【あさひな先生オフィス】は完全予約制を採っている。
クライアントのプライバシーに関わる繊細な事務を行う事情から、予約の際に事前のヒアリングは一切ない。
相談内容を加味した上で、独断と偏見と事務所の収益、及び、朝比奈先生の物欲状況によってその面談料は著しく変動する。
相談者は他の面談者との接触が禁止されている為、個室に通される。
４畳ほどの狭い部屋。清潔感のある薄いブルーで統一された壁面。
室内には一人掛け用の椅子とテーブルがあり、ウォーターサーバーと電子レンジ、自動販売用冷蔵庫、内線電話が完備されている。
また、冷蔵庫の中には朝比奈先生の手作りと思われる【本日のウェルカムデザート】入っており、どうやら今日はベイクドチーズケーキのようだ。
初老の男性面談者である秋山の部屋で内線が鳴る。
「秘書の早乙女と申します。秋山様の順番が参りましたので、面談室までお越し下さい。」
若くつややかな女性の声で告げられた秋山は、扉の前で妖艶な微笑みを浮かべる早乙女に誘導され面談室へと続く狭い通路を歩いていく。
秋山は緊張に震える手でぎゅっとドアノブを握り面談室の扉を開ける。
そこには黒髪オールバックの男がいた。
年の頃は30代半ばといったところだろうか。
派手な紫色のオーダーメードスーツに身を包み、いかにも性格の悪そうな笑みを浮かべている。
決して客人を迎える態度とはいい難く、頭の半分が埋もれてしまうほど柔らかいソファーに体を投げ出すように腰掛け、高級なテーブルの上で脚を組んでいる。
粗方、相談内容を告げ、秋山は心配そうに尋ねた。
「先生、私の体は…大丈夫でしょうか？」
『お答えしましょう！私の診断によると、急性上気道炎ですね。』
「急性…じょうきどう…えん？」
困惑する秋山をよそに、朝比奈先生の早口でまくし立てる演説が始まる。
『えぇ、簡単にご説明しましょう。
あなたの体は今、大気中に無数に存在する人体に害悪を及ぼす微生物によって侵食されております。結果、上気道に急性感染症を発症してしまっているという非常に絶望的な状態でございます。
ちなみに上気道とは鼻前庭から鼻腔、咽頭までを指します。ほら？よくタバコの吸いすぎで喉頭癌になるとか聞きますでしょう？
更にご案内差し上げれば、喉頭癌の中でも最多の発症率を誇る、いわば喉頭癌の不動のエースである声門癌は、初期の段階で末場スナックのママのように声がしゃがれます。
あらゆる癌の中で最も早い段階で症状が確認できる癌といえるでしょうね。
この段階で気付く事が出来たらそれは本当にラッキーです。
１等前後賞合せて６億円の宝くじが当たったと思って万歳三唱でもすればいい。
言葉を失うこともなく、放射線でほとんど痛い思いすらせずに治癒する事もございます。
あなたは６億円手に入るなら声を失っても構わないと思いますか？私はそうは思わない。
だって声をなくしちゃったらナンパだって困難を極めますし、何よりカラオケで【X JAPANメドレー 〜いつまでも叫び続ける】と【ゴールデンボンバーほぼ全曲メドレー2011】が歌えなくなっちゃいます。
にも、関・わ・ら・ずです！
誠に遺憾な事に自分の体は一番自分がよく分かっているといったような、甚しくも哀愁漂う愚かな勘違いをされている方の多いこと多いこと…
何の根拠もなく勝手に自分は癌にはならないと思っているらしく、初期の貴重な声がれのサインを見逃して、大切な声を失ってしまう輩は後を立ちません。
これは無知が生んだ悲劇です。
…まぁ私があなたにご協力できる事があるとすれば、現段階においては非ステロイド系抗炎症剤を処方される事をお勧めするぐらいでしょうね。
何分、現代の医学においては特効薬は開発されていない非常に難解な病気でございますもので。
あっちなみにこちらは非ステロイド系ですので、1998年は本塁打王争いを演じ、1シーズン70本クラスという驚異的な記録争いをし、共にスポーツ・イラストレイテッド誌の「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」に選出されたマークマグワイアやサミーソーサが後に取り立たされた筋肉増強剤疑惑関連の薬物とは似ても似つかない安全な薬品でございませんので、悪しからず。』
「先生…私は…どうすれば…」
不安に駆られた相談者が口を開くと間髪入れずにこう続ける。
『安静にして睡眠をしっかりとることです。』
「はい？」
『先ほどのご説明では、あなたの圧倒的な理解力不足が原因で適切に伝わらなかったようですので、もう少しだけ簡単にお伝えします。
急性上気道炎…つまり…
ただの風邪だからね!!!!
