ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ハセヤンコミュのハセ史第四章・・美化されたヒストリー・・大学編?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
それは決して桜咲く
甘い時代ではなかった・・

念願のw同大入学
何処で調べたか中学のバド部の先輩から
「レギュラー空けてまってるぞ!」
と家に電話がかかってきた。
「おっす!」とうぜんその気の俺。

実は高校にはバド部はなかったが
社会人の人たちと練習を続けていた。
同じように高校にクラブのなかった
中学時代のキャプテン桑原は
その後龍谷大バド部で活躍している。
そのまま行けば対戦していたであろうかw

さて、同志社今出川キャンパスを
ご存知の方ならわかると思うが、
今出川キャンパスは西と東に門がある。
つまりは烏丸今出川と同志社女子側である。
当時地下鉄はまだなく、
同志社に行くには阪急烏丸か
京阪三条かのどちらかから
市バスに乗ることになるのである。

当時近鉄アベノ橋から京都に向かう時、
地下鉄で梅田そして阪急、あるいは
JRで京橋そして京阪で、
このどちらかだったわけである。

クラブのオリエンテーション、
入部受付のその日、
何も考えずに京阪ルートを取った。
その結果、同女側つまり東門から
今出川キャンパスへと入ることになった。

実はこの時、バド部の出店は
西門を入ってすぐのところにあったのだ。
東門から入っても問題なく行ける・・はず。。


そこに運命のいたずらが待っていた。
東門入ってすぐの神学館前で
音楽系サークルのデモ演奏が行われていた。
もちろん立ち止まり、聞く見る。

内心、やはり大学生ともなると
上手なもんだな・・・
それにええ楽器持ってるな〜・・
フェンダーにギブソンか・・

しばらくすると、いきなり後から声が!
「ハセなにしてるん?」「え?誰?」
振り向くとなんとそこには、
天王寺高校同期で軽音楽部のキーボーダー
アッチャンが!
そうか、彼女は現役で同志社に来てたんや!

「同志社来たんやwまた音楽するんやろ?」
「え・・うん・・まあな・・」
本来はバド部に・・・俺の心がここで
180度方向を変えた。
「今デモ演奏してたの、うちの部員やねん
うちのクラブ入る?」

京都でいきなり同級生、それも音楽仲間との再会。
「わかった、なら入るわw」・・・

晴れて、同志社大学部外連所属
「とんがりぼうし」の一員となった瞬間であった。

もしも、阪急で行ってたら
間違いなくバド部に入っていたはずである。
親には・・・もちろん言えなかった・・w


そんなこんなで大学生活、クラブ活動が始まった。
そのころはアコースティックとロックが
半々くらいの割合であったような気がする。
友人もできた、新歓コンパでリバースもしたw
夏合宿の為に必死でバイト!
一回生もいろいろバンドを組みだした。
達者に演奏する奴もけっこういる。。

何故かバンドを組む気にならなかった。
高校・浪人時代に悪さしてたせいか
期待していたほど大学生は悪さしなかったw
音楽に関しても、理屈が先行してて
いまいち楽しめなかった。。
クラブ自身は楽しいのだけれど、
こと音楽に関しては楽しめなかった。。

この頃から、どうせやるなら外やな・・。
そんなふうに思っていたようだ。
今思えば、クラブの定演に初めて出たのが
三回生の夏なのに、
二回生の秋に当時組んだバンドで
西部講堂などに出ていたのである。

夏休みに、それまで付き合ってた
大阪の彼女と別れた。
環境が変わると、いろいろある。
ここからダメ期に入る、
次に彼女が出来るのはなんと
四回生の頭になるのだからw
ハセヤンにとってはいろんな意味で
冬の時代である。。

楽しみと言えば、ライブ行く事と
音楽喫茶行く事と、酒くらいである。
だいたい工学部は忙しいから
普段バイトする時間がない。
おまけに通学に片道二時間w

通学苦を理由に、下宿させてくれと親に頼み込む。
始めは拒否していた親父も
俺の一週間プチ家出により軟化w
二回生の秋9月から、
念願の一人暮らし開始となるのだ。

この間、言ったように
音楽サークルにいながら
音楽面ではほとんど目立たず、
他のことばかりで目だってたわけでww
ただ、自分のやりたい音楽が
少し見えてきた時期でもあるのだ。


さあ、京都一人暮らしの始まり!
大学編その?を待て!w

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ハセヤン 更新情報

ハセヤンのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング