女自身が存在感を消そうとしてるのか、何かをする時はいつも一人。いつの間にか、近寄りがたい存在になってしまい、クラスから孤立。結局、誰も入江さんに近づこうとする人はいなくなってしまっていた。
「しののめー! 何ボーっとしてんの。早く行こうよ〜」
 しばらく放心していると友だちに横腹を突つかれて、ぎゃっ、と声を上げる私。
「…あっ、ゴメン。ちょっと先に行ってて」
「ん? うん、わかった」
 まるでタイプの違う二人が一緒にいるところを一瞥してから、友人は校庭へ走って行った。
 きっと、珍しい組み合わせだと思ったに違いない。
 周りの女子はどう思っているかわからないけど、私は、入江さんとは仲良くなれたらそれで良いと思っていた。実を言うと、この三年間どうやったら仲良くなれるかをずっと考え続けてきた。だって、女子高生というのは今が一番輝いてる時期。友だちと過ごす時間はとても大切。友だちのいない高校生活なんて考えられない。ってか私には耐えられない。
 と言っても、お互いタイプが違っているだけにアプローチの仕方がわからなくてずっとシドロモドロだった。
「ことはさん、呼び止めてしまってすいません」
「ううん、いいよ」
「あの…実は、少しお話があるんですが、放課後にお時間頂いてよろしいですか?」
「うん、全然構わないよ」
 少し控えめでありながら、凛とした、優しげな声。
 とても丁寧な口調で物静か。落ち着きがあって、何故かこっちが謙遜してしまそう。
 黒い前髪を鼻先くらいまで長く垂らし、目元に影が落ちている。その所為で見た目が地味になってしまってるけど、よく見てみると端整な顔立ちをしてる。それでもって、細くて華奢。ブラウスからスラっと伸びた腕はビックリするほどに白い。私は、それだけ条件あれば十分だと思った。
 そういえば、入江さんってこんなイメージだったっけ。