それに私は医者ではないので、今後こういった下らないご相談は掛かり付けのヤブ医者にでもして頂くとありがたい。
風邪薬の処方といった程度の法令違反で私の看板に傷を付けるような愚行は避けたいもので。申し訳ありませんが、どうぞお引き取り下さい。
面談料は63000円。クレジット払い、分割振込OK、分割は最大2625円の24回。金利手数料はいだたきません。振込手数料等は自己負担でお願いします。それではさっさとあったかい布団に入って、桃の缶詰でも貪りながらゆっくりお休み下さい。以上!!!!』
一切詰まる事もなく、まくし立てると内線電話を手にする。
『早乙女！次！』
次に訪れた相談者は20代前半の金髪の男だった。事務所側の都合で内線電話のみでの誘導で、面談室へたどり着く。
男は川崎と名乗り、ガタガタと震えながら朝比奈先生に深々と頭を下げた。
そして、開口一番こう切り出した。
「先生はなんでもできる悪魔だって、組の人が教えてくれた。先生、俺を無罪にして欲しいんだ。」
『ほう、無罪ね…実に興味深い。
それより何よりそのキャッチコピーは如何なものかと。
まずもって私のどこに悪魔的要素があるのかも理解不能だし、ましてやなんでもできるだなんて買い被りもいいところです。それに圧倒的にイメージが良くない。
まぁいい。では質問しますが、あなたは一体どんな罪を犯したというのででしょう？』
「女を…女を殺しました。」
『むーりー。そんなのむーりー。弁護士雇えよ。弁護士。大体そんな衝撃的なカミングアウト見ず知らずのギャル男とＶ系の中間みたいなヤツにされて、うんOK！なんて気軽にいえるかボケっ！』
「3000万出せる…」
朝比奈先生の眼光が鋭さを増す。
『ほう？大層な金額ですね。お見受けするところ20代のあなたが一朝一夕に準備できる金額とは思えませんが？
申し訳ないが頭は悪そうだ。そして育ちがいいようには見受けられない。
だが、その顔面はなかなか清潭でもある。それでも、なんというかバックボーンの希薄さがにじみ出ている。さしずめ、夜の煌びやかなネオンの裏でお金と愛欲に塗れた日々を重ねているホストといったところでしょうか？
ホストを続けていけば、あなたが先ほど組の人と申したような人脈も自然と形成されてくる。
横の繋がりというのはなかなか強固ですからね。
いずれにしてもあなたにとっての3000万円が大金な事は私も重々理解はできます。
そして、その金額の出処如何も私には不安要素だ。
しかし、正直3000万円ごときで請け負えるような案件ではございませんので、どうかお引き取りの上、警察に自首する事を推奨します。
その上で素敵なプリズンライフを満喫していただいで、屈強、かつ、頭の逝かれた変態的趣向の持ち主に囲まれてアーーーーーッ！なセブンズヘブンを築き上げる事を切望してやみません。以j…
「待って!!!!いくらなら…いくらなら、引き受けてくれる？」
『3億。』
張り詰めた空気が流れる。
「分かった。3億…用意するよ。だから、助けて下さい。」
『うん。OK！
そうと決まったら、まずは前金だ！3億全部とは言わないから、今用意出来るギリギリの金額を私のところに持ってきなさい。2時間待つ。話はそれからだ。以上!!!！』
それからすぐさま、内線電話を手に取る。
『早乙女！今日の予定は全部キャンセルだ。私は今から急性上気道炎で緊急手術だとクライアントには伝えたまえ！以上!!!!』
「仰せの通りに。」
【2時間後】
川崎は大きなスーツケースに詰めた札束を朝比奈先生の前で広げた。
「今、ここに5000万円ある。前金で用意できるのこれが限界だけど、残りも用意する宛はあるんだ。先生。引き受けてくれますよね。」
『うん。OK！
じゃあまずは、状況を把握したいんだけど、君の彼女をどんなシチュエーションで殺しちゃったの？』
「それが…はっきりは覚えてないんだ。それに彼女とかじゃなくてその日うちの店に飲みにきた女でさ、あんまり綺麗だったからそのまま口説いたんだよ。
そんで俺のマンションに帰って酒を飲んでたときに、些細な事でそいつが突然キレ出してさ、口喧嘩したところまでははっきり覚えてるんだけど、朝起きたら腹ん所が血塗れで息もしてなくて近くにワイン開ける時に使ったナイフが落ちてて…鍵はかけてたし、俺気が動転しちゃってさ、すぐ警察とか救急車呼ぶべきだったんだろうけどさ、どうすればいいのかわかんなくなってそれに…それに…」
『女の腹部をナイフで貫いた感覚だけはその手にしっかり残っている。つまり、殺人の自覚はある。そして一瞬ではあるが、明確な殺意もあった。違うかい？』
「その…その通りです。」
『混乱を避ける為に、これからその女を【サオトメ】と呼ぶ事にしよう。
特に深い意味はないが、近々オスカーを狙える位に死体役におあつらえ向きな女を知っているものでね。
もちろん状況証拠だけだが、君以外にサオトメを殺すチャンスがあった人がるだろうか？否、そうなればやっぱり間違いなく犯人は君だね。
そして君は自分の手でサオトメの腹部を貫いた感覚をはっきりと覚えている。
その事実が怖くなった。叶うなら隠蔽しようと思った。
幸い事件については未だその事実は公にはなっていない。
目撃者はなし、近隣住民も通報をしてはいないようだ。
誰に頼ればいいだろう？
あっ高橋組長に相談すればいいじゃないか。闇で精通している彼ならもしかしたら俺を助けてくれる方法を知っているかもしれない。
サオトメの死体の管理と処理は兄貴がしてくれる…
事実の隠蔽についてはその兄貴が絶大な信頼を置く、朝比奈大先生を紹介されましたとさ。めでたし。めでたし。
っとまぁこんな売れない三流小説家が考えそうなシナリオでほぼ確定だろうが、何か異論は？』
「先生のいう通りだよ…。」
