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ZOMBIE/LIVING DEAD(ゾンビ)コミュのゾンビについてとことん考える

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別トピックで書き込みをしているうちに色々と疑問が浮かんできましたので、改めてゾンビの定義や存在意義について“とことん考える”トピックを立ててみました。

そもそも何を以てゾンビというのか?

ロメロ流の『リビングデッド=生ける屍』より遥か以前に、ブードゥ教の『死者のような奴隷』というモンスターとして、ホラー映画史上に現れたゾンビ。
近年の『28日後』に代表される『感染者』等々、実はゾンビに対する明解な定義付けはありません。

しかし一方で、同じ『蘇る死者』である木乃伊男はゾンビとは見なされないことを考えると、何らかの定義はあるようです。

またゾンビ映画は、
ホラーといういちジャンルから飛び出しかねないほど、沢山の作品を生み出すに至りました。
いったいゾンビの何が多くの人を魅了するのか?

『なんとなくこう思う』ではなく、この際とことん突き詰めて考えてみませんか?

コメント(37)

ゾンビとミイラ男やフランケンシュタインの怪物のような蘇った死者系怪物との違いは
・意匠:ゾンビは特別なデザインが無く、死体が動くという一点だけに意味を集約している。
意味的に同じなミイラ男との違いは出自とミイラが動くというギミックだけでしょうか。
仮にミイラ男映画などがロメロゾンビの後に初めて製作されてたら、ゾンビ映画の亜種扱いだったかもしれませんね。

・ギミック:ゾンビものは怪物役として大抵(部分例外はありますが)何らかの接触により被害者を加害者にし増殖する病原的なギミックを持っている点でしょうか。
これも同じものにドラキュラなどの吸血鬼映画があり、最近では描写にほとんど差が無い作品もありますね。
差は死者に対する扱いと怪物化後の知性保持の有無と弱点設定の違いぐらいでしょうか。
かつては集団で襲うというのはゾンビ映画の専売特許な感じでしたが最近はそうでも無いですしね。
個人的にはスペースヴァンパイア以降その辺の境界が曖昧になった気がします。
> ZEEDさん
「脳を破壊したら死ぬ」
一見「当たり前じゃん!」と言いたくなるような平凡なこの弱点こそが、モダン・ゾンビの特徴すべき特徴であり、魅了であることは確かです。
吸血鬼や狼男のような従来のモンスター、ジェイソンやフレディのような現代のモンスターは、脳を破壊しても殺せるかどうか怪しい。
というか頭部を破壊するところまでたどり着くのが大変ですよね。
ところがゾンビは銃さえあれば、か弱い女性でも倒せる。
どうかすると、鈍器や刃物でも無力化できてしまう。
「自分でも倒せそう」と思えるところが観る側の攻撃性を満たしてくれる部分はあると思います。
> ZAPさん

吸血鬼の特性を加えたことはロメロの大きな功績だということ異存はありません。
が同時に、ブードゥ・ゾンビからゾンビ・パウダーをはじめとするブードゥ教の秘術。疲れを知らない労働力としての奴隷。なによりハイチの地域性等々、削ぎ落としていったものもあるわけで。

逆に言えば、縛りの少ないシンプルさが、世界中ところかまわず起こり得る災厄となり、制作しやすくなったのかもしれません。
結果、夥しい数のゾンビ映画が溢れかえった、と。
ロメロ本人も語っていたと思いますが、
そもそもロメロゾンビが誕生したきっかけは
アメリカ人にとっての共産圏の拡大に対する恐怖がテーマだったと思います。

何を考えているか理解できない奴ら(アメリカを筆頭とする西陣営から見て)
がどんどん増殖して(共産圏の拡大)
攻撃してくる(冷戦:局地的には武力衝突が常にあった)

