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ニランジャナセワサンガ コミュのおかず君ニランジャナ滞在日記

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ニランジャナスクールに長期滞在しているおかず君の
楽しい日記をお楽しみください。

バックナンバーは http://npws.org/news.htmlにございます♪

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●おかず君ニランジャナ滞在日記!2009年2月4日


こんにちは、こちらおかずです。今回は、先日1月31日から、2月2日の期間に行われたサラスワティ・プージャ(Sarasawati Puja)について報告します。

まず、サラスワティ・プージャの説明をします。サラスワティとは、ヒンドゥー教における女神様の名前です。サラスワティジーと呼ばれています。(「ジー」とは、敬称です。)サラスワティジーは、知識、学問の神様で、教育の象徴のような存在です。プージャとは、神様にささげる祈りのことです。「サラスワティ・プージャ=学問の神様への祈り」、ということになります。サラスワティ・プージャでは学生が主体となり、サラスワティジーを祭ります。

では、前置きが長くなりましたが、実際の様子を記します。
始まりはプージャ前日の30日。学生達はサラスワティジーの像を買いに行きます。この像は、約二ヶ月前から制作されていました。木製の土台に藁を芯として粘土で形作られ、着色、装飾されたものです。ニランジャナの新校舎の周辺が名産地のようで、小道を入っていくと、ここでも、あそこでも?!というくらいにサラスワティジーの像がありました。
どれも出来がよく、かなり驚きました。全長は170cmくらいです。
学生達は台車を引いて像を求めに行きます。周辺が見本市のような具合です。購入された後は、像は台車に乗せられ「サラスワティ・マーター・キー」「ジェー!」の掛け声と一緒に運ばれていきます。

さて、ニランジャナではクリニックの前方に祭壇が設けられ準備が進められました。午後8時過ぎにそこに像が運び込まれ、その前でダンスが始まりました。ドミトリーのスモールロウシャン、サニー、ビッキー、ディパックがかなりのっていました。特にスモールロウシャン、サニーにはダンスの神様が乗り移ったようでした。

翌日、本番の31日は朝から飾りの準備、儀式後に振舞われる食べ物の準備などが学生によって進められました。今回は、リパブリックディとは違い、神様に祈りを捧げる事が目的ですので、僧侶さんが儀式の準備をしました。
時間が経つにつれ、それぞれおしゃれをした生徒達が続々と集まってきました。人数はやはり500人ほどいました。
11時頃に準備が整い、まず、校長先生であるディベンドラさんが僧侶さんと一緒に儀式を進めていきました。儀式は、色々なものがあり、どんな意味があるのかよくわからなかったのですが、察するにサラスワティジーへの供物が祈りと一緒に整えられ、その後それらが捧げられたのだと思います。この段階は1時間30分ほど続きました。
その後、その場にいた皆の額に赤い塗料で印付けられました。
次に、二人に学生と教師が数人加わり円を作り、中心に火が焚かれ、祈りが捧げられました。みなさん、ちょっと煙たそうでしたが、20分ほどで終わりました。

最後にその場にいた学生全員が祈りの歌を唱え、儀式は終わりました。間の時間も含め全部で3時間ほど続きました。儀式の後は、食べ物が振舞われました。中身は、生のにんじん、サツマイモが甘く味付けされたもの、バナナ、プラムなどでした。

日中は以上で終わりでした。ドミトリーの子達は夕暮れ時に、いつもオフィスでプージャをするのですが、この日は像の前でいつもより長く祈りを捧げました。ところで、サラスワティジーは音楽の神様でもあります。左手には昔のシタール(インドの弦楽器)を持っています。ドミトリーでは夜に、シタールとタブラーの演奏者を招き、演奏会が開かれました。お二人とも素晴らしい腕前で、ドミトリーの子、スタッフと一緒に酔いしれました。本物の音楽に触れることで、彼らの感性が研ぎ澄まされることを祈りました。

一夜明けて、次の日、2月1日は日曜でした。本来は、儀式の次の日に像を池に投げ入れプージャは終了するのですが、日曜はそれが出来ない日ということで、像はもう一日皆と一緒にいました。この日はプージャの期間中ということで昼食はお祭りメニューでした。サフランライス(日本のインドレストランで出てくるお米)、ダール、サブジー(ジャガイモ、なす、トマト、コリアンダーetc)、ホウレン草の和え物、コリアンダー・ジャタニ(ソース)、パコラ(てんぷら。この日はナス)でした。まず、生徒が席に着き、教師たち大人がサーブしてくれました。その後で大人陣が食べました。どれもとても美味でした。

この夕方もお祈りは像の前で、行われました。ちなみに、お祈りは無言で手を合わせるのではなく、歌を歌います。お祈りの歌です。

そしてさらに次の日、2月2日の正午近く、朝祈りを捧げられた像が池に投げ込まれるために台車に運ばれました。落ちないようにしっかり固定され、周りにお供え物が置かれ、「サラスワティ・マーター・キー」「ジェー!」の掛け声とともに50人ほどで池を目指して出発しました。運ばれている間は、踊ったり、歌ったり、色付きの粉を振り掛けたりしながら、一番盛り上がりました。みんな粉のせいで顔が赤かったり、緑だったりしました。