 *

 ショートホームルームが終わり、さっきまで八時間も授業をやっていたとは思えないくらい、教室は帰り支度を始める生徒達の喧騒で埋め尽くされる。
 その放課後、私は友だちからの誘いを断り、廊下で見送ってから自分の教室へ戻った。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 教室の引き戸を開けると、入江さんが一人待っていた。
 夕日で橙色に映え、教室の中はとても綺麗だった。整然と並ぶ机の一つ一つが鏡のように照り返し、天井、壁、黒板、全てのものが黄金色に溢れてすごく神秘的。
 いつもは、この教室でごく普通に授業を受けたり、友だちと楽しく会話をしているのに、放課後では全然様子が違って見える。そして、妙に感傷的な気分に捕らわれるのはなんでだろ。
 それに、この光景、どこかで見たような…
「コーヒーでいいですか?」
「え、あ…、いや、お構いなく…」
「せっかくなので構って下さい」
「…頂きます」
 私は、教室のど真ん中の席でお互いに面が向きあうように座った。
 そして、彼女から半ば強制的に、何処で淹れたか分からないお茶を受け取る。飲もうとするけどすごく熱くて上手く喉を通らない。
 入江さんは熱くないのか、平気な顔をしてコーヒーを飲んでいた。
 それにしても、まさか高校三年目にして、こうやって普段会話をしない人と会話をすることになるとはね。すごく不思議。だけど、別段話すようなことがなく、私は話題を探っていた。
 すると、そこで入江さんが口を開く。
「ことはさんは、この教室の光景を見て無意識に感じ取ってるはずですよね。どこかで見たような感じだな、と」
「ぶーッ!」
 私が口を付けるティーカップからコーヒーのしぶきが舞い上がる。
 全く以て図星。同時に、私は入江さんの発言に身震いするものを感じた。なんか背筋がゾワゾワーと来る感じ。まるで、心霊現象を目の前にしているかの…。
「…なんでわかるの?」
「その質問には追々答えようと思います。とりあえず、私の話を聞いて下さいませんか?」
「…? …うん、わかった」
 私は入江さんに訝りながら頷いた。
「私にとっては、この教室はとても思い出深いところなんです」
「そりゃあ、友だちとの思い出がいっぱい詰まってるからね」
「ええ、そうですね。…ですが、私の場合は少しその意味合いが微妙に違います。そしてことはさんにとっても」
「私にとっても? …どういうこと?」
「この教室は、私とことはさんを強烈に結びつけています。ある運命によって」
「……運命?」
 入江さんは、はじめにも運命という言葉を使ったけど、私は、二人の関係をその言葉で結びつけようとする入江さんの意図がよくわからなかった。私の意志がその運命に組み込まれているのかどうかはわからないし。確認しようがない。
 そもそも運命って言葉は、運命を感じた人が後付にする言葉に過ぎないんじゃないかな。
「じゃあ、その運命によって、私と入江さんはどのように関係してくるの?」
 ちょびちょびと少し温度が下がったコーヒーに口をつけながら、私は尋ねた。
 私の質問に、入江さんはしばらく中空を眺める。一体どのような言葉が返ってくるだろう。私はロマンチックな答えを期待してみた。ちょっと意地悪く、ね。
「簡単に説明すると、私はこの時代の人間ではありません」
「そうなの?」
「…って、あんまり驚きませんね」
「うん。まぁね」
 もう突っ込みどころ満載すぎて、何処をどう突っ込めばいいのだか。今でこそ、SF小説や漫画でも流行らない、『この時代の人間ではない』発言。さて、次は宇宙から来たと言い出すのだろうか。
「実は過去から来たんです」
「ああ、良かったぁ。宇宙人じゃなくて…」
 私はからかい半分で言った。
 だけど、入江さんはそれを聞き流すかのように頷いてから話を続ける。
 なんだかオトナな対応だ…。ちょっとムッとする私。
「ことはさんは気づいていないと思いますが、私はことはさんの力に呼ばれてやって来たんですよ」
「……」
「この教室は、過去と未来。私とことはさんが共通に繋ぎ合う場所で、お互いの意識が交わり合う世界でもあります。私は過去の人間だから、一歩もこの教室から出ることはできません。何故なら、その力が及んでいるのがこの教室の中だけだからです」
 荒唐無稽。
 その言葉がぴったりと合う話であった。
「この教室では、ことはさんが感じる事は私が実際に感じたことであり、私が感じた事はことはさんが感じることでもあります」
「ごめん。よくわからない…」
「さすがにそうですね。では、実際に体験してみましょうか」
「えっ?」
 入江さんは、そう言うと私のおでこに手を宛てて、そのまま下に撫でるようにそっと私の眼を瞑らせた。
「何か入ってきた感じしますか?」
「…う、ううっ!!?」
 入江さんの言葉通り何かが入ってきた。
 何なんだろう…。何と表現すればいいのかな。
 テレビ映像を古いものから順に一気に早送りをしたような感じが、入江さんの手を通じて入ってきたのだ。
「どうですか?」
「…こっ、これって、何なの?」
「私の記憶です。ほんの一部ですが」
「えーっ! ちょっ、これっ。えーっ!? マジでぇ!?」
「今は単なる映像としてしか捉えることはできないと思いますが、私とことはさんが完全に同調すれば、記憶を共有することもできます。もっとも、そんな力は私にはありませんが」
 私の頭の中に入ってきた映像の中には、学生運動、東京オリンピック、大阪万博、どれもこれもテレビのドキュメンタリー番組で見たことがあるものばかり。
 それまで自分の記憶にはモノトーンのイメージしかなかったけど、それらがすべて色合いのある記憶として置き換えられてしまったのだ。
 私が困惑してる間にも入江さんは話を進める。
「私はこの教室で、ずっと付き合っていた恋人から婚約されました。丁度今みたいに教室の中が黄金色に輝いていた時分です。その光景はとても素敵でした」
 そういえば、この黄金色の光景、私も前に見たことがあるんだよね。
 そのイメージはとても印象的で、頭の片隅に残ってる。
 私は確か、この教室で誰かと約束をしたんだ。
 誰とだっけ?
「この力は、日が沈むと同時にどんどん衰えていきます。だから、もう時間がありません。この機を逃せば、おそらく私たちはずっと後悔するでしょう。私自身もなりふり構っていられないのです」
 後悔って何?
 入江さんの目的は一体。
 私は眼を瞑ったまま、入江さんの話に耳を傾けていた。
「これを最後に私の力は完全になくなります。けれど、ことはさんの中にずっと残り続けます。世代を超えて」
 入江さんの言葉はあまり穏やかではなかった。
 この時の私はあまり、その言葉の意味が理解できなかった。
「これから、ことはさんに真実をお見せします。意識を私に集中させてください」
「…うん」
「今から、ことはさんの意識を私の身体と同化させます。きっと出来るはずです」
「…どうなるの?」
「眼を瞑ってて下さい」
 何が何だかわからないが、とりあえず私は半信半疑ながらも入江さんに身を預けることにした。
 私は眼を閉じたまま、意識を入江さんに集中させる。
「……」
 えーっと、意識を集中させるって、どうすれば…
 と、思っているうちに、次第に入江さんの手のひらが熱くなっていくのを感じ、頭がほゎーんとしてきた。
 すると、眼の前…いや、瞼の裏側で、色んな色の得体の知れない粒々が波紋のように広がったり縮んだりし始めた。まるで抽象画のアニメを見てるみたい。
 それらが混ざって重なりあい、ジューサーにかけられたかのように一つの渦を生み出していく。
 やがて渦の中心に光が集まり、そして、その光の向こうに映像が映し出されたかと思うと、次の瞬間、私の意識がその映像の方向にヒュンと飛ばされる。

