8. そして私は別の人間になれただろうか 旗が風にたなびくのは旗が動いているのか、心が動いているのか。複雑で繊細な生命のネットワーク現象を感じ取るためには、五官で感じられない量子力学現象に心が震える必要がある。この家で生活すると、意識がそのように進化するだろうか。 訪問を電話でマドリンに報告したところ、「昨日の自分と違った自分になって帰ってきた?」と聞かれた。実はその翌日さっそく不思議なことが起きた。 水曜日の朝、朝早くホテルを出て8番街と西29丁目の交差点にいくと、親しい人に再会したという気がしたのだ。その相手とは、歩行者用信号の止まれのサインだった。豆電球でつくった片手を広げた形の輪郭は、バイオスクリーブハウスでは銅製のパネルとして、いくつかの部屋で照明のスイッチとして使われている。その記憶のおかげで、止まれの信号に妙な親しみを感じたらしい。10ブロックほど下がったところにある合気道の道場に通っていたのだが、その日は交差点ごとに歩行者用信号を写真に収めていた。光や形への感受性が高まったのだろうか。 また帰国する飛行機の中でひと眠りして目を上げると、通路の上にある黄色い電灯が、彗星の尾っぽのように「く」の字のように壁に伸びていた。それが反対側の荷物入れに当たって扉をうすぼんやりと照らしていた。それはさらにもとの彗星の尾っぽのとなりで逆「く」の字に身をそらしていた。 この光景がとてもなつかしく感じられ、カメラを取り出していろいろな明かりを写真に収めたのだった。もしかしたら、僕の意識の中で、光に対する感受性が高まったのかもしれない。 短い滞在の間、掃除ばっかりやっていたので、私の体験したことがはたしてどこまで作家の意図を反映していたのかはわからない。だけど私にとっては、発見と感動に満ち溢れたおもしろい体験だった。 掃除しているときにくしゃみが出て、バイオスクリーブハウスの中では、音が非常によく反響することに気づいた。そこで思っていたことを、大きな声で叫んでみた。「荒川さん、おもしろいです。本当にすごいものを作りましたね。You did a very good job!」荒川は天国なんかいってなくて、きっとこの家のどこかに隠れていると確信した。 これこそが芸術である。もしこれが芸術作品というのに値しないというなら、人類はまだなにひとつとして芸術を生み出していない状況にあるといっても過言ではない。 まだこの家の存在を知らない人たちに、ぜひともこの家を掃除にいくよう奨めたいと思い、つたない体験の一部を言語化して記録する。荒川は、この家を味わってくれる人が来ることを首を長くして待っている。 そよ風に揺れ動く一枚の木の葉に感動できる意識をつくりだすことが、現代における悟りであろう。(2012.5.9)