『よし！そうと解れば話は早い。まず、このまま自首すれば君は間違いなく死刑だ。
昔はひとり殺したくらいじゃ…みたいなノリもあったみたいだけど、最近はそこんところやたら厳しい。
それもこれも人権派とかいわれる脳みその逝かれた弁護士共のせいだ。
ドラえもんに蝶蝶結びだと？バカも休み休み言え。凶悪犯罪者に人権など必要ないのだよ。
世界人権宣言？日本国憲法？アホか！
大体欧米なんて犯罪者その場で射殺しよるやろうが。
そんな奴らに死刑が非人道的だのなんだのかんだの言われたくないね。
貴様らの方がよっぽど野蛮じゃないか？
まぁ私はそもそも抵抗する現行犯を射殺するって野蛮極まりない解決方法に対しては全面的に賛同するけどね。
キャンペーン展開をするならスポンサーになりたいくらいだ。
そうだな、キャンペーンガールは栗山千明がいい。
【凶悪犯は殺害せよ】
そういってコルトを顔の右斜め４５度に構えお茶の間を睨みつける。
う〜ん。実にいい画になるじゃないか！
左翼共の断末魔が聞こえてくるねぇ。
憲法改正大賛成。
とりあえず9条、11条、及び36条は撤廃しろ。そして、重大犯罪者は半永久的に人権剥奪を明記すべきだ。我々の生活基盤を侵すような輩を野放しにしておく事が異常なのだよ。
大体、他人の人権の根本を己の欲望の為に無理やり奪っておいて自分の人権が…なんてどの口がいうんだ。身勝手が過ぎると…君はそう思わないかい？
おっと、ゴメーン！君は身勝手極まる極悪卑劣で品性下劣な人格欠陥の著しい凶悪犯罪者だったな。いや、失言だった、訂正はしないが、謝罪はしよう。』
『さて、死刑執行予備軍の特攻隊長の君に最適なアドバイスをあげよう。鼻の穴をかっぽじってよーく聞くといい。
君は【刑法39条】を知っているか？』
川崎はぶるぶると首を横に振る。
『心神喪失者は罰しないのだよ。つまり逝かれてるヤツは罪に問われない。君は今日から逝かれればいい。』
そういって朝比奈先生は川崎の肩をぽんぽんと叩く。
『いいか？君は元々ある程度逝かれているんだ。動機すら覚えていないクセに人を殺せるような人間が逝かれていないはずがない。
それをちょっとだけ誇張したらいい。なっ？簡単だろう？
カルテは私の顔なじみの医者に作らせる。
なーに安心するんだ。精神科医なんて輩はなんでもかんでも病気にしたがる病に陥っているヤツらが大多数だ。むしろ精神病の病原菌といっても過言ではない。
ちょーっと凹んだだけのヤツに大層な病名をつけて、あるいは今まで聞いたこともないような病名をこじつけて健康な人間を病人に仕立て上げる。
何回も何回もお前は病気だといわれ、一緒に頑張りましょう。なんていわれたら大抵の人間は自分は病気だと擦り込まれるだろう。
そんな擦り込みを重ねられた上に、優しく手を差し伸べられるんだ。医者がキリストに見えるだろう。
そしたら愉快な精神病患者の完成だ。
だから君は安心して、逝かれた自分を演じ続ければいい。そしたら君の無罪は確定だ。無実じゃないけど、無罪。おｋ？』
「先生…それってそんなにうまくいくもんなんですか？」
『案ずるな若者よ。そのときの為にとっておきの秘策を用意してある。これだ！!!!』
朝比奈先生はそういうと、右手に持った原色の赤と青の錠剤を突き上げる。
「先生、これはなんですか？」
『毒薬に決まっているだろう。』
「毒なんか飲んで死んじゃったりしないんですか…」
『え？死ぬよ？
いいかい？死とは万人に訪れる開放なのだよ。
人は死ぬことによって初めてすべての事から許されるんだ。いずれにしてもいつかは死んでしまうんだからそれが早いか遅いかの違いだろう？
なーんにも怖いことなどない。』
「ちょっと…何いって…先生は死ぬことが怖くないんですか？」
『超こわーい。マジ無理。死後の世界とか信じてないもん。
それに私が死んだらマルチーズの【チェダー君】と【エダムちゃん】のお世話は誰がするというんだ。むーりーむーりー絶対むーりー！
私の話などどうでもいい。
それにこの薬で君は死ぬことはない。
簡単に説明しよう。
まずはこちら信号機でいえばストップ！【赤の錠剤】だ。
これは君の記憶を一定期間錯乱させる効能を持つ。側頭葉への血流を短期急速に低下させる事によって一時的な記憶喪失を引き起こさせるんだ。
難しい話を君にしても仕方ないからわかりやすくいえば、君をパソコンだとしよう。
ただし、機能的に決して優秀なパソコンではないからwindows95くらいが妥当だろうか？
処理速度も遅いし、非常にユーザーにとってはストレスが大きい。
正直、私自身も使った事がないのでこの例えの正確性についてはまだまだ議論の余地はあるが、君がそれを望むとは思えないので、ここは省略するとしよう。
いずれにしてもパソコンには膨大なデータが記憶されている。
そこにこの赤の錠剤を入れる事によってまるでマイクロSDやUSBでデータを引き抜くようにすっぽりと君のハードディスクから事件の内容を消去する事ができる。
そしてこちら【青の錠剤】。信号でいえばもちろんゴーだ。
抜け落ちた記憶の変わりに、脚色された別の記憶を君の頭に埋め込む事が出来る。いうなれば新しいメモリーカードだ。
叶うならパツキンの綺麗なお姉ちゃんとの愛欲に塗れた記憶でも入れてあげたいところだけど、今回ばかりはシリアスにいこう。
まぁ一定期間だけのものだから、少し時間が経てばその記憶はゾンビのように蘇ってくる。
先日、総選挙で比例当選したどっかの元総理大臣や現党代表ととおんなじようなものだ。
大体あんな制度おかしくないか？落選議員がゾンビ当選するだなんて本当に民意を反映しているといえるだろうか？
そして、捏造の記憶は、その根本からすっきりさっぱり消え去るんだよ。ジャニーズやAKBの元メンバーの如くまるで初めから存在しなったように君の脳内VTRに映り込むことすらない。