 *

 意識が飛ばされたかと思うと、いきなり、カーキ色の服を着た男性の姿が目に飛び込んできた。
「…千鶴、儂ァ戦地へ行くことなった。もう、生きて帰ってくることはないだろう」
 男性は私に向かってそう言った。
 えっ???
 唐突のことでしばらく状況が飲み込めない。辺りを見渡して状況を確認しようとしたけど、体が言うことをきかない。
 どういうこと…?
 男性は、ただ、悲壮感漂う声でそう言った。
 私はどう言葉を返せばいいのかわからなかった。
「そんなことってないわ…」
 私以外の女性の声が、頭の中に木霊するように聞こえた。私が言ったんじゃない。私の意識ではない別の意識が、そう言ったんだ。私のようで私ではない感覚。
 どうやら、私は知らない女性と同化してるみたいだった。
 同化した人の声が震える。
「茂さん、必ず帰ってきて…」
「儂ァ、戦地で華やかに散るんだ。その覚悟ももちろんできている。千鶴、これを儂の形見代わりに持っていてくれ」
 千鶴という女性は、茂という男性から袋のようなものを受け取る。その中を見てみると、彼のものと思われる髪と爪が入っていた。この様子だと、本気で戦地で死のうとしてるみたいだ。
 その途端、千鶴の鼓動が早くなり始める。
 次第に体が熱くなっていく。動悸もしてる。焦ってるんだ。
 それに呼応するかのように私の鼓動も早く打ち始めた。胸が苦しい…。
 頭の中に、自宅のベッドで療養中のおじいちゃんの顔が浮かんだ。
 茂。
 …茂とは、おじいちゃんの名前だ。
 この男の人は私のおじいちゃんなの?
 何処か面影がおじいちゃんだった。いや、間違いない。ナキボクロが動かぬ証拠。
 そして、千鶴という名前。これはおばあちゃんの名前だ。旧姓はたしか入江。入江千鶴。
 お父さんの話では、私はおばあちゃんの生まれ代わりだったと…。
 過去と未来。
 夕暮れの教室。
 運命。
 綾取りが一本ずつ解かれていき、やがて一本の糸が現れる。
 入江さんは、私のおばあちゃんだったんだ。
「…茂さん…」
「哭くな。お前がそんなことでどうする」
 止めなきゃ。止めなきゃおじいちゃんが死んじゃうよ!
 しかし、私の意識とは裏腹に、おばあちゃんの身体はおじいちゃんを止めようとしなかった。
 おばあちゃんの身体が震えている。顔に手のひらを宛てて、込み上げてくる涙を隠しているようだ。私も悲しくなった。
「じゃあな。達者で暮らしてくれ」
 おじいちゃんはそう言うと、踵を返し、そのまま教室を出ようとした。黙ったままその背中を見つめるおばあちゃん。いつ止めるの。今でしょ!
 おばあちゃんが顔を上げた瞬間、私は夕日の空がどんどん藍色に染まっていくのを見た。
 入江さんの言葉が頭を過ぎる。
 確か、日が沈むにつれて力が無くなっていくような事を言ってた。
 だとすると、もう時間がない。
 その時、私の頭の中は嵐のようにざわざわと揺れ動いていた。
 日が沈むと同時におじいちゃんは死んじゃうんだなと、そんな予感がした。
 嫌…
 それは嫌だッ。