池は、スジャータテンプルの近くにあります。この周辺で用いられた像は全てこの池に投げ込まれます。到着した後で、像を台車からおろし、池のそばで祈りを捧げ、フィナーレです。4,5人で像を持ち上げ、そのまま池の中へ。中心ほどに行き、唱え、回り、像が投げ込まれました。そこをもって、サラスワティ・プージャは、無事に終わりました。
ちなみに、像は粘土で出来ていて、水の中で溶けます。その後、像を作る人たちによって引揚げられ、別の像の製作に使われます。リサイクルです。

約二十日後には、シヴァ神の祝い事があります。彼の誕生日と言うことです。

では、読んで下さってありがとうございました。

おかず

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●おかず君ニランジャナ滞在日記!2009年1月29日


こんにちは、おかずです。今回は先日、1月26日に行われた「リパブリックディ」のお祭りについて報告します。

まず、リパブリックディの説明をします。英語で書くと、「Republic day」。Republicには、「共和国、共和政体」といった意味があるそうです。ご存知の方も多いと思いますが、インドの独立記念日は、1947年8月15日です。(日本の終戦記念日と同じ日付です。)この日は「インディペンデンスディ(independence day)」と呼ばれています。どちらも似た意味に感じられますが、リパブリックディのほうは、憲法が制定された日です。
この二つの日は、宗教に関係なくインド中でお祝いされます。ちなみに、オーストラリアでもこの日が立国記念日(イギリス人が初めてオーストラリアに上陸した日)だそうです。

さて、どんな風にお祝いされたかです。
朝、町は思ったよりも静かでした。インドのことですから、もっと、にぎやかなのかと思いましたが、そうでもありませんでした。二人のオーストラリアの方々と歩いてニランジャナに向かいました。後5分くらいのところで、静けさを破り、どこからか大音量の音楽が聞こえてきました。遠慮はなし、といった音量です。

ニランジャナのドミトリーにつくと、向かいのスペースでジレービというお菓子屋さんがオープンしていました。8時の時点ですでに大量のジレービを揚げていました。ジレービとは、インドのどこに行っても食べられ、かつ一番安いお菓子だそうです。生クリームを絞るようにチューブから生地が出てき、揚げられます。オレンジ色で、ぱっと見、物凄く油っぽく見えるのですが、食べてみると思ったほどではありません。(油っぽいのには変わらないのですが。)なぜなら、100%油で揚げるのではなく、油と砂糖を含んだ液体で揚げるらしいのです。(ラム=クマル談)生地は小麦と砂糖で出来ています。甘く、油っぽく、「Theお菓子」と言う感じです。ディベンドラさん(プリンシパル)はこの日と独立記念日のみに食べるのだそうです。

さて、朝食にジレービを食べ準備を少し手伝ったり、様子を見たりしていました。

水道脇のスペースにポールが立てられ、ラム=クマルが国旗の準備をし、サティス先生がその根元に砂を盛り、粉でペインティングをしていました。その少し後ろにはベッドを並べ、マットを引き、カバーをし、バックを布の幕で覆われたステージがあり、幕の後ろで女子生徒が衣装の準備を整えていました。ステージと衣装は、この日の演目のためです。
ステージの手前にアナウンサー席、診察室の手前のスペースに、ゲスト用の席が設けられました。
ちなみに、生徒達はこの日のために放課後学校の音楽室に残ってサティス先生の指導の下、練習をしていました。

時間が経つにつれ、徐々に人が集まってきました。特に女の子はおめかしをしていました。日常着よりも飾られている服や、ピアス、バングル、指輪などのアクセサリーに気を遣い、唇に紅を引いていた子も多くいました。日本と同じだなと思いつつ、勧められるままにまたジレービを食べました。

準備が整い、ゲストも席に着き、オープニングが始まりました。ディベンドラさんとシッダルタさんのお父さんが花輪を受け、国旗が降ろされると同時に、クラス7の、いつも朝の時間にお祈りの歌を歌っている女の子たちが国歌をうたいました。みんなサリーを着ていて、とてもきれいでした。

そして、ステージで演目が始まりました。司会はディベンドラさんです。演目は大きく3つの種類に分けられます。衣装に身を包んだ女の子が音楽に合わせて踊る、アカペラで歌う、小噺を披露する、です。まずは、クラス1の女の子二人(自己紹介のときに踊りを踊ってくれる二人)が、クリシュナとラーダに扮して踊りました。独特のリズムの取り方が印象的でした。踊りは神様の物語を参考にしたものだそうです。神様のストーリーですから、伝統的な音楽かと思われるかもしれません。しかし、音楽は現代風という、インドならでは(?)の踊りです。流行に神様を取り入れます。その後、ドミトリーのラクシュミーが白の衣装に身を包み、ソロで歌いました。グォータムもソロで歌いました。他には、クラス3の女の子達、クラス7の女の子達が踊りを披露しました。みんなステージ衣装に身を包み、アクセサリーを身につけ、とてもきらびやかでした。なかでも、クラス7の女の子達は良く出来ていました。(動画をとったので、何とか編集してCDにやきます。)小噺は何を話しているか分かりませんでしたが、うけていましたので、僕も笑ってしまいました。僕の横では、ジョージさんがシッダルタさんが日本から持ってきたDVDカメラを回していました。