あの徹底ぶりには驚くばかりだがね。』
「そんな薬一体どこで…」
『薬の事なら君の方が詳しいようにも感じたが、それは私の勘違いかね？』
朝比奈先生の言葉に川崎はびくっと仰け反る。
『まぁいい。そこはあまり深くは追求しない。
私は面談に訪れた人間のプライバシーに深く踏み込む。いや、救う為には踏み込まざる得ない。
ただし、それはその、問題の解決に関連のある事実のみであってそれ以外の事は一切関知しない。
君は今回の事件については外から何か動きがない限りは沈黙を貫けばいい。
そして、その間は森田童子やcoccoの歌でも聴きながら病む練習にでも勤しんでいればいい。
しかし、図らずも事件の臭いを嗅ぎつけられる可能性は充分に考えられる。
もしも警察や怪しい人間が君に接触してきたときには、この錠剤を赤、青の順番で５分間隔で飲み干すんだ。
そうすれば君の悩みはすべて解決するはずだ。
何も怖い事はない。
ただひたすらに私を信じればいい。
それじゃあ残りの2億5000万円については3か月以内に用意するように。以上。』
【一週間後】
『早乙女、これは君への臨時ボーナスだ。受け取りたまえ。
君は本当に優秀な秘書だ。いや、まさに女優だ。
今回の案件についても君の協力なしではなしえなかった。
もちろん、君でなかったとしてもある程度の金を積めば受任を志願する心貧しき金の亡者は世にゴマンといるだろう。
だがしかし、そういった輩の多くはまずもって低脳である事が予想される。
低脳であればある程、秘密の保持は困難になる。
更に私への信頼の問題もある。これは私の能力に対して一抹の不安を抱こうものなら一気に計画は崩壊するだろうからね。』
「まぁ。お金なら十分頂いておりますわ。
それに私の悦びは先生にお仕えする事。叶うならいつまでもお側で。」
『面白い。これは私の推測だが、君は私がいつか大敗北を喫し、ひれ伏す姿を望んでいる。
そして、誠に残念な事だが君は完璧すぎる。私は君に性的な感情は一切持ち合わせていない。
その完璧なまでの造形美、任務遂行力それが崩れたときにはサヨナラだ。』
「まぁ随分ストレートな物言いですね。そんな所も先生の魅力ですわ。
それにしても、さすがに驚きを隠せません。【男の部屋で死体になってこい】だなんて。とっても刺激的でした。
【仮死状態になる薬】だなんてとてもロマンチックで。
まさかそんな代物の精製に成功されているなんて。夢にも思いませんでしたけど。そう。まさに先生との日々は夢のようで。」
そういって早乙女は口角のみで笑う。
『馬鹿なっ。
君はロミオとジュリエットを読んだ事がないのか？あれは14世紀のヴェローナで起きた痛ましい悲劇。
あーあロミオあなたはどうしてロミオなの？…ロミオだからだよ？
仮にそれが空想であったとして14世紀だなんて太古の昔に考案されていた程度の薬品を私に精製できないワケがない。
赤子の手を捻るようなものだ。
だが、しかし私には赤子の手を捻るなど非人道的な行為などできかねる。
だって可哀想だからぁー。
残念な事といえば君の仮死状態を私が拝めなかった事だ。これはまさに痛恨の極み。
きっとどの役者よりもジュリエットしちゃった☆
はずだ。
天国のシェークスピアもハンカチーフを噛んでさぞ悔しがっている事だろう。』
「本件の【本当の】クライアント、高橋様へのご連絡はいかがいたしますか。それから川崎に対する処置もまだお済ではないのでは？」
『必要ない。今回の報酬はすべて、当事務所のものになる。
高橋から現金１億、川崎から回収した現金5000万、それはいいとして厄介なのは川崎の所持していた時価相当額５億円分の覚醒剤。これは通貨として非常に扱いにくい。
後から高橋ちゃんに買い取ってもらう事にする。
だから、連絡はそのときでいい。
彼も自分のシマを荒らす輩を特定できたと喜んでいる事だろう。そこに時価５億もの商品が半額で転がり込むんだ。
失禁しながら歓喜の声を上げるゴリラが目に浮かぶねぇ。』
「それにしても先生も人が悪いですわ。川崎様が可哀想。死体のない殺人なんて、よっぽどの事でもないと立件なんて…ましてや死刑なんて嘘ですわよね。
実際、私は生きておりますし。」
『早乙女。無知とは時に罪なのだよ。
知らなかったから許される状況を想像したまえ。
事実そのものの社会的影響が大きくなればなるほど、その間口は狭くなっていくのだ。それも、限りなく。
知らないでは済まされない。
そして、犯した罪の度合いも分からない人間に罪を犯す資格などないのだよ。
資格のある人間の罪が白昼にさらされる事はない。
もっとも、川崎の罪は誰の目に触れる事もなく、当人の謎の自殺をもって闇に葬られたワケだが。』
「川崎様は…彼は…お亡くなりになったのですか？」
『あれ？知らなかった？痛ましい限りだが、自室で自殺したらしい。いや、惜しい命を失った。私はなくなった彼の為にも生きて、この人生の苦しみを謳歌しようと心に誓ったね。』
「まさか…彼に渡した薬は…」
『薬はなんの事だか私にはさーっぱり？
だが、偶然とは恐ろしいものだね。
彼は服毒自殺をしたらしい。さすがにそこは覚醒剤の密売人。
危険な薬を手に取るチャンスやそのルートは数多あった。
私の推測だが、警察のフリをした男でも彼のマンションをノックでもしたのではないかね。
【警察です。お話をお伺いしたいのですが】とね。 』
「失敗でございますか…さすがの先生でも、一時的に特定の記憶だけをピンポイントで抜き取る薬だったり、捏造の記憶を埋め込む薬だなんて…少しだけ、ファンタジーがすぎると思ってましたの。
それにしても…恐ろしい…身震いがする程、冷酷で残忍で人間味がない。素敵な男ですわ。朝比奈先生は。」
