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ねこると創作クラブコミュの第二回ねこると短編小説大賞応募作品No7『石の花、かがやく夜に』

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 春の夕暮れに特有なひやりとした空気を押しのけるように、町の明かりが徐々に商店街を彩り始めていた。
 身を切るような冬の北風はとうになりを潜めている。彼――成沢龍哉(なるさわ たつや)はカブのチェンジペダルを踏み込み、いつもより僅かにアクセルを開けた。
 バイト先の配達用であれバイクには変わりない。中免は取れたがバイクを買うには更なる辛抱が必要な龍哉には、日々の配達業務が楽しくて仕方なかった。
 交差点の角に『張果飯店』と書かれた黄色い看板が見える。本日の楽しみは終了だ。
 集合住宅の一階に位置する中華料理屋の前でカブを停めて裏口に回ると、短く切った髪をハニーブラウンに染めた若い女性が立っていた。彼女は龍哉の姿を見止め、お帰りなさい、と笑顔を見せる。
「あれ? お前、何やってんだこんなトコで」
 須田あさみ。龍哉にとっては大学でもこの店でも後輩である。二人ともこのマンションの二階に住んでおり、部屋が隣ということもあって殆ど妹のような扱いをしている。彼女は形の良い眉を寄せ、勝手口に目をやりながら口を開いた。
「なんかめんどくさいお客さんが来てるのよ……彫刻を売ってくれとかなんとか。イェンさんは断り続けてるみたいだけど、しつこくって。なんか気まずいから外にいたの」
 そういえば店には中華風の装飾に混じって造花のようなものが飾ってあったような事を思い出しながら、龍哉は勝手口を僅かに開けて中の様子を覗き見る。
 なるほど背の高い女性とスーツを来た男がテーブルに座り、向かい合って話しているのが見えた。
『ええ、ええ。お話はよく分かりますけれども……何度も申し上げますけれど、こちらは私の先生からの頂き物ですから、人様にお譲りするわけには行きませんの』
 女性のほうがこの店の店主、イェンである。こちらには背を向けているので顔は見えないが、口調から相当困惑しているようだ。スーツの男は口を開きかけて、気配に気づいたのか龍哉のほうを向く。
 細く、冷たい目をした男だった。彼はこちらに一瞥をくれると、イェンのほうに向き直って立ち上がる。
『……分かりました。それでは今日のところはこれで。また伺います、お時間をとらせて申し訳ない』
『とんでもありませんわ。でも出来れば、次はお食事のみでお願いいたします』
 男が鼻を鳴らして踵を返すのを見送ったイェンは、微笑みながらこちらへ歩み寄る。
「タツヤさん、お帰りなさい。二人とも、わざわざ外に出ていなくてもよかったのに」
 彼女は中国北部の少数民族の出身だと聞いている。日本に住んで長いらしく言葉はほぼ完璧だが、根が天然なのか微妙に意思の疎通が図れないこともある。
「や、それは成り行きと言うか、なんか入りにくかったというか……さっきの人、わざわざ何を買いに来たんですか?」
「ええ、これなんですけどね」
 イェンはうなずいて壁のほうへ向き直る。漢字の「福」をひっくり返した正方形の飾りの下に、石で作った緑色の花の飾りが一輪挿しに飾られていた。花びらや葉が一つ一つ丁寧に作りこまれている。
「これ、何ていう花ですか?」
「これはムーダン。日本語では牡丹、でしたっけ……翡翠の一刀彫だそうです。私の先生から頂いた物なので、正確な価値は私にも分かりかねますけど」
「ヒスイ? いいんですか、そんなすごいモノ、こんなトコに飾っといて」
「ええ。だって綺麗なものですし、皆さんに見ていただきたいでしょう?」
「いやだって、イェンさんにとって大切なものなんでしょ? こんなトコに飾っといてもし先パイとかが出来心で――」
「おぃ!何で俺なんだよっ!」