 バン!!

「ん?」
 何かがぶつかる音がして、おじいちゃんは後ろを振り返った。まさに教室のドアに手をかけようとした瞬間だった。私は、無意識におじいちゃんから受け取った袋を机の上に叩きつけていたのだった。
「千鶴…、お前何をッ!!」
 おじいちゃんが若い声で激昂した。眼は釣り上がり鋭い眼光で睨まれ、とても怖かった。戦時中の男子はこんなにも迫力があるんだと今改めて思った。
 だけど、私は負けじといきり立った。とにかく一心不乱だった。
「おじいちゃんのバカぁぁッ!!! おじいちゃんは、まだ生きてる! 死にに行くようなこと言わないでよ!! 死んじゃったら私は生まれて来ないんだよっ! 無駄に死なないで!!」
「……」
 おじいちゃんは、私を見て訝った。
 何が起きたのかわからないという様子だった。
 私も訳が分からなかった。おじいちゃんを止めなきゃと心の中で無意識に思ったことが、おばあちゃんを通じて口から出てしまったんだ。
 しばらくの沈黙の後、おじいちゃんが困ったような眉間をしてからつぶやいた。
「……千鶴?」
「……あ…」
「お前、千鶴じゃないのか?」
「…!」
 図星すぎて心臓が飛び出そうだった。 
 おじいちゃんはこっちへ歩いてきて、私の両肩…いや、おばあちゃんの両肩を掴み、ズイッと私(おばあちゃん)の顔を覗き込む。
 その瞬間、私は何となく視線を逸らして俯いた。なんかばつが悪いような気がするけど、この時の私はそうせざるを得なかったのだ。とても複雑な心境。
 変な汗が吹き出そうだ。
「お前、さっきおじいちゃんって言ったよな?」
「う…うん」
「儂には分かる。今のお前は、千鶴じゃない。そうだろ?」
「えっ…」
 私はまた面食らってしまった。
 上目遣いに恐る恐る顔を上げる。おじいちゃんは、私の顔を覗き込んで真っ直ぐ私を見つめていた。私はまた俯いた。
 すると、おじいちゃんは思わせぶりに微笑んで、俯く私の頭をポンと叩いた。
「儂はな、お前のことをよーく知ってる。普段のお前はいつも落ち着いてるし、感情的になって思い切ったことは絶対しないだろ。それに、何かを隠してる時は、いつも決まって儂と目を合わせるんだ」
「……」
 私は、おじいちゃんの顔を見上げた。
 顔を綻ばせてる様子だった。
 おじいちゃんの言葉は、おばあちゃんに向けての事だったんだろうけど、何故か不思議と私自身にも向けられてる言葉のような気がした。なんかすごく安心だった。
 先程まで、はち切れそうなほど早く打ってた心臓が、だんだん落ち着きを取り戻していく。
 私は、答えようによってお母さんやお父さん、そして私自身の存在さえ左右してしまうんじゃないかと、そういう思いがして何も答えられなかったのだ。だけど、実際おじいちゃんはまだ生きていて、私も存在してる。
 おじいちゃんは、おばあちゃんを信頼してる。それほど、おばあちゃんの事を見ていたんだ。
 だから、私もおじいちゃんやおばあちゃんを信じなきゃ…。
 私は一呼吸してから、今まで抑えていた言葉を口から吐き出した。
「あの…信じてもらえるかわからないけど、実は私、未来からやってきたの…。私は…つまり、おばあちゃんとおじいちゃんの孫なんだよ」
「……おばあちゃんとおじいちゃんの孫って、…わ…儂と千鶴のか…?」
 狼狽するおじいちゃん。
「うん」
「…まさか。…こんなことってあるのか。信じられん。…だが、明らかに今の千鶴は違って見える。お前、名前はなんて言うんだ?」
「ことはって言うの」
「ことはか…。東雲ことはだよな?」
「……うん」
「そうかぁ…」
 私の名前を読み上げられて、涙が湧き出てくるような思いがした。
 まだ当惑してる様子だけど、おじいちゃんの鋭い眼光から解き放たれて、私は漸く安堵した。私のことを信じてくれたんだ。この荒唐無稽な話を。
「それじゃあ、絶対に戦地から帰って来なくてはならなくなったな」
「おじいちゃん…」
 入江さん…いや、おばあちゃんが言った言葉を思い返した。
 ホントに運命ってあったんだね。
 これは決まっていたこと。
 私はそう思った。