『それは褒め言葉と受け取っておこう。
褒められついでに、君にひとつだけヒントをあげよう。
仮に、だ。あくまで仮の話だが、君の推測に沿って【最終的】彼に授けた錠剤がただの毒薬だったとして、だ。
生前の彼と言い争った記憶はあるかい？
それに彼は朝までの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちている。
そして仮初めの殺人の記憶の断片だけが残されているのだよ。
君が彼の酒に混ぜたのが単なる睡眠薬じゃ、少し芸がなさすぎるとは思わないかい？』
「先生…まさか…わざと…」
『これ以上の言及は不要だ。フィナーレは君の頭の中で組み立てて、好きなように妄想を膨らませるといい。』
「仰せの通りに。」
『奇しくもロミオとジュリエットの初演1940年のマルゴーがワインセラーに入っている。持ってきたまえ。』
『本事案の解決の祝福と、川崎の死を悼んで。それから君の美しさに。乾杯。』
グラスが重なり合い、小気味良い音が小さく響く。
そこからしばらくは沈黙と微笑みだけが面談室の時間を埋め尽くしていた。
以上。
クライアントのプライバシーに関わる繊細な事務を行う事情から、予約の際に事前のヒアリングは一切ない。
相談内容を加味した上で、独断と偏見と事務所の収益、及び、朝比奈先生の物欲状況によってその面談料は著しく変動する。
相談者は他の面談者との接触が禁止されている為、個室に通される。
４畳ほどの狭い部屋。清潔感のある薄いブルーで統一された壁面。
室内には一人掛け用の椅子とテーブルがあり、ウォーターサーバーと電子レンジ、自動販売用冷蔵庫、内線電話が完備されている。
また、冷蔵庫の中には朝比奈先生の手作りと思われる【本日のウェルカムデザート】入っており、どうやら今日はベイクドチーズケーキのようだ。
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「秘書の早乙女と申します。秋山様の順番が参りましたので、面談室までお越し下さい。」
若くつややかな女性の声で告げられた秋山は、扉の前で妖艶な微笑みを浮かべる早乙女に誘導され面談室へと続く狭い通路を歩いていく。
秋山は緊張に震える手でぎゅっとドアノブを握り面談室の扉を開ける。
そこには黒髪オールバックの男がいた。
年の頃は30代半ばといったところだろうか。
派手な紫色のオーダーメードスーツに身を包み、いかにも性格の悪そうな笑みを浮かべている。
決して客人を迎える態度とはいい難く、頭の半分が埋もれてしまうほど柔らかいソファーに体を投げ出すように腰掛け、高級なテーブルの上で脚を組んでいる。
粗方、相談内容を告げ、秋山は心配そうに尋ねた。
「先生、私の体は…大丈夫でしょうか？」
『お答えしましょう！私の診断によると、急性上気道炎ですね。』
「急性…じょうきどう…えん？」
困惑する秋山をよそに、朝比奈先生の早口でまくし立てる演説が始まる。
『えぇ、簡単にご説明しましょう。
あなたの体は今、大気中に無数に存在する人体に害悪を及ぼす微生物によって侵食されております。結果、上気道に急性感染症を発症してしまっているという非常に絶望的な状態でございます。
ちなみに上気道とは鼻前庭から鼻腔、咽頭までを指します。ほら？よくタバコの吸いすぎで喉頭癌になるとか聞きますでしょう？
更にご案内差し上げれば、喉頭癌の中でも最多の発症率を誇る、いわば喉頭癌の不動のエースである声門癌は、初期の段階で末場スナックのママのように声がしゃがれます。
あらゆる癌の中で最も早い段階で症状が確認できる癌といえるでしょうね。
この段階で気付く事が出来たらそれは本当にラッキーです。
１等前後賞合せて６億円の宝くじが当たったと思って万歳三唱でもすればいい。
言葉を失うこともなく、放射線でほとんど痛い思いすらせずに治癒する事もございます。
あなたは６億円手に入るなら声を失っても構わないと思いますか？私はそうは思わない。
だって声をなくしちゃったらナンパだって困難を極めますし、何よりカラオケで【X JAPANメドレー 〜いつまでも叫び続ける】と【ゴールデンボンバーほぼ全曲メドレー2011】が歌えなくなっちゃいます。
にも、関・わ・ら・ずです！
誠に遺憾な事に自分の体は一番自分がよく分かっているといったような、甚しくも哀愁漂う愚かな勘違いをされている方の多いこと多いこと…
何の根拠もなく勝手に自分は癌にはならないと思っているらしく、初期の貴重な声がれのサインを見逃して、大切な声を失ってしまう輩は後を立ちません。
これは無知が生んだ悲劇です。
…まぁ私があなたにご協力できる事があるとすれば、現段階においては非ステロイド系抗炎症剤を処方される事をお勧めするぐらいでしょうね。
何分、現代の医学においては特効薬は開発されていない非常に難解な病気でございますもので。
あっちなみにこちらは非ステロイド系ですので、1998年は本塁打王争いを演じ、1シーズン70本クラスという驚異的な記録争いをし、共にスポーツ・イラストレイテッド誌の「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」に選出されたマークマグワイアやサミーソーサが後に取り立たされた筋肉増強剤疑惑関連の薬物とは似ても似つかない安全な薬品でございませんので、悪しからず。』
「先生…私は…どうすれば…」
不安に駆られた相談者が口を開くと間髪入れずにこう続ける。
『安静にして睡眠をしっかりとることです。』
「はい？」
『先ほどのご説明では、あなたの圧倒的な理解力不足が原因で適切に伝わらなかったようですので、もう少しだけ簡単にお伝えします。
急性上気道炎…つまり…
ただの風邪だからね!!!!