 イェンは素っ頓狂な声をあげたあさみに食ってかかる龍哉を押しとどめ、静かに微笑む。
「大丈夫ですよ。もちろんタツヤさんはそんな事をする人ではないし……私は、この花を売るつもりも取られるつもりもありませんから」
 
『では、今日はこれで……また伺います』
『いえ。いつもいつもお手間でしょうし、もうわざわざ来ていただかなくても結構ですわ』
『手間なんてとんでもない。次こそは良い返事をお聞かせ願いますよ』
 男は頻繁に店に現れるようになっていた。物腰柔らかなイェンの対応もだんだん言葉が辛辣になっているが、男は気に留める様子もない。
「イェンさん……いい加減警察とかに言えないんすか? 営業妨害でしょ、あれ」
 入り口の引き戸を閉めてため息をついたイェンに、龍哉は食洗機のボタンを操作しながら声をかけた。彼女は困ったような笑みを浮かべて、カウンター側へ戻ってくる。
「えぇ、そうですよね。一応トオルさんにはお話したんですけど――」
「邪魔するぜ」
 イェンの言葉を遮るように再び引き戸が開き、がっしりとした中年の男が姿を現した。
「あら、噂をすれば」
 長池徹(ながいけ とおる)。着崩したスーツや適当に伸ばした姿からは想像できないが、この集合住宅の管理人である。
 イェンは戸棚から紹興酒の瓶とガラスの酒器を取り出すと、カウンター席に腰をおろした長池の前に置く。彼は一杯目を一息にあおって、酒器の切子模様を眺めながらぼそりと言った。
「例の男、今日も来たか?」
「ええ、さっき。これで八回目ですね」
「俺ンとこにも来たぜ、『ここの権利を譲ってくれないか』ってな」
「……はぁ?」
 気にしないふりをしていた龍哉だったが、思わず声を上げてしまった。二人がほぼ同時にこちらを向く。
「安心しろ龍哉。俺もじい様の形見を売るつもりはない。しかしあいつ、骨董屋なのは間違いないようだが――」
 話を続けようとした長池をイェンが手で押しとどめる。
「タツヤさん、そろそろ時間じゃないかしら?待たせると、またアサミさんが怖いわよ」
 時計を見ると九時半だった。今日はサークルの飲み会に行っているあさみを駅まで迎えに行くことになっていたのだ。
「あ、やべ。じゃあちょっと行ってきます」
 この場にいないほうが二人にとっても都合がいいのだろう。空気を呼んで、厨房の片づけを切り上げる。
「ええ、気をつけて。鍵を返すのは明日でもいいですからね」
「いつもすみません、ありがとうございます」
 表に停めてあるカブを一旦裏手に移動させ、宅配用のボックスをキャリアから外して二人乗り用のシートを固定する。
 イェンの好意で店のカブは比較的自由に使わせてもらっている。もともと彼女一人で切り盛りしている店だったから、常連客に宅配が出来るようになったのは免許を持っている龍哉が入ってからだ。
 表に戻ると、ガラス戸越しに話し込む二人の姿が見える。アサミのためのヘルメットをリュックに突っ込んだのをもう一度確認してから、龍哉はキックペダルを踏み込んだ。

「先パイ、おっそー!」
 カブを駐輪場に停めて駅のホームへ向かうと、予想していた通りの抗議が達也を待っていた。
「悪りぃ、店に大家さん来てたから」
「それは別でしょ。もしかして……忘れてた?」
「忘れてねーよ、ちょっと遅れただけだろ」
「でも遅刻は遅刻よね」
 一応言い訳をしてみたが、彼女には通用しなかった。結局、駅向かいのスターバックスでコーヒーをおごらされる羽目になる。いつもの事、と言えばいつもの事だ。
「大家さん、何しに来てたの?」
「例のスーツ男、大家さんのとこにも来たんだとさ」
「ふーん」
 店のテラスでちょこれーとなんとかかんとかふらぺちーのなどと言うコーヒーだかスイーツだか分からない代物を口に運ぶあさみを見ながら、龍哉は煙草をつける。
「あの二人、仲いいよね」
「そういや、そうだな」
「デキてんのかな」
「知るかよ」
 気のない返事を返しながら、ドリップコーヒーを口に運ぶ。
「……あたし達も、ハタから見たらデキてるように見えるかな」