この恐怖感を映画というメディアに落とし込むにあたりモチーフとしたのが

何を考えているか理解できない奴ら→死者(ヴードゥーゾンビ、ミイラ男含む)
がどんどん増殖して→ヴァンパイア
攻撃してくる→カニバリズム(恐らくキリスト教圏で最も忌むべき行為、恐怖の倍増)

ということだと思います。
つまり「ナイトオブザリビングデッド」に関しては、
ゾンビというモンスターを表現、あるいは創造したかったわけではなく、
その時代を表現するにあたり過去のモンスターを寄せ集めてみたら、
結果的にゾンビになったというのが正しいのではないでしょうか。

その後の亜流ゾンビ映画は(ロメロ自身の作品も含むが)
この本質から離れた表面だけの模倣であるとも言えます。
そしてゾンビ映画というジャンルが作られるほど増殖、
まさにゾンビを地でいく現象が起きた訳ですね(^^)

ですので「ナイト〜」以前のヴードゥーゾンビ、ミイラ男というのは
ゾンビの直系の祖先にはあたらず他のモンスター達と同列扱い。
それらの集合体が「ナイト〜」のゾンビ。
そして「ナイト〜」以降のゾンビ亜種群。
と分類できそうです。
て考えると「ナイト〜」ゾンビは唯一無二のゾンビな訳ですねぇ。

なんて思いつきで書いてしまいました。
長々と失礼しました。
ナイトオブザリビングデッドの元ネタの地球最後の男に出てくる怪物役は、かなり原典の特性に忠実な吸血鬼であるわけで、ナイトを作る際に怪物役をリビングデッドに設定した変移は興味ありますね。
一般人が怪物になり登場人物が怪物化の恐怖に脅えるというギミックは既に地球最後の男で提示されていますが、リビングデッドは凄く洗練されたアイデアに感じます。

ナイトオブザリビングデッドに関しては、怪物を登場させる際に特殊なメイクや凝ったコスチュームやSFXがあまり必要でなく制作費を安く抑え
て、いわば質より量で勝負し、怪物の設定は死体が動いて人を襲っているというシンプルなものにする事によって、登場人物の描写に力を置きサスペンスに力を持たせてる力量には舌を巻きますね。
(比較は無意味かもしれませんが、他の恐怖映画と比べても登場人物が凄く印象的であると感じます)

ロメロ御大自身はサスペンス演出に関して、怪物役であるリビングデッドにさほど興味は無く舞台装置として使ってるきらいはありますがw
なんだかんだで一番怖いのは人間じゃよみたいな。
> 心の杜さん

え〜、なんと申し上げたらいいやら。
ロメロ本人がそのように語ってましたっけ?

NOTLDの脚本を書いたジョン・ルッソによれば
「観客を驚かせることしか考えてなかった」そうです。

ついでに言えば、怪物物にしたのは「売れるから」
自主制作でお金がないから、舞台を現代にし、白黒で撮り、更に普通の服に簡単に手を加えただけで出来上がる(衣装代がかからない)モンスターを、ということでゾンビが出来上がったと。

まあ、そんな豆知識は置いといても、あれを観て
「何を考えてるのかわからない共産主義者は怖いぜっ!」
って感想を持つ人、本当に居ますかね?

「高尚なテーマがあるから凄くて、それ以外は全部亜流」というのは如何なものでしょうか。

ロメロの功績は映画史に残る素晴らしいものだとは思いますが、度の過ぎた神格化は作品本来の魅力から離れて行くと思いますし、本人にも失礼だと思うのですが。
でも、レス読んでて面白かったよ。

ロメロは俺にとっては最も偉大な映画監督だし、神だよ。

日本の映画監督で(日本映画で)ゾンビ撮ると大体クソ映画になってしまうのはなぜだろ?