それに私は医者ではないので、今後こういった下らないご相談は掛かり付けのヤブ医者にでもして頂くとありがたい。
風邪薬の処方といった程度の法令違反で私の看板に傷を付けるような愚行は避けたいもので。申し訳ありませんが、どうぞお引き取り下さい。
面談料は63000円。クレジット払い、分割振込OK、分割は最大2625円の24回。金利手数料はいだたきません。振込手数料等は自己負担でお願いします。それではさっさとあったかい布団に入って、桃の缶詰でも貪りながらゆっくりお休み下さい。以上!!!!』
一切詰まる事もなく、まくし立てると内線電話を手にする。
『早乙女！次！』
次に訪れた相談者は20代前半の金髪の男だった。事務所側の都合で内線電話のみでの誘導で、面談室へたどり着く。
男は川崎と名乗り、ガタガタと震えながら朝比奈先生に深々と頭を下げた。
そして、開口一番こう切り出した。
「先生はなんでもできる悪魔だって、組の人が教えてくれた。先生、俺を無罪にして欲しいんだ。」
『ほう、無罪ね…実に興味深い。
それより何よりそのキャッチコピーは如何なものかと。
まずもって私のどこに悪魔的要素があるのかも理解不能だし、ましてやなんでもできるだなんて買い被りもいいところです。それに圧倒的にイメージが良くない。
まぁいい。では質問しますが、あなたは一体どんな罪を犯したというのででしょう？』
「女を…女を殺しました。」
『むーりー。そんなのむーりー。弁護士雇えよ。弁護士。大体そんな衝撃的なカミングアウト見ず知らずのギャル男とＶ系の中間みたいなヤツにされて、うんOK！なんて気軽にいえるかボケっ！』
「3000万出せる…」
朝比奈先生の眼光が鋭さを増す。
『ほう？大層な金額ですね。お見受けするところ20代のあなたが一朝一夕に準備できる金額とは思えませんが？
申し訳ないが頭は悪そうだ。そして育ちがいいようには見受けられない。
だが、その顔面はなかなか清潭でもある。それでも、なんというかバックボーンの希薄さがにじみ出ている。さしずめ、夜の煌びやかなネオンの裏でお金と愛欲に塗れた日々を重ねているホストといったところでしょうか？
ホストを続けていけば、あなたが先ほど組の人と申したような人脈も自然と形成されてくる。
横の繋がりというのはなかなか強固ですからね。
いずれにしてもあなたにとっての3000万円が大金な事は私も重々理解はできます。
そして、その金額の出処如何も私には不安要素だ。
しかし、正直3000万円ごときで請け負えるような案件ではございませんので、どうかお引き取りの上、警察に自首する事を推奨します。
その上で素敵なプリズンライフを満喫していただいで、屈強、かつ、頭の逝かれた変態的趣向の持ち主に囲まれてアーーーーーッ！なセブンズヘブンを築き上げる事を切望してやみません。以j…
「待って!!!!いくらなら…いくらなら、引き受けてくれる？」
『3億。』
張り詰めた空気が流れる。
「分かった。3億…用意するよ。だから、助けて下さい。」
『うん。OK！
そうと決まったら、まずは前金だ！3億全部とは言わないから、今用意出来るギリギリの金額を私のところに持ってきなさい。2時間待つ。話はそれからだ。以上!!!！』
それからすぐさま、内線電話を手に取る。
『早乙女！今日の予定は全部キャンセルだ。私は今から急性上気道炎で緊急手術だとクライアントには伝えたまえ！以上!!!!』
「仰せの通りに。」
【2時間後】
川崎は大きなスーツケースに詰めた札束を朝比奈先生の前で広げた。
「今、ここに5000万円ある。前金で用意できるのこれが限界だけど、残りも用意する宛はあるんだ。先生。引き受けてくれますよね。」
『うん。OK！
じゃあまずは、状況を把握したいんだけど、君の彼女をどんなシチュエーションで殺しちゃったの？』
「それが…はっきりは覚えてないんだ。それに彼女とかじゃなくてその日うちの店に飲みにきた女でさ、あんまり綺麗だったからそのまま口説いたんだよ。
そんで俺のマンションに帰って酒を飲んでたときに、些細な事でそいつが突然キレ出してさ、口喧嘩したところまでははっきり覚えてるんだけど、朝起きたら腹ん所が血塗れで息もしてなくて近くにワイン開ける時に使ったナイフが落ちてて…鍵はかけてたし、俺気が動転しちゃってさ、すぐ警察とか救急車呼ぶべきだったんだろうけどさ、どうすればいいのかわかんなくなってそれに…それに…」
『女の腹部をナイフで貫いた感覚だけはその手にしっかり残っている。つまり、殺人の自覚はある。そして一瞬ではあるが、明確な殺意もあった。違うかい？』
「その…その通りです。」
『混乱を避ける為に、これからその女を【サオトメ】と呼ぶ事にしよう。
特に深い意味はないが、近々オスカーを狙える位に死体役におあつらえ向きな女を知っているものでね。
もちろん状況証拠だけだが、君以外にサオトメを殺すチャンスがあった人がるだろうか？否、そうなればやっぱり間違いなく犯人は君だね。
そして君は自分の手でサオトメの腹部を貫いた感覚をはっきりと覚えている。
その事実が怖くなった。叶うなら隠蔽しようと思った。
幸い事件については未だその事実は公にはなっていない。
目撃者はなし、近隣住民も通報をしてはいないようだ。
誰に頼ればいいだろう？
あっ高橋組長に相談すればいいじゃないか。闇で精通している彼ならもしかしたら俺を助けてくれる方法を知っているかもしれない。
サオトメの死体の管理と処理は兄貴がしてくれる…
事実の隠蔽についてはその兄貴が絶大な信頼を置く、朝比奈大先生を紹介されましたとさ。めでたし。めでたし。
っとまぁこんな売れない三流小説家が考えそうなシナリオでほぼ確定だろうが、何か異論は？』
「先生のいう通りだよ…。」
『よし！そうと解れば話は早い。まず、このまま自首すれば君は間違いなく死刑だ。
昔はひとり殺したくらいじゃ…みたいなノリもあったみたいだけど、最近はそこんところやたら厳しい。
それもこれも人権派とかいわれる脳みその逝かれた弁護士共のせいだ。
ドラえもんに蝶蝶結びだと？バカも休み休み言え。凶悪犯罪者に人権など必要ないのだよ。