 ぶっ。
 工藤俊作もかくやとばかりの勢いで、龍哉はコーヒーを噴き出した。
「ひっどー! ってか、きったなー!」
「うるせぇ! 大体お前、軽音の彼氏はどうしたんだよ!」
「……ハタさんの事? あの人、その気になってるだけだよ」
 彼女が気分を害したのが露骨に分かった。彼女はプラ製のカップを乱暴にテーブルに置き、龍哉の煙草を勝手に取り上げて火をつける。
 実際のところ、あさみは隣の部屋に住んでいる龍哉が妬まれるくらいには有名なのだ。
「打ち上げで話あわせたぐらいでいい気になっちゃってさ。てか、今の軽音もうダメだわ。あたしは先輩たちのロックに憧れて入ったのに、今のメンバーはオタな曲ばっかだもん。あたし、下手したら学祭でセーラー服着るかバニースーツでギターボーカルやるかの二択なのよ」
「胸ないのに大変だな」
「ばか」
「……すまん」
 半分ほどになった煙草の先端を灰皿に無造作に擦り付けて、あさみは息をつく。彼女が飲み会でウーロン茶要員なのは龍哉も知っているが、この様子ではワインの二、三杯入っているかもしれない。
「お前、大丈夫か?」
「何が? ぜんぜん平気よ。先パイが冷静なのがなんか腹立つくらいで」
「そうか」
「ばか」
「……なんでだよ。帰るぞ」
――話にならない。
 あさみの手元から煙草を奪還して立ち上がる。あさみもしぶしぶそれに従った。
 駐輪場からカブを出して、あさみにヘルメットを渡す。
「先パイ」
「何だ」
「今度の土曜、二人でどっか行こ」
 振り返って彼女を見た。彼女は眉を寄せて詰め寄る。
「どうなのよ」
「……分かった。イェンさんには俺から言っとくよ」
「ん。約束ね」
 そう言って後ろに跨ったあさみの距離は、普段に比べて近いように感じた。
――彼女に、言わせてしまった。
 ため息をかみ殺して、龍哉はカブを発進させた。

 例の男は翌日に姿を現したが、その次からはぱったりと姿を見せなくなった。理由は分からないが、ひとまずは落ち着いたといったところか。
 週末が近づくにつれ、二人は言葉を交わす数が減っていた。何が気まずいのかは分からないままだ。
 金曜日の夜も無事に業務を終え、龍哉とあさみはレジを閉めて厨房の片づけをしていた。
 たまたまではあるが、三人が閉店時にここにいるのは珍しい。イェンは二人に片づけを任せ、カウンターで酒を傾けていた。
「……明日は、二人ともお休みでしたね」
「そうです、夕方からは店に入るんで。すみません、無理言って」
「いいのよ、二人とも楽しんでいらっしゃい」
『あ……はい』
 二人同時に微妙な返事をしたところで、入り口の引き戸が開いた。
 入ってきたのは――細い目をしたスーツの男。
今回は一人ではなかった。黒い服を着た屈強そうな男を背後に従えている。
「やぁ、ご無沙汰しておりました。お気持ちは、変わりましたか?」
 思わず身構える龍哉とあさみに構わず、イェンは酒器に紹興酒を注ぐ。
「もう諦めて頂けたかと思っておりましたけど、違いましたのね」
「ええ、やはり私はその花が欲しくて堪らないようです……今日は、力づくでもと思いまして」
スーツ男の言葉と同時に、黒服が前へ進み出た。先ほどから、声を発するどころか眉一つ動かさない。シャツを掴んできたあさみを、龍哉は庇うように背後に押しやった。
「……あなたが欲しいのは、花ではないのでしょう?」
 酒器を傾けながら、イェンは意外なことを口走った。僅かに眉を寄せたスーツの男に構わず、イェンは続ける。
「正直に申しあげます。この場所をあなたのような方に明け渡す訳にはいきません、立ち去りなさい」
「……そうですか。そこまで分かっているなら話は早い。貴女も只者では無いようですが、私の目的に変わりはありませんよ」
 スーツ男の合図に応え、黒服がさらにイェンとの距離を詰める。
「タツヤさん。お酒の戸棚を開けて、一番奥の酒瓶を」
「え? あ……はい」
 言われるまま、龍哉は戸棚の奥を探る。