日本映画で良いゾンビ映画観て見たいね。
はじめまして。

当の本人達はそんなつもりはなかったのかもしれませんが、
それまで実質奴隷であり脇役であったものをロメロたちが解放したとオイラは考えています。

ゾンビを解放した功績はやはり大きいと思います。

その後の映画界へ与えた影響とともに賞賛すべきことだと思います。


勝手な思い込みでスミマセン。

失礼しました。
共産主義云々は後付けの様な気がしますけどね。
茶化してるのではないですよ、念のため。

例えば50年代SFの多くが東西冷戦の影響かで作られ、
結果『よく分からない敵と戦う恐怖』が表現されていたのと同じく、
NOTLDも、その時の、その時代の空気が封印されていると言う事では?

たぶん作ってるときはあまり深い事を考えていなかったんじゃないかなあ、
と思いますよ。
神格化は思考停止につながり「とことん考える」という、このトピックの主旨からは外れてしまうのではないでしょうか。
無論、個人として崇め奉るのはご自由です。

日本のものに限らず、ゾンビ映画の大半はクソですよ。ゾンビマニアの方ならよくご存知だと思いますが。
しいて理由を挙げるなら、火葬の定着した日本を舞台にしてはゾンビ映画は作りにくかったから、数そのものが少ないからでしょう。
下手な鉄砲も数射たなきゃあたらないわけで。
そしてゾンビ映画の監督ほど「下手な鉄砲射ち」が多いジャンルも珍しいんですよね(笑)

koon(く〜ん)さんの指摘にもあるように、共産主義者云々は別にロメロにだけ言われるものではありません。
ただ敢えてつけ加えるなら、そう感じる原因は作り手ではなく観る側にあるのではないでしょうか?
そういう感想を持つ人は、たぶん道端の犬のクソを見ても、共産主義者を連想するのではないかと(←偏見)
「もっと普通に映画観ろよ!」とツッコミ入れたくなりますね。

まして「ロメロ自身がそう語った」という事実は、私の知る限り確認できません。
>「ロメロ自身がそう語った」という事実は、私の知る限り確認できません。
すみません、自分も記憶が曖昧なのでこの部分は訂正します。

自分としては特に神格化しているつもりはありませんが、
「ナイト〜」がゾンビ映画のパイオニアであることは確かですよね。
このトピが「ゾンビについてとことん考える」ですので
パイオニアである「ナイト〜」ゾンビがどのように創造されたかを
分析するのもひとつの手かな、と思ったのですが。。。

>「何を考えてるのかわからない共産主義者は怖いぜっ!」って感想を持つ人、本当に居ますかね?

これは仰る通りほぼ100%いないと思います。
共産主義云々は裏テーマであってあくまで当時の観客の
深層心理に訴えかける程度のものという認識です。
まあ意識的にしろ、無意識にしろ東西冷戦という空気が
「ナイト〜」ゾンビ創造においては
何かしらの影響を与えてることは確かかと思うのですが、どうでしょう?

あと個人的には、走ろうが喋ろうがウイルス感染しようが
なんでもありだと思いますが、やはりメッセージ性、時代性、社会性などが
あるものがやっぱり"正当"なゾンビ映画じゃないかなと思います。
> 心の杜さん

どのようにして「NOTLD」がつくられたか?という経緯につきましては>8で述べたとおりです。
制作された当時の空気が全く反映されない映画はないのかもしれませんが、裏でも表でも、あの映画から冷戦をテーマに感じられるかと訊かれたら、少なくとも自分は全く!感じられません。

あと、これは私個人の価値観ではありますが、エンターテイメントにおいて最も重要なのは「おもしろいか否か」であると考えてます。
メッセージ性や時代性、社会性などは娯楽作品についてはよく言っても“おまけ”に過ぎないのではないでしょうか。

ロメロの、そしてNOTLDの凄さは、そういった高尚なテーマはもとより、それまでのモンスターが持っていた神秘性とか、死者に対する畏れすらも削りとっていき、単なる死体、いわば“モノ”として扱ったことだと思いますね。
> エンターテイメントにおいて最も重要なのは
>「おもしろいか否か」であると考えてます。