 ドクン!!

「うっ!」
「ど、どうした…?」
 いきなり糸を切られたかのように身体がぐらついた。その瞬間おじいちゃんが身体を支えてくれたけど、危うくそのまま後ろへ倒れるところだった。意識が朦朧とする。とても眠たい…。
 自分に何が起きたのだろうかと辺りを見渡すと、西の空が暮色に泥んでいて、今まであんなに黄金色にあふれていた教室が随分と翳りかかっていた事に気づく。
「おじいちゃん、私、もう時間がない…。そろそろおばあちゃんに身体を返さなきゃ」
「そうか。それは残念だのう…」
「絶対に生きて帰ってきてね。おばあちゃんもそう願ってる。口には言わなかったけど」
「千鶴のやつ。滅多にそういうことは言わないんだがな…」
「意地悪してるんじゃないよ。なかなか自分から言うのは恥ずかしいんだよ、分かってあげてね」
「そういうもんかのう」
 おじいちゃんは、ポリポリと頭を掻いた。
 今とも仕草そのまんまである。私は、クスと笑った。
「また、会える日を楽しみに待ってるぞ。約束だ」
「うん」
 おじいちゃんと小指を結んで約束を交わす。
 その時、既視感のような感覚が私を襲った。
 今、小指と小指に時空間を超えた不思議な糸がかかっているような気がする。
 夢と現実、過去と未来が運命という形で、お互いにつながり合ってるんだ…。
 これはスゴイことだ。私は、そのことを強く噛み締めた。
「また会えるだろう。必ず待ってていてくれ」
「うん。待ってるよ」
 橙色の夕日が、黒く切り取られた山の陰に沈んでいく。
 最後にほんの少しだけ残った太陽のてっぺんが、今にもドップリと入り込んでしまいそうだった。
 最後の一時まで、一際強く輝きながら次第に隠れていく。
 意識が遠退いていく中、私は消え入る太陽を最後までおじいちゃんと見届けていた。