世界人権宣言？日本国憲法？アホか！
大体欧米なんて犯罪者その場で射殺しよるやろうが。
そんな奴らに死刑が非人道的だのなんだのかんだの言われたくないね。
貴様らの方がよっぽど野蛮じゃないか？
まぁ私はそもそも抵抗する現行犯を射殺するって野蛮極まりない解決方法に対しては全面的に賛同するけどね。
キャンペーン展開をするならスポンサーになりたいくらいだ。
そうだな、キャンペーンガールは栗山千明がいい。
【凶悪犯は殺害せよ】
そういってコルトを顔の右斜め４５度に構えお茶の間を睨みつける。
う〜ん。実にいい画になるじゃないか！
左翼共の断末魔が聞こえてくるねぇ。
憲法改正大賛成。
とりあえず9条、11条、及び36条は撤廃しろ。そして、重大犯罪者は半永久的に人権剥奪を明記すべきだ。我々の生活基盤を侵すような輩を野放しにしておく事が異常なのだよ。
大体、他人の人権の根本を己の欲望の為に無理やり奪っておいて自分の人権が…なんてどの口がいうんだ。身勝手が過ぎると…君はそう思わないかい？
おっと、ゴメーン！君は身勝手極まる極悪卑劣で品性下劣な人格欠陥の著しい凶悪犯罪者だったな。いや、失言だった、訂正はしないが、謝罪はしよう。』
『さて、死刑執行予備軍の特攻隊長の君に最適なアドバイスをあげよう。鼻の穴をかっぽじってよーく聞くといい。
君は【刑法39条】を知っているか？』
川崎はぶるぶると首を横に振る。
『心神喪失者は罰しないのだよ。つまり逝かれてるヤツは罪に問われない。君は今日から逝かれればいい。』
そういって朝比奈先生は川崎の肩をぽんぽんと叩く。
『いいか？君は元々ある程度逝かれているんだ。動機すら覚えていないクセに人を殺せるような人間が逝かれていないはずがない。
それをちょっとだけ誇張したらいい。なっ？簡単だろう？
カルテは私の顔なじみの医者に作らせる。
なーに安心するんだ。精神科医なんて輩はなんでもかんでも病気にしたがる病に陥っているヤツらが大多数だ。むしろ精神病の病原菌といっても過言ではない。
ちょーっと凹んだだけのヤツに大層な病名をつけて、あるいは今まで聞いたこともないような病名をこじつけて健康な人間を病人に仕立て上げる。
何回も何回もお前は病気だといわれ、一緒に頑張りましょう。なんていわれたら大抵の人間は自分は病気だと擦り込まれるだろう。
そんな擦り込みを重ねられた上に、優しく手を差し伸べられるんだ。医者がキリストに見えるだろう。
そしたら愉快な精神病患者の完成だ。
だから君は安心して、逝かれた自分を演じ続ければいい。そしたら君の無罪は確定だ。無実じゃないけど、無罪。おｋ？』
「先生…それってそんなにうまくいくもんなんですか？」
『案ずるな若者よ。そのときの為にとっておきの秘策を用意してある。これだ！!!!』
朝比奈先生はそういうと、右手に持った原色の赤と青の錠剤を突き上げる。
「先生、これはなんですか？」
『毒薬に決まっているだろう。』
「毒なんか飲んで死んじゃったりしないんですか…」
『え？死ぬよ？
いいかい？死とは万人に訪れる開放なのだよ。
人は死ぬことによって初めてすべての事から許されるんだ。いずれにしてもいつかは死んでしまうんだからそれが早いか遅いかの違いだろう？
なーんにも怖いことなどない。』
「ちょっと…何いって…先生は死ぬことが怖くないんですか？」
『超こわーい。マジ無理。死後の世界とか信じてないもん。
それに私が死んだらマルチーズの【チェダー君】と【エダムちゃん】のお世話は誰がするというんだ。むーりーむーりー絶対むーりー！
私の話などどうでもいい。
それにこの薬で君は死ぬことはない。
簡単に説明しよう。
まずはこちら信号機でいえばストップ！【赤の錠剤】だ。
これは君の記憶を一定期間錯乱させる効能を持つ。側頭葉への血流を短期急速に低下させる事によって一時的な記憶喪失を引き起こさせるんだ。
難しい話を君にしても仕方ないからわかりやすくいえば、君をパソコンだとしよう。
ただし、機能的に決して優秀なパソコンではないからwindows95くらいが妥当だろうか？
処理速度も遅いし、非常にユーザーにとってはストレスが大きい。
正直、私自身も使った事がないのでこの例えの正確性についてはまだまだ議論の余地はあるが、君がそれを望むとは思えないので、ここは省略するとしよう。
いずれにしてもパソコンには膨大なデータが記憶されている。
そこにこの赤の錠剤を入れる事によってまるでマイクロSDやUSBでデータを引き抜くようにすっぽりと君のハードディスクから事件の内容を消去する事ができる。
そしてこちら【青の錠剤】。信号でいえばもちろんゴーだ。
抜け落ちた記憶の変わりに、脚色された別の記憶を君の頭に埋め込む事が出来る。いうなれば新しいメモリーカードだ。
叶うならパツキンの綺麗なお姉ちゃんとの愛欲に塗れた記憶でも入れてあげたいところだけど、今回ばかりはシリアスにいこう。
まぁ一定期間だけのものだから、少し時間が経てばその記憶はゾンビのように蘇ってくる。
先日、総選挙で比例当選したどっかの元総理大臣や現党代表ととおんなじようなものだ。
大体あんな制度おかしくないか？落選議員がゾンビ当選するだなんて本当に民意を反映しているといえるだろうか？
そして、捏造の記憶は、その根本からすっきりさっぱり消え去るんだよ。ジャニーズやAKBの元メンバーの如くまるで初めから存在しなったように君の脳内VTRに映り込むことすらない。
あの徹底ぶりには驚くばかりだがね。』
「そんな薬一体どこで…」
『薬の事なら君の方が詳しいようにも感じたが、それは私の勘違いかね？』
朝比奈先生の言葉に川崎はびくっと仰け反る。
『まぁいい。そこはあまり深くは追求しない。
私は面談に訪れた人間のプライバシーに深く踏み込む。いや、救う為には踏み込まざる得ない。
ただし、それはその、問題の解決に関連のある事実のみであってそれ以外の事は一切関知しない。
君は今回の事件については外から何か動きがない限りは沈黙を貫けばいい。
そして、その間は森田童子やcoccoの歌でも聴きながら病む練習にでも勤しんでいればいい。
しかし、図らずも事件の臭いを嗅ぎつけられる可能性は充分に考えられる。