何を持って面白いと言うか、って言う所が疑問ですけどね。

例えば「2001年宇宙の旅」は一般的には難解だと取られてますけど、
私には極上のエンターテイメントに思えます。
逆に、死体が蘇ったり血がドバドバ吹き出る様な映画の、
どこが面白いかわからないと言う方もいるわけで…。

真面目に語る事がエンターテイメントにもなりうるし、
逆に楽しく騒ぐ事に何の楽しみも見いだせない場合もあると。

此れだけでは何なんで、ゾンビに関して言及すると、
確かに作った時点ではそんなに深い事は考えていなかったでしょうが、
後から見ると、色んな批判的要素がメタファーとして表現されている様に感じますね。

ベトナム戦争が泥沼化していた頃、
東西冷戦に関して多くのアメリカ人が漠然と持ってた不安。
そう言う物が表現されていると。
当初から想定していたかどうかわからないにせよ、です。

『なんかよく分からない敵が襲って来る=共産主義者が侵略して来る』

と言う構造のSF&ホラー映画が怖がられたのは、
そう言う時代背景が有ってこそですね。
たしかに死体をモノとして扱ったというのはゾンビを考察するうえで
重要なポイントかもしれませんね。

そもそもキリスト教圏においては死体をモノとして見る傾向が
日本よりはるかに強いと思われます。
キリスト教は一神教なわけですが、その教えにおいて
人間に限らずこの世の全ての物はその唯一絶対の神である造物主”ザ・クリエイター”
(ユダヤ教のヤハウェ、イスラム教のアラー)が造った被造物に過ぎない訳です。
ですので神以外のモノ(ここでは死体)に対して超自然的な存在を感じ、
それに対して恐れたり崇拝したりすることは信仰に反する行為となります。
(超自然現象は神のみが持つ特権と言う意味で)
ロメロが死体をモノとして扱ったのは、我々日本人が考えるより
はるかに容易なことだったのかもしれません。

それに対し、日本では死体をモノと見ることは出来ず
どうしてもそこに何か存在感、つまり霊や魂を感じてしまいます。
そしてタタリを恐れます。日本の歴史は怨霊信仰の歴史と言われるように
その感覚はある種の宗教であって、無意識のうちに日本人の体に染み込んでいます。
日本のホラーや怪談のほとんどが怨霊の祟り、それに対する鎮魂で
成り立っているのはそのためです。
>9の田村さんが仰るように日本のゾンビ映画がつまらないというのは
その辺りに理由があるのかもしれませんね。

宗教的側面からゾンビを考察するのも面白そうですね。
古典はともかく、最近のゾンビ(特にロメロ)は「人間の自虐観」が主軸になっている気がします。

「人間は地球の癌だ」
「存在するだけで生態系に、自然に悪影響を及ぼす」

みたいなさりげない反省が含まれているゾンビ映画が多いのではないでしょうか?
・ゾンビは(作品によるものの)人間しか襲わない
・ゾンビが原因で人類は隠れ忍ぶ生活を余儀なくされる
・ゾンビは人類の敵である
・人間の行ってきた○○が原因でゾンビになる
などなど・・・
最近のゾンビは人類の奢り高ぶりを戒めるために神とやらが放った地球の白血球的存在なのかもしれません。
なんて偉そうに語ってしまいました・・・うれしい顔
> koon(く〜ン)さん

確かに面白さの定義はひとそれぞれです。
真面目に語ることが極上の娯楽になり得ることもよく知ってます。でないとこんなトピック立てません。ついでに言えば自分も「2001年」は好きです。
時代背景について考察するのもよいでしょう。どんな作品にも時代背景はあるのですから。

ただそれを以て「正当である」「本質である」と言われたら、さすがに「違うだろ」と思ってしまうわけで。
「だったら東西冷戦をテーマにしたポリティカル・フィクションか戦争映画観ろよ」と。

だってゾンビですよ?
「冷戦の時代下の空気感云々」と「噴き出す血飛沫はみ出す内臓、そして飛び散る脳味噌!」
どちらがより本質に近いかは自明の理かと。
> 心の杜さん