 *

 私は、自宅のベッドで眠りこけていた。
 隣にはおじいちゃんが横たわっている。
 どうやら、私はおじいちゃんの看病中に眠りこけてしまっていたようだった。
 ベッドの隅に私のよだれが大きなシミを作っている。
「ぐわぁ…ッ」
 咄嗟に胸ポケットにあるハンカチを取り出そうとしたら、自分の小指が何かに引っかかって手が動かなかった。何だろうと思ってその手の先を追ってみると、おじいちゃんの小指に辿り着く。
 私の小指は、おじいちゃんの小指と強く結ばれていたのだった。
「あれ?」
 夢の中で見た光景と被って見えて首を傾げる。
 その時、私の頬が濡れているのに気づいた。自分の涙だった。
「おかしいな…」
「どうしたんだ、ことは?」
 その時、ふとおじいちゃんが目を覚まして私に問いかけた。
「おじいちゃん…。私ね、なんか変な夢を見たの」
「夢?」
「私、夢の中で、戦争に行ってしまうおじいちゃんを必死に止めようとしてたの。それがオカシイことに、おばあちゃんの身体を借りててね」
 私は涙を拭ってから、夢で見た荒唐無稽な話を打ち開けた。
「そうかぁ…」
 すると、おじいちゃんは斜め中空を見遣りながら一言呟いた。
 そして、思わせぶりに微笑んで、俯く私の頭をポンと叩く。
 頭に置かれたその手はとても温かった。
「やっと、会えたな。ことは」
「……えっ?」
 一瞬、おじいちゃんの言ってることがよくわからなかった。
 同時に、さっきまで見てた夢の中へ引き戻されるような感覚がした。
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないぞ。儂は今でも覚えている。儂は六十年前にお前と約束をしたんだぞ、ことは」
「……まさか、嘘でしょ…?」
 もう何がなんだかわからなかった。
 次の瞬間には、涙腺が壊れたんじゃないかと思うくらい猛烈な勢いで涙が溢れてきて、私にはどうすることも出来なかった。
 だって、今の今までおじいちゃんはこんな話をしたことはなかった。
 それを今このタイミングで言うなんて…。
 ズルい!
 まさに寝耳に水な話だった。
「なんで言ってくれなかったの?」
「実はな、千鶴に止められていたんだ」
「おばあちゃんに?」
「うむ。千鶴の身体にことはが宿った時、千鶴はすべてを聞いてたんだ。そして、こう言ってた。ことはのおかげで自分に自身が持てた。次は、自分が恩返しをする番だ。その時まで黙っていて欲しいと。だから、儂と千鶴はお前のお父さんやお母さんにも黙っていた。いずれ巡りあうことが出来るってな。そう信じてやまなかった」
 しばらく私は放心していた。
 私にはとてつもなく長い年月。
 それをさっきまでの出来事のように話すおじいちゃん。
 途方もなかった。
「孫が産まれてその名前が『ことは』だったと知ったときは、さすがにびっくりしたがな。がっはっはっは」
 おじいちゃんは、恰幅よく笑ってのけた。
 私は、顔を俯かせてながらおじいちゃんの懐へ飛び込んだ。

「おじいちゃんの… バカァ!!」

コメント(2)

<投稿者のゆっけさんによるあとがきがあります>

 『ことは』を最後までお読みになって頂きありがとうございました。
 とりあえず無事にみなさんの前に公開できて良かったです。
 その反面、終盤の執筆が思うようにうまく行かず、なんか中途半端な書き終わりになってしまったことにちょっと後悔してます。登場する人物像や不思議な力の正体なんぞをもっと詳らかに描写したかったのですが…。という具合に思うところは多々あるんですが、まぁそれはそれとして。また、次回に繋げれたらなと思います。
 …にしても、あとがきっていろいろ言いわけできるから便利ですね。
 また機会があれば次回の作品でお会いしましょうゆっけでしたではではーo(>□<*)ノ
<読んだ人の感想>
・読みやすかったです。じーちゃんとばーちゃんになっても変わらぬラブっていいですね。

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