 取り出した瓶には、墨文字で『電撃』と書かれた半紙が貼り付けてある。
「ありがとう。私は大丈夫ですから、今のうちにお逃げなさい」
 カウンター越しにそれを受け取ったイェンは龍哉にそれだけ言うと、何食わぬ顔でその酒を飲み始める。
「イェン、さん?」
 あっけに取られる二人をよそにイェンは早くも杯を干して、さらに飲み続ける。
「……早くなさい」
「わ、分かりました」
 イェンのことだ、何か考えがあるのだろう。
 そう自分に言い聞かせ、龍哉はあさみの手を引いて勝手口を出る。
「何のつもりか知りませんが、なめられたものですね……かかれ」
 スーツ男の指示に黒服が動く。
 彼がイェンの肩を掴もうとした瞬間――イェンが杯を相手の顔に投げつけた。
 男が怯んだ隙を突いて、イェンは立ち上がる。今まで座っていた椅子を胸の高さまで蹴り上げ、男に向かって両手で押し付ける。
 男は後方に吹っ飛びスーツ男の脇に転がりながら、なおも顔を抑え続けていた。
 イェンはとろんとした眼差しで、よろめくように数歩歩いて構えを取る。握った拳の親指と人差し指のみを開いた、独特のスタンス。
 スーツ男は、床に転がった黒服とイェンを交互に見て表情を硬くする。
「酔拳か。しかしその酒、まさか――」
「……ご明察」
 男は眉間にしわを寄せながらジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを外して間合いを詰める。繰り出された下段蹴りをは飛び上がって避け、イェンは相手の顎を狙って蹴りを突き込む。それを払って繰り出された打撃を、イェンは不規則な動きで捌きながら応戦する。
 スーツ男の突きを払い、イェンは相手の喉に手をかけた。
「ぐ……ッ!」
「……そろそろ、本性を表してはいかが?」
 喉笛を潰そうとするイェンの腕を両手で掴み、スーツ男はぶら下がるような格好で彼女の腹部に蹴りを食らわせた。後方に吹っ飛ぶもすぐに体制を立て直したイェンを、彼は首を押さえて睨み付ける。
「私の正体までお見通しですか。まさかこんな所で仙者に出くわすとはね――ただ、あの二人を外へ逃がしたのは失策でしたな」
「何ですって?」
 思わず勝手口の方に目を向けたイェンに僅かな隙ができた。
 その瞬間、スーツ男は金色の毛並みと六本の尾を持った狐へ姿を変える。
「しまっ……!」
 スーツ男――妖狐はそのまま部屋を飛び回り、上方からイェンへと襲い掛かった。
 圧し掛かり喉を食い破ろうとする妖狐を、イェンはとっさの乱打で押し返す。
『良かろう、どうあってもと譲らぬと言うなら、この建物ごと押し崩すまでよ!』
 妖狐は天井付近を飛び回り、勝手口から表へ抜ける。
 イェンはレジへ回り、清算機の横に置かれていた大きな巾着を引っ掴んで後を追った。

 イェンの事を気にしつつも勝手口をとび出した龍哉とあさみは、長池に助けを求めることにした。二人とも携帯を店の中に置いてきてしまったのは失策だ。店を抜けた先の駐車場を抜けて表へ回る。あさみが突然足を止め、龍哉はその背中にぶつかりそうになって止まった。
「どうした?」
「……あれ」
 青ざめた表情でこちらを向いたあさみの指差す方には――中にいたのと同じ、無表情の男。こちらを見つめながら、滑稽なほど整った姿勢でこちらへ歩いてくる。
「くそ……アサミ、お前は先に大家さんの所にいけ」
「で、でも――」
「いいから早くっ!」
 怒鳴り声と共に龍哉は先頭の男に突進した。
高校の頃はそれなりに喧嘩慣れしていたつもりだ、一人くらいなら何とかなる――右手を軽く振り上げて顔面へ打ち込むそぶりを見せつつ、腹部を狙って左手を繰り出す。
「っ……!?」
 うめき声を上げたのは、殴った龍哉の方――まるで壁でも殴りつけたかのようだった。相手は相変わらず、眉ひとつ動かさずに龍哉の身体をやすやすとなぎ払う。
 紙くずのように吹き飛ばされた龍哉の身体は、地面に打ちつけられて転がった。
「先パイっ!」