宗教的な側面については正直よくわかりませんが、旧約聖書の聖人ラザロ(キリストが得意の奇跡で墓場から復活させた。当然身体は腐りかかってる)や日本の古事記のイザナミ(これもいい感じに腐ってますね)のように、黄泉返る死体の話がありますね。
きっと類似の話は世界中に転がってると思います。
そのあたり、宗教学や比較文化学に詳しい方に分析してもらったら面白いかもしれません。

>たなびきさん

人間=地球の害悪という図式は、本格SFから子供向け特撮まで、ゾンビに限らず昔から山ほどあるわけで。

あ、別に偉そうじゃないですよ。少なくとも私よりは。
初めまして。興味のあるトピックなので書き込ませてもらいます。

ゾンビの起源にしろ、ゾンビに込められたメッセージにしろ、宗教的・時代風刺的・哲学的・歴史的な側面が多々あるのは明らかだと思います。

私はそれぞれについて詳しく語れる舌は持ちませんが、いわゆるB級以下のゾンビが雨後のタケノコのように、それこそ制作者たちが「ゾンビに食われたかのように」、ゾンビ映画が作られた理由は理解出来る気がします。

つまるところ、ゾンビの汎用性の高さだと思います。
制作者のメッセージを伝える媒介として、これほど便利なものはない。
旧丼のように、大量消費社会への皮肉なメッセージとしてでもいい。あるいは、人間の欲望とその破滅を謡う叙事詩的なものでもいい。

酷評を受けるゾンビ映画は、単に「ゴアシーンを気軽にやれた」ぐらいの気持ちだけかも知れません。そこに、カニバリズムと言う禁忌のメッセージを載せたところで、便乗する人は少数でしょう(恐いもの見たさの人は多いでしょうけど!)。見る人は、解釈出来るメッセージの少なさに、B級以下だという烙印を押すのです。

冒頭でも書きましたが、私は起源について詳しく語れる舌を持ちません。
けど、ゾンビの特異性については意見を言えます。ゾンビはつまりは、メッセンジャーなのだと。

私はそれこそが、ミイラやグールとは決定的に違う点だと思います。また、他のホラー映画モンスターとも。
フレディ・クルーガーの模倣映画がたくさんあったとして、それら一つ一つに違うメッセージを込め、違うメッセージを受け取ることが可能でしょうか?

長々と失礼致しました。
まぁ人の作りし物に少なからずテーマ性を感じるのは人の性なのですよね。
製作者の意図しないものや全く考えてない場合のほうが大半だったりするので、逆にそれの批評や感想が(下手すると作品よりも)面白かったりするわけで。

ゾンビって真面目に考えると凄くくだらないものなんだけど、そのくだらなさが自分は凄く好きですね。
デイオブザデッドでゾンビの生態を研究してる博士が出てきますが、真面目に脳活動の説明をしてるくだりは初見でふむふむなってる自分がいました(笑)

フィクションっていかに騙すかのテクニックを競うものですが、ゾンビ映画って「死体が動く」っていうシンプルな大嘘以外、結構リアルな作劇をしてるものが多いので、騙されようって気分が盛り上がる感じですかね。
う〜ん、メッセージとかテーマって、そんなに大事ですかね?

仮に大事だとして、ゾンビ、特にロメロゾンビが他のモンスターに比べて『決定的にメッセージ性が高い』とまでいい切られると、さすがに贔屓の押し倒しのように感じてしまうんですが。

まあ、映画の楽しみ方はひとそれぞれなんですけど。


とりあえず、ここまでのやりとりで私なりに感じたのは、
『ゾンビの可塑性の高さ』ですかね。
ゾンビそのものが“モノ”であり、ある意味空っぽの存在に近いので、逆にいろんな意味合いを詰め込みやすいのかもしれませんね。
ゾンビにA級求めるかexclamation & question