もしも警察や怪しい人間が君に接触してきたときには、この錠剤を赤、青の順番で５分間隔で飲み干すんだ。
そうすれば君の悩みはすべて解決するはずだ。
何も怖い事はない。
ただひたすらに私を信じればいい。
それじゃあ残りの2億5000万円については3か月以内に用意するように。以上。』
【一週間後】
『早乙女、これは君への臨時ボーナスだ。受け取りたまえ。
君は本当に優秀な秘書だ。いや、まさに女優だ。
今回の案件についても君の協力なしではなしえなかった。
もちろん、君でなかったとしてもある程度の金を積めば受任を志願する心貧しき金の亡者は世にゴマンといるだろう。
だがしかし、そういった輩の多くはまずもって低脳である事が予想される。
低脳であればある程、秘密の保持は困難になる。
更に私への信頼の問題もある。これは私の能力に対して一抹の不安を抱こうものなら一気に計画は崩壊するだろうからね。』
「まぁ。お金なら十分頂いておりますわ。
それに私の悦びは先生にお仕えする事。叶うならいつまでもお側で。」
『面白い。これは私の推測だが、君は私がいつか大敗北を喫し、ひれ伏す姿を望んでいる。
そして、誠に残念な事だが君は完璧すぎる。私は君に性的な感情は一切持ち合わせていない。
その完璧なまでの造形美、任務遂行力それが崩れたときにはサヨナラだ。』
「まぁ随分ストレートな物言いですね。そんな所も先生の魅力ですわ。
それにしても、さすがに驚きを隠せません。【男の部屋で死体になってこい】だなんて。とっても刺激的でした。
【仮死状態になる薬】だなんてとてもロマンチックで。
まさかそんな代物の精製に成功されているなんて。夢にも思いませんでしたけど。そう。まさに先生との日々は夢のようで。」
そういって早乙女は口角のみで笑う。
『馬鹿なっ。
君はロミオとジュリエットを読んだ事がないのか？あれは14世紀のヴェローナで起きた痛ましい悲劇。
あーあロミオあなたはどうしてロミオなの？…ロミオだからだよ？
仮にそれが空想であったとして14世紀だなんて太古の昔に考案されていた程度の薬品を私に精製できないワケがない。
赤子の手を捻るようなものだ。
だが、しかし私には赤子の手を捻るなど非人道的な行為などできかねる。
だって可哀想だからぁー。
残念な事といえば君の仮死状態を私が拝めなかった事だ。これはまさに痛恨の極み。
きっとどの役者よりもジュリエットしちゃった☆
はずだ。
天国のシェークスピアもハンカチーフを噛んでさぞ悔しがっている事だろう。』
「本件の【本当の】クライアント、高橋様へのご連絡はいかがいたしますか。それから川崎に対する処置もまだお済ではないのでは？」
『必要ない。今回の報酬はすべて、当事務所のものになる。
高橋から現金１億、川崎から回収した現金5000万、それはいいとして厄介なのは川崎の所持していた時価相当額５億円分の覚醒剤。これは通貨として非常に扱いにくい。
後から高橋ちゃんに買い取ってもらう事にする。
だから、連絡はそのときでいい。
彼も自分のシマを荒らす輩を特定できたと喜んでいる事だろう。そこに時価５億もの商品が半額で転がり込むんだ。
失禁しながら歓喜の声を上げるゴリラが目に浮かぶねぇ。』
「それにしても先生も人が悪いですわ。川崎様が可哀想。死体のない殺人なんて、よっぽどの事でもないと立件なんて…ましてや死刑なんて嘘ですわよね。
実際、私は生きておりますし。」
『早乙女。無知とは時に罪なのだよ。
知らなかったから許される状況を想像したまえ。
事実そのものの社会的影響が大きくなればなるほど、その間口は狭くなっていくのだ。それも、限りなく。
知らないでは済まされない。
そして、犯した罪の度合いも分からない人間に罪を犯す資格などないのだよ。
資格のある人間の罪が白昼にさらされる事はない。
もっとも、川崎の罪は誰の目に触れる事もなく、当人の謎の自殺をもって闇に葬られたワケだが。』
「川崎様は…彼は…お亡くなりになったのですか？」
『あれ？知らなかった？痛ましい限りだが、自室で自殺したらしい。いや、惜しい命を失った。私はなくなった彼の為にも生きて、この人生の苦しみを謳歌しようと心に誓ったね。』
「まさか…彼に渡した薬は…」
『薬はなんの事だか私にはさーっぱり？
だが、偶然とは恐ろしいものだね。
彼は服毒自殺をしたらしい。さすがにそこは覚醒剤の密売人。
危険な薬を手に取るチャンスやそのルートは数多あった。
私の推測だが、警察のフリをした男でも彼のマンションをノックでもしたのではないかね。
【警察です。お話をお伺いしたいのですが】とね。 』
「失敗でございますか…さすがの先生でも、一時的に特定の記憶だけをピンポイントで抜き取る薬だったり、捏造の記憶を埋め込む薬だなんて…少しだけ、ファンタジーがすぎると思ってましたの。
それにしても…恐ろしい…身震いがする程、冷酷で残忍で人間味がない。素敵な男ですわ。朝比奈先生は。」
『それは褒め言葉と受け取っておこう。
褒められついでに、君にひとつだけヒントをあげよう。
仮に、だ。あくまで仮の話だが、君の推測に沿って【最終的】彼に授けた錠剤がただの毒薬だったとして、だ。
生前の彼と言い争った記憶はあるかい？
それに彼は朝までの記憶が綺麗さっぱり抜け落ちている。
そして仮初めの殺人の記憶の断片だけが残されているのだよ。
君が彼の酒に混ぜたのが単なる睡眠薬じゃ、少し芸がなさすぎるとは思わないかい？』
「先生…まさか…わざと…」
『これ以上の言及は不要だ。フィナーレは君の頭の中で組み立てて、好きなように妄想を膨らませるといい。』
「仰せの通りに。」
『奇しくもロミオとジュリエットの初演1940年のマルゴーがワインセラーに入っている。持ってきたまえ。』
『本事案の解決の祝福と、川崎の死を悼んで。それから君の美しさに。乾杯。』
グラスが重なり合い、小気味良い音が小さく響く。
そこからしばらくは沈黙と微笑みだけが面談室の時間を埋め尽くしていた。
以上。
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