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ねこると創作クラブコミュの第一回ねこると短編小説大賞応募作品No.8『ふゆさめのかりうど』

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ふゆさめのかりうど

国道の山側の路肩にハンターカブをとめ、左手に広がる水平線を見遣った。右手は山、道路を挟んでガードレールに阻まれた崖っぷち、その下は黒潮の流れる太平洋だった。こんなスレスレの国道はそうないだろう。山々の間にむりやり道を通す土地は紀伊半島の特徴だと、旅の師は言った。師とはいっても、道中出会った高齢のゼファー乗りだった。
 道中は別々だったが、二回宿を同じくし、愛知の分岐点で別れた。連絡先を聞いたが、「縁があればまたどこかの土地で会える」と言った。年の割に背筋のしゃんとした格好のよい人だ、と思った。
 カブを降り、ヘルメットを脱いで一息つく。空は鉛色だが、眼前いっぱいに広がる太平洋は見事なものだった。少し南下しただけで体感温度が何度か上がったように思える。だが、寒いものは寒い。口の中で何度も寒いと唱えた。
 車通りは少なく、波の音がすぐ近くで聞き取れる。内陸育ちのユキヒロには珍しかった。
 ダンプが目の前を過ぎていったのを確認し、海側に渡る。見下ろすと断崖絶壁、黒い岩に混じる白波は不気味に誘っているように見えた。右方向を見ると、僅かながら岩場ではなく、砂浜が見えていた。どこかに降りられる所はないだろうかと、ユキヒロは再びカブに跨り、砂浜に近い場所まで走った。
 元々はサービスエリアの役割を果たしていたのだろう、すでに廃虚となり、立入禁止の張り紙とロープが張り巡らされている。隅の方では長距離トラックが駐車しており、どうやら仮眠をとっているようである。営業をしていなくても、ドライバーの休憩所として働いているのかもしれない。
 クモの巣が張っている自動販売機でコーヒーを買い、冷えた手のひらを温めながら砂浜までの階段を探した。ガードレールの途切れたところに、人一人がやっと通れるほどの粗末な板で渡された道が作られている。落ちないようにそろそろ降り、硬い砂浜に足を落とした。風は強く、長距離を走ってきた体を容赦無く吹きつける。
 波打ち際に近寄って、水平線に目を凝らす。タンカーがゆっくり横切るのが見えた。
「こがなとこ来ても、なんもなやで」
いきなり右後ろから声をかけられた。反射的にその方へ首を向けると、体格のよい老人がワンカップを片手に砂浜に腰を下ろしていた。寒さで下を向きながら来たとはいえ、気付かなかった。それとも自分の後に付いてきていたのだろうか。全くわからなかった。漁師風情の男は心中を知らないようにワンカップをちびちび旨そうに飲んだ。こんな所まで来てわざわざ飲みに来るのか、酔狂な人だと、ユキヒロは思った。
「兄ちゃん、他所の人やな」
「はい……静岡から」
 ほお、というような顔をし、老人は横に座るように促した。
「どうも……箱根の近くで育ったんで、海を見る機会もなくて、珍しくてつい眺めていました」
「箱根のお山のが見るもんあるやろうて」
「地元にいてもそんなにでもないです」
 そうか、と言いながら傍らに置いていた未開封の酒を差し出した。
「すみません、バイクなんです」
 色黒な顔に似合わない薄い唇を残念そうに歪め、老人はカップを下ろした。
「ほいたらこい(これ)食うか」
 よれよれのジャンパーからビニール袋を取り出し、中から炙ったスルメを取り出した。
 一回目は遠慮をしたが、進めてくるのでありがたくもらうことにした。足を一本かじると、濃い味が冷たい口腔内を満たした。そういえば昼にサンドイッチをひと切れ食べて以降、何も口にしていない。
「漁師さんですか」
 沈黙が嫌なので、何気ない会話でつなごうと口を開いた。老人は底に残ったわずかな酒を煽り、大きく息を吐いた。
「もうやめたけどな。兄ちゃん大学生か」
「はい。休学中ですけど……」
 大学での講義や、通学の風景が脳裏を横切った。はるか昔の事のように思え、道中は自分が学生であることすら忘れることがある。
「はあ、一人で遠おからようよここまで来たんやなあ。親御さん心配したやろ」
「まあ、心配ていうか大ゲンカして飛び出してきました。なんか突貫で始めたんですけど、気がついたらここまで来とりました」
「どこまで行くんな」
「決めてはないんですけど、なんとなく神戸に行ってから帰るか、先に行くか考えようかと」
「なんで旅しとるんや」
 旅、という単語を実際発せられると、少しむず痒く感じた。そんな格好の良いものではないかもしれないと思った。
「このまま大学行って、出て就職なんてもったいないように思ったんですよね。だで、自分の力で何かを成し遂げたいっていうか。それから大学戻っても遅くはないかな、と。今思ったら自分の力って奢りみたいに思いますけん(けど)。でも抑制するばかりじゃなくて、衝動に駆られてみたいって思ったんですよ」
「そうか、気いつけやいよ」
 ありがとうございます、と言って立ち上がった。すると頬に冷たいものが当たった。
「ああ……雨だに」
 ただでさえ寒いのに、これで愛車を走らせるのはかなりの労力だと思う。ユキヒロは気分が重くなった。
「スイバレ、やな」
「はい?」
 老人は少しも急ぐ風無く、空のカップを片付け始めた。
「わいが昔、東京で、まあやんちゃしとった時に兄貴分に教えてもうた言葉や。雨のことや。スイバレ」
 はあ、と気の抜けた返事をする。「水晴れ」と書くのだろうか。天気雨ならまだしも、曇り空に雨では面白みもない。老人は続けた。
「昔の男ちゅうもんは見栄張ってなんぼや。虚勢張ってでも生きていっとった。そんな時代の真っただ中に兄貴は生きとったさか、その生き方を教えてもおた。昔の渡世ちゅうても兄ちゃんにはピンとこんやろうけど、雨降っても風が強おても仕事しなあかなんだ。ほやから、雨が降っても『スイバレ』ちゅうて仕事しやったんや。まあ晴れるように縁起も担いでな」
 スイバレ。聞いたことのない言葉であったが、口にしてみると耳障りの良い言葉であった。成程、雨でも晴れだと豪快に笑う体格のよい男の姿が目に浮かぶ。痩せ我慢というような軽い言葉とはまた違う、守るべきものをちゃんと弁えている男の志が感じられる。
「わいは三年もせんうちにこっちに戻ってきた。あがの(自分の)男気がなんなんかわからんと、都会の暮らしに馴染めんと、逃げちってきたんや」
 ユキヒロは年配の人間が「昔の人間は」「俺が若い頃は」という話を聞くのが大嫌いだった。説教臭いのはもちろんだが、昔のことを自慢げに話すのは、今の自分を蔑むように思えるからだ。しかし老人は、ただ懐かしむように、誰でもない誰かに話を聞いて欲しいように思えた。「逃げた」と言いながら、今の暮らしを見下げているようにも思えない。笑いながら見栄を張れる男になれなかった懺悔にも聞こえた。
 雨は強くならないようだったが、冷たい風が容赦無くユキヒロの顔を殴った。寄せて返してゆく波に目をやれば、この荒波に飲まれそうに思った。社会の荒波、とはよく言うが、誠にこのような巨大で、荒々しく、そして優しいものであろうか。ふと、孤独を感じた。
「きばらいよ、にいちゃん。スイバレやからよ」
「はい――」
 老人の方を見ると、老人は忽然と姿を消していた。目を凝らすが、老人らしい人影は見当たらない。
 湿った砂浜には、ユキヒロの足跡と、未開封のワンカップだけが取り残されていた。