ただ現れたでいいと俺個人は思う電球ハーバードウェスト好きだけど………


あ、出たexclamation ×2じゃだめexclamation & question

じゃなきゃ長くなるなぁ
> 神風さん

A級B級の区別は……ってこれはさすがに脱線しすぎなんでおいときますが、自分は例えな〜んにも教訓もクソもない他愛ない「お話」でも、とことん語るのは好きなんですよ。
っていうか、教訓的な高尚な作品だとあまり語りたくないというか(笑)

ということで、長〜く語ってください!
落武者さん

むかーし友達とその辺議論しました電球エルム街どこまでB級とか…

とりあえず、ロメロにしても走らせんのやめよーよってことですexclamation ×2

長く語るにはまだ酒が足りません
ロメロ自身も低予算でB級映画を撮るのが楽しいって言ってるし、

ロメロの世界観も見てる方も面白いんだから、

B級、低予算と言われても気にしないよ。

むしろその制約の中でここまで見せるのだから秀逸かと思うよ。
いまいち好きになれないA級映画よりも、面白いB級映画の方がいいじゃないか………ほっとした顔


そんなゾンビ映画が、大好きです。
自分がもしゾンビ映画や物語を作るとしたら、こだわるのは死者かどうかという点でしょうね。『28日後』『28週後』なんかは明らかに生者で、ワクチン作って治したら普通の人間に戻るというエンディングが作れるわけです。これはもう明らかにゾンビと呼ぶには失礼な話で。それでも『28〜』シリーズをゾンビ映画と呼ぶのに抵抗はないんですけどね(^^;

あと、脳の機能を破壊されたらゾンビとしての活動も止まってしまう、という点も大事にしたいですね。切り落とされた手だけが動いていたり、下半身の体だけが歩いていたりすると、ストーリーだけじゃなくゾンビの存在自体に整合性が保てなくなるので。

もう一つ、どうやってゾンビになるか?という点も重要ですね。一般的には咬まれたらゾンビ菌?に感染してみんなゾンビになるという流れですけど、自分が描くんだったら、とにかく死ねば必ずゾンビとなって蘇るという設定にしたいですね。これは咬まれても咬まれなくても、脳の機能が破壊される死に方以外のときはすべてゾンビになるということです。逆に、ゾンビに咬まれても死ななければゾンビにならないわけで、そこに新しいドラマを織り込むことが可能なんじゃないかと思っています。

要は、作り手がそれぞれのゾンビの設定をその作品の中で矛盾なくしっかりとやってさえくれれば、どんなゾンビも全部楽しめるのではないかと思っています。
新参者が失礼します。

何をもってゾンビと定義するのか。
というのがテーマだったと思うので、とりあえずそこにだけ答えてみようかなと。
その他の意見もとても興味深くて面白くて突っ込みたいのですがぐっと堪えて。。。

僕が思うに、ゾンビっていう定義は作品ごとに生まれるものだと思います。
あくまで僕が思うに、ですけど。
つまり共通にゾンビを定義する設定もテーマも存在しないわけです。
ミイラ男やフランケンシュタイン、ジェイソンやフレディ、レザーフェイスにマイケル。ヴァンパイア。もちろん各種ゾンビ。
これらは全ての作品において独立したキャラクターとして存在しているわけです。
ヴァンパイア映画はたくさんあって、もともとは伝承物であっただけにやはり共通の設定というものはありますが、それをどう作品に盛り込むかは製作者の意図によるもの以外に何もないんです。
製作者がどう作りたいか。それによって共通の設定を持つヴァンパイアですら作品によって全くの別物になる。
系統や傾倒はあるにしろ、別作品には全く同じヴァンパイアが絶対に出てこない、と言えば分かりやすいかと思います。

