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『山口県観光案内』コミュの日本で“最初”の天神様『防府天満宮』

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『防府天満宮』は、日本で最初に創建された天神様として、山口県防府市松崎町に鎮座しています。

藤原摂関政治の中で要職に就いていた 菅原道真 が昌泰4年(901年)に、左大臣藤原時平の讒言によって失脚し 大宰権帥 に左遷され、九州(大宰府)に下向する途中、船を当地勝間の浦(防府)にお着けになり暫くご滞在になりました。 道真は酒垂山にお登りになり「身は筑紫にてはつるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」とお誓いになり、家宝の金鮎12尾を同族の周防国司 土師信貞 に託して寂しく旅立たれました。
延喜3年(903年)に道真が失意の中九州の地で薨去された日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。 ここに国司土師信貞は道真の御霊がお帰りになられたと、翌延喜4年(904年)この地の酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。

これが“日本で最初の天満宮”といわれています。

菅原道真の死後、京には異変が相次ぎ、これらを 道真の祟り だと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行いました。
延喜23年(923年)には、従二位大宰権帥 から 右大臣 に復され、正二位 を贈られたのを初めとし、正暦4年(993年)には「正一位」「左大臣」「太政大臣」を贈位・贈官され、律令制最高位に任命され、子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返されています。
そして、永延元年(987年)に 一条天皇 より『北野天満宮天神』の称が贈られました。

「清涼殿落雷の事件」から道真の怨霊は「雷神」と結びつけられ、「火雷天神」を祀る『北野天満宮』を建立し、道真の祟りを鎮めようとしました。
以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられました。
こうして「天神様」として信仰する『天神信仰』が全国に広まることになり、やがて各地に祀られた 祟り封じ の「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い、道真が生前優れた 学者・詩人 であったことから、後に「天神様」は「学問の神」として信仰され親しまれています。


『防府天満宮』は北野天満宮(京都)、太宰府天満宮(福岡)と並んで“日本三大天神”と言われ、創建以来防府のシンボルとして県内外から参拝者が絶えず、多くの人々に親しまれています。


祭事として「神幸祭(ごじんこうさい)」があり別名「裸坊祭」とも呼ばれ、年に一度の御祭神菅原道真公の御旅行で、防府天満宮でもっとも大きなお祭です。 当日は五千人の裸坊が市内にあふれ、夕刻より巨大なお網代を引き、二体のお神輿をかつぎ、菅公御着船ゆかりの地勝間の浦(御旅所)までを往復する荒祭です。

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