 第一の障害をこともなげに処理した男は、悲鳴を上げて龍哉へ駆け寄ろうとするあさみへと向き直る。
 男の瞳に見据えられ、あさみはその場にへたり込んだ。
「止めろ……あさみには――」
一斉に軋みだした全身と舌の上に広がる不快な鉄の味を堪えながら、龍哉が声を振り絞って立ち上がる。

『おい、うちの敷地で何してやがる』

 不意に響いた声に、二人は思わず声のほうを向く。長池だった。
「大家、さん」
 男は目標を変更した。長池に向き直り、間合いを詰めて襲い掛かる。
繰り出された男の腕を払い、長池は身体を大きく開いて相手の腹部に掌打を叩き込んだ。
音高く足を踏み鳴らして構えを取り、相手の首筋目掛けて拳を打ち下ろす。さらに姿勢を崩した男の首に腕を回して抱き抱えるようにしながら、空いた右の拳を喉に叩き込んだ。
文字通り崩れ落ちた男から飛びのいて間合いを離し、長池は再度足を踏み鳴らして構えを取る。男が再び立ち上がる事のないのを確認してから彼はようやく構えを解いた。
「なんなのよこれ……もう、ワケ分かんないよ……」
 龍哉に抱き起こされながら、あさみが呟く。その身体は小刻みに震えていた。
「一段落したらちゃんと説明してやる。龍哉、イェンは?」
「店の中です。あのスーツ男も」
 長池の目が細められる。彼は勝手口を睨みつけて言った。
「そうか。お前らは帰ってろ、たぶん店の中じゃもっとワケ分かんねぇ事が起きてる」
 長池がそう言って勝手口へ歩き出すのと、勝手口から何かが飛び出してくるのはほぼ同時だった。
「おわ……っ!?」
 驚いた拍子にバランスを崩し、龍哉はしがみついていたあさみもろとも転倒する。
 光の帯のように見えた。それは高速で空中を旋回しながら三人に襲い掛かる。
 長池が迎撃しようとするが、動きが早く攻撃が当たらない。
「トオルさん!」
 次いで勝手口からイェンが姿を現した。彼女は表に飛び出すと、巾着から銅銭を取り出して投げつける。
 それを受けた帯は悲鳴を上げて空中でバランスを崩し、急降下――しかし、地面すれすれで軌道を変えると、一直線に龍哉の方へ向かってくる。あさみを引き起こす手を一旦離して庇おうとするが、突進をまともに受けて跳ね飛ばされた。
 みたびの転倒に身をよじりながらも立ち上がる。光の帯は急旋回し、今度はあさみに襲い掛かった。
「あさみっ!」
 叫んだときには遅かった。光の帯はあさみを捕らえて急上昇し、集合住宅の上に消える。
 長池が舌を鳴らすのが聞こえた。 
「イェン、追えるか?」
「ええ。あの狐はこの建物を丸ごと龍穴に呑ませるつもりです。カウンターに『電撃』が。持ってきて頂けますか?」
「分かった、すぐに上がる」
 イェンは頷き、こちらに背を向けて駆け出す。
 地面を走るのではなかった。まるで見えない階段を駆け上がるかのように宙に浮かぶイェンの体は、徐々に速度を上げて上空へと消えた。
「キツネ……龍穴?」
「立てるか」
 言葉の意味をつかめない龍哉に、長池が手を差し伸べる。それを掴んで立ち上がった。
「いろいろと訳を聞きたいだろうが、今は時間がない。下手すれば明日の朝にはここはさら地だからな。ここにいろ、いや……万一のことを考えてここから離れてた方がいいかも知れんな」
「俺も行きます」
 こちらに背を向けて早足で歩き出した長池が、龍哉の言葉に足を止める。
「止めとけ」
「嫌ですよ。てことは、何かあったらあさみもいなくなるんでしょう? イェンさんも、大家さんも……ほかのご近所さんも。一人で逃げて何になるって言うんですか」
 長池はしばらくタツヤを見つめてから、無言のまま再び速度を上げて歩き出した。

 手負いの状態ではあったが、龍哉には非常階段を屋上まで駆け上るのは苦痛ではなかった。そんな事を考えられる状況ではなかったのかもしれない。
 マスターキーで鉄扉を開けた長池に続いて屋上へ出ると、信じられない光景が広がっていた。屋上いっぱいに書かれた巨大な八角形の魔法陣。そこから漏れる光で、床全体が淡く発光している。中央で、二足歩行の狐のような生き物とイェンが組み合っているのが見えた。