 気味が悪いとは思わなかったが、話し相手の代償としては少々もらいすぎではないかと思いながら、ユキヒロは残りのスルメを齧った。ポケットの缶コーヒーに手をやれば、手に持っているワンカップよりも冷えている。温度というのも代価になるのだろうかと思いながら、夢を見ていた気分で板を登る。
 ハンターは待ちくたびれたように顔をもたげ、寒い中待っていた。シートの水滴を払い、跨ると芯まで冷えた。
「うっ……」
 寒い、と言いそうになるが、言葉は奥歯で噛み砕いた。
今日の宿はどうするか。野宿でもいいが、できれば屋根のある所で眠りたい。
エンジンをかけ、愛車に「行くか」と声をかける。
走っていると、シールドに先程よりも大粒の水滴が張り付いた。今度は止みそうにないかもな、と思う。車の少ない道路を我が物顔で走るのも気持ちが良い。荒波も打ち付ける風もなんのその。
スロットルを回し、カーブの多い海岸線を滑走する。
「スイバレだけんなア!」

コメント(4)

<投稿者の村崎 のヴさんによるあとがきコメントがあります>

あとがきとして

 バイクと方言と冬の海と、あらゆる己の好きモノをぶっこみました。
 この方言わからん、というのがあったら言っていただけるとありがたいです。
 ありがとうございます。ハンターカブ乗ってみたい。
・場面の想像が容易にでき、まとまっていて読みやすかった。
・やっぱり男には旅に出なければならない時があると思う。雨が降ろうが槍が降ろうが、成すべき事を成さねばならない時があると思う。辛くても、苦しくても……それを悟られぬように、見栄を張って笑わなければならない時が、あると思う。
・寒々しくも色付いた景色がすごくよかったです。とても綺麗でした。書いたのはねこるとさんかしら…?
・文章もお話も綺麗で、ケータイで読んでいるはずなのに、文庫本を読んでいる感覚に陥りました。『スイバレ』いい言葉です。
・物語の大半を情景描写で表現してしまう文章力と語彙力。なかなか瞠るものがありました。紀伊半島から水平線。物語の最初から最後までイメージは膨らみっぱなしでした。まさに唸る作品。ンー
 宛のないバイク旅の途中、行きずりの老人と交わした素朴な会話の中でふと胸を打たれたユキヒロ。そして太平洋の荒波を見やりふと感じた孤独感。親と大げんかしてその背に置いてきたものは、まるで太平洋の荒波のように厳しい現実……。だが、バイクに跨り向かう先は──。
 スイバレの中でガハハと笑うとまでは行かないまでも、近い将来、老人の言葉を反芻しながら社会という荒波に立ち向かうユキヒロの姿を想像してしまいました。ユキヒロにはユキヒロらしい生き様を貫き通して欲しいと願ってやみません。オイラもなんか頑張れるような気がします。
 老人と荒波。ユキヒロと社会。そして、ユキヒロと老人の生き様がまるで正反対で、これは見事な対比。いろいろメッセージ性もあり、かなり秀逸だなぁと思う作品でした。

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