なので、僕に言わせればドーンのゾンビとデイのゾンビすら全くの別物。それぞれが作品に合った、登場人物と同じくらいの意味を持つ「キャラクター」なんです。
物語をいかに面白くするか、という製作者の意図によって生み出されたキャラクターです。
作品を超えて「ゾンビ」と名付けられるのは、単純にその名称が分かり易いからっていうだけの話だと思います。
ヴァンパイヤを唐突に別の名称で呼んでしまったら混乱を生むだけ、という道理です。

なので逆に劇中で「ゾンビ」と呼ばれていなくても、観る手側が「ゾンビ」だと感じたら、それはもうゾンビ以外の何物でもなくなってしまうことになります。


ちょっと遠回しで分かりづらい感じになっちゃいましたが。
つまり、ゾンビに定義を打ちだそうと考えたら、それはもう作品ごとの名称に由来させるしかないのではないか、ということです。
「バタリアン・ゾンビ」とか「ドーン・オブ・ザ・デッド・ゾンビ」「死霊のえじき・ゾンビ」とかですね。


裏テーマが込められているか、正当性があるか、云々、関係ないと思います。
どんなにB級でも映画を観て「ゾンビだ」と微塵でも感じさせれば、それはもうゾンビ以外の何物でもないんだと、僕は思います。
ゾンビはゾンビでいいの


28日後とかは違うけど観る側はわかっているはずだし


それよりヴァンパイアとドラキュラをごっちゃにするのが嫌………変なこだわりですがたらーっ(汗)


あ、僕はB級大好きです
読み直して……


あ、ゴローさん初めまして酔っ払ってますウッシッシ


ゾンビにカニバリズム持ってきちゃだめよダッシュ(走り出す様)あれは人がすることだからexclamation ×2


失礼あせあせ(飛び散る汗)
>>28 ひょーたさん
ロメロゾンビは基本的に「死んだらみんなゾンビになる」だと思います。
ナイト〜はお墓から蘇ったりしてますし(つまり噛まれてない)。
フルチのサンゲリアにしても墓場から蘇るシーンがありましたっけね。

あまり深く言及されていませんが、基本は「死んだらみんなゾンビになる。ゾンビに噛まれたら確実に死ぬ→ゾンビになる」という設定のものが多いのかも(感染者系の話は除く)。

ところで、
>ゾンビに咬まれても死ななければゾンビにならない
この発想は目から鱗の感じがしましたよ(^^
今までにないパターンかも。

「えじき」のミゲールはもしあのまま生きていたら助かったのか?
興味津々です(^^
あと最近のリメイクのデイオブザデッドにも「消毒したから大丈夫!」みたいな主張がありましたね。ダメでしたけど(;^_^A
ちょっとばかり放置しておりました。

結局『ゾンビである』という明確な定義は無いんですかね〜。
そういう意味ではミもフタもないけど、ZOMBIEさんの『作品ごとに定義がある』という意見が、逆に一番明確なのでしょうか。

では目先を変えて『ゾンビではない』定義はどうなんでしょ?
同じ「甦る死体」であるエジプトの木乃伊男やフランケンシュタインの怪物。
「伝染する不死者」の吸血鬼等々。
皆さんのご意見を待ってます。
あ、上記のもの以外でゾンビに類似したモンスターがいたら、それについて語ってみるのもおもしろいかもしれません。
面白く読ませていただいております。

>『ゾンビではない』定義
人間の姿形を残しながらも人間性が完全に欠如した怪物、がゾンビだと思うので、少しでも人間性が感じられたら、それはゾンビではなくなると思います。
ミイラは墓守、フランケンシュタインの悲哀、ドラキュラは言うまでも無く。
これらのモンスターは、その人間性ゆえにキャラクター化することが可能だったと思います。
なので、バタリアンとかは、あんまりゾンビっぽく思えないんですよね、私の場合。
2年以上放置してました(^。^;)

> ミカヅキst.X@ホナナさん
「人間の姿形を残しながらも人間性が完全に欠如した怪物」ってのもいいですね!

自分としては「神秘性のなさ」も特徴に入れたいです(ブードゥ・ゾンビは除きます)

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