「ち、もう殆ど出来上がってるじゃねぇか」
「トオルさん、タツヤさん! あすみさんを、お願いします!」
 鞭のようにしなる武器を操って妖狐の攻撃を捌きながら、イェンが叫ぶ。
 空を切って、二人の眼前に人影が着地する。龍哉の見慣れた、ハニーブラウンのショートカット。
「あさみ――」
「あぶねえっ!」
 顔を上げたあさみは、返事の代わりに龍哉に襲い掛かった。間一髪で長池が龍哉を背後へ押しやり、がむしゃらに繰り出されるあさみの連打を捌く。
 一瞬の隙を突いて、長池があさみを突き飛ばした。彼女は後方へ飛びのいて、獣に似た荒い息をつきながらこちらを睨み付ける。
「操られてるな……しかしなんて力だ、かなり無茶させてやがる。長引くとあさみの体がもたねぇぞ」
 それを聞くなり、龍哉はあさみに向かって駆け出した。
「おぃ、龍哉!」
 獣のような雄たけびを上げて、あさみも龍哉へ向けて拳を繰り出す。
「あさみっ!」
 彼女の目を見据えて名を呼んだ瞬間、突進の速度が緩む。龍哉は彼女に飛びついた。腕の中で暴れる彼女を、必死で抱きしめる。
「あさみ、あさみ! 分かるか、俺だ、龍哉だよ!」
「……せ……んぱい……?」
 不意に、抵抗が緩んだ。表情のない声で呟いたあさみの体から力が抜ける。龍哉はなおも彼女を抱きしめて続けた。
「もう迷わねぇ。何十回でも、何百回でも、ずっと愛してるって言い続けてやる! だから……だから、いつものあさみに戻ってくれ!!」
 あさみはついに、その場に崩れ落ちた。彼女を抱きとめたまま、龍哉は結局鉄扉へ倒れかかる。
 どごん。
 次いで襲った轟音に身をすくめる。見ると、イェンが転落防止の鉄柵に叩きつけられていた。
 長池が陣の中心に駆け出した。妖狐が繰り出した青白い炎を横に転がって避け、叫ぶ。
「イェン、いくぞ!」
「はい!」
 怒号とともに、長池は持っていた酒瓶を宙へ投げる。体勢を立て直していたイェンの手から、銅銭が飛ぶ。
 それは過たず、妖狐の頭上まで飛んだ酒瓶を撃ち抜いた。
「ギャアアァァァ!!」
 瓶の中身を頭から被った妖狐は、頭を抱えて断末魔の叫びを上げる。突進の勢いを利用し、長沼が地面を踏み鳴らして妖狐の腹部に拳を打ち込んだ。
 よろめいた妖狐が光の帯に姿を変えるのを見て、イェンはそれを追うように再び宙を舞う。
 先ほど鞭のように見えた彼女の武器は、大量の銅銭を紐で束ねたものだった。彼女の手元から繰り出されたそれは意思を持つかのように長く伸び、妖狐へ巻きつく。
「悪しき獣よ……命に代えて、縛を解け!!」
 空中で妖狐を捕らえたイェンは、次いで屋上めがけて急降下する。背負い投げの要領で魔法陣の中心に妖狐を叩きつけた瞬間。
 屋上全体が強く光り――妖狐も、八角形も跡形もなく消え去っていた。

コメント(3)

「この星にはな、『気』が流れる筋って言うのがあるんだ。人間の血管みたいにな」
 椅子は倒れ、壁の装飾は剥がれ――店の中はひどい状態だった。
 かろうじて被害の少なかった座敷席で、龍哉は煙草を吸いながら長池の話を聞いていた。背後ではあさみが幸せそうに寝息を立てている。
「星の気が流れる筋を龍脈、それが地面から湧き出てる場所が龍穴だ。このマンションはな、日本でも何番ってくらいでかい龍穴の上に建ってるんだよ」
「やばくないですか、それ」
「星の気はあらゆる生命の源だ。逆に住むには絶好の場所だよ。ただし気が溢れ過ぎるのも良くないから、ああやって適度に調整してるわけだ」
 長池が煙草の先で示した先には、翡翠の花。滅茶苦茶になった店の内装に構わず、それはまったく同じ姿でそこにあった。
「そもそもあの花はあそこから動かない。言ってみたら栓みたいなモンだな。実際、ああいう化物の相手は初めてじゃないんだ。ここの龍穴を狙って、いろんな連中がやってくるのさ」
「二人は、何者なんですか?」
 厨房でお茶を入れているイェンに目をやって、龍哉は何となく小声で尋ねる。長池は苦笑しながら紫煙を吐き出した。
「俺は普通の人間だが……イェンは仙人だ」
「仙人?」
「ああ。じい様が満州で世話になったらしい。俺も最初は信じてなかったが、初めて会ったガキの頃からずっと見た目があのまんまだ、今はもう信じるしかねぇ」
「タツヤさん、私のことが怖くなりました?」
 茶器を載せた盆を手に、イェンが微笑みながらやってくる。思わず正座して、首を横に振った。
「や、そうじゃなくて。なんというか……その。すごい人だったんですね、すみません」
 彼女は苦笑しながら、三人分のお茶を注ぎ分ける。
「私は私ですから、今までどおりで平気ですよ。それにしても……ずいぶん散らかってしまいましたね。元通りにするには時間がかかりそうです、週末はお休みを頂く事にしましょう。片付けはやっておきますから、タツヤさんたちはゆっくり休んでいらっしゃい」
「いいんですか?」
「ええ。ただし、さっき屋上でアサミさんに言った事、もう一度ちゃんと伝えてあげてくださいね」
「……分かりました」
 龍哉は寝息を立てるあさみの方を見て、寝息を立てる彼女の頭を軽くなでる。髪を触られるのが嫌なのかあさみはかぶりを振って寝返りをうち、反対側を向く。
――明日は、流石に寝坊するとまずいだろうな。
 ふと、そんな思いが龍哉の頭をよぎった。
<投稿者のねこると.45からあとがきコメントがあります>
 どなた様もお世話になっております。
 天に竹林地に少林寺、目に物見せるは最終奥義、ねこると.45でございます。
 ま た 拳 法 か ! 
……と言われそうですね。はい、また拳法です。自分不器用ですからこんなんしか書けません……次は銃撃戦かな(待て)
 今回は締め切り直前まで書いてたやつがどうあっても一万字に収まらんと言うことでまさかの創作断念、締め切り最終日に製作期間約8時間でぶちかましたのが本作『石の花、かがやく夜に』でございます。やっつけにはしたくなかったのでふんどしだけは魂必中閃き幸運の精神コマンド全開な覚悟で殺しにかかりました。あざとくてどうもサーセン。
 前作「キックとワインと〜」に比べ武術のキレがもうひとつとか、仕込んだ小道具がいまいち威力を発揮しなかった自己反省はありますが……一応色々小ネタを仕込んでおきましたので、分かる人は分かるところでニヨニヨしてください。あ、ちなみに作中に登場する霊酒『電撃』ですが、これ元ネタ分かった方先着一名様には個人的になんかあげます(ホンマかい)
 イェンさんの宙に浮く技は中国の武侠ものをイメージしました。びゅーんと飛んでくハリウッド式と言うよりは、ふわりと舞う中国映画のワイヤーアクションな感じ――考えてみると中国映画には色々お世話になってんな、構想の助け的な意味で。
 拙作にはオヤジ三銃士(八幡大樹(山猫)、朝倉亮、結城大輔)という鉄板オヤジキャラ部隊がいるのですが、今回は久しぶりに新規のオヤジキャラとして「大家さん」こと長池徹を設定してみました。彼にはかなり露骨に元ネタとなったキャラが存在する(あえてここでは言わない)のですが、今後もし彼に活躍する機会があるようならばオヤジ四天王に再編成ですね。彼とイェンさんの微妙な関係がだいぶ好きです。
 とりあえず語りだすとキリがないのでこの辺で。
 なんか相変わらずな感じでお送りした「石の花、かがやく夜に」、お目通しありがとうございました。楽しんで頂ければ幸いです。 また、どなた様も今しばらく第二回ねこると小説大賞をお楽しみくださいませ。
ねこると”酔拳は女性が使うべき、だってなんかすげーエロカッコいいんだもん”.45
<読んだ人の感想>
・安定のバトルシーン。そして大家さんのかっこよさは異常。非日常なストーリーなのに、場面をイメージしやすくてさくさく読めました。面白かったです。

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