演目が進むと同時に人数も増えていき、最終的には1000人くらいドミトリーにいたと思います。生徒だけでなく、近所の人も顔を出し、ぎゅうぎゅうでした。顔、顔、顔という感じです。そして、また勧められるままにジレービを食べました。

二時間ほどの演目が終わり、オーストラリアの方々と僕が一言話し、プログラムは終わりました。その後、その場にいたみんなにジレービが振るわれました。全部で100kgほどだったということです。皆が帰った後で、スタッフが集まり、ジレービとサモサを食べました。

31日はサラサワティプージャ(Sarasawati Puja)というお祭りがあります。そのため今回はショートプログラムだったそうです。こちちらは学問の神様のお祭りで、学生達がお祝いするそうです。また、その時に報告します。

では、読んで下さってありがとうございました。

おかず
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●おかず君ニランジャナ滞在日記!2009年1月25日

こんばんは、おかずです。いかがお過ごしですか。日本では今頃インフルエンザが流行っている頃でしょうか。皆様、お体の方、気をつけなさって下さい。

今、ブッダガヤではある噂が流れています。
「ダライラマ14世が近々やってくるらしい。」
連日新聞では、○○日に来るという報道がなされているのですが、誰も正確な日付は知りません。そして、少々奇妙に感じるのが、ブッダガヤはブッダが悟りを開いた土地として有名ですが、住民はヒンドゥー教徒が圧倒的に多いと言うことです。では、人々はブッダに対してなんとも思っていないのか、というとそうではありません。ブッダもまた、ヒンドゥー教の神様の一つとして取り入れられ、信仰の対象となっているということです。扱われ方を見ると、知識、知恵、学問、悟り、瞑想などの象徴となっているようです。
ドミトリーのお祈りをする部屋にもブッダが描かれたポスターがあり、子ども達は毎日祈りを捧げています。

では、今回の報告をします。

?ニュース
今週月曜にN・P・W・T(以下ニランジャナと書きます)のディレクターであるシッダルタ=クマルさんが日本から帰ってきました。
章代さんからのMLにもあったように、(1)クリニックの運営(診療所だけでなく、村人へのヘルスエジュケーション全般)について、オーストラリアからのボランティアの方々、スタッフとビジョンを共有すること、より良い運営に向けて議論を重ねること、村人への働きかけを積極的に行うこと、(2)現在インドにいる、もしくは来月やってくる海外からのサポータと直に会い、話をすること、が大きな目的であるということです。その他にも、彼が変えたい(改善したい)と思っている部分が多々あるようです。
彼は、各プロジェクトに精力的に働きかけています。具体的には各項目で記しますが、ドミトリーの改築工事、子どもの栄養管理、裁縫プロジェクト、奨学金プロジェクト、ヘルスエジュケーション、etc…。
そして、毎晩ドミトリーの子どもの前でシタール(伝統弦楽器)、タブラー(伝統打楽器)を演奏し、聞かせ、一緒に歌っています。彼のタブラーを演奏している時の恍惚とした表情が印象的です。

?学校について
前回のMLにも書きましたが、ニランジャナスクールでは3月に進級試験があります。今、それとは別に教科ごとに確認テストが行われています。子ども達からは、「今日はヒンディー語のテストがあったよ」、「今日は数学のテストだったんだけど、よくできたよ」などなど感想が聞かれます。これらテストの目的は、生徒が自分の学習状況を確認(モニタリング)し、進級試験の前に弱点を克服することです。教師は解答を確認し、生徒に答案を返却する時に各々の弱点を伝えます。

話は変わりますが、1月26日(月曜日)はインドにおける国民の日です。国の自由をお祝いします。この時にニランジャナスクールでは、ドミトリーにて大きくお祝いをします。僕は参加したことがないのですが、生徒が歌や踊りの出し物をしたりするそうです。この様子はおって報告します。シッダルタさんはこのお祭りに向けての準備に力を入れています。ニランジャナではこのようなお祭りを生徒と一緒に祝うことで、社会の伝統を自然と子どもに伝えています。

?ドミトリーについて
現在、ドミトリーには所属している全員の子どもがいます。僕が今回ニランジャナに来て2ヶ月か経過しましたが、内面的に成長しているなと思える機会が多くあります。(例えば、年下の子の面倒)しかし、身体の成長はもっと顕著に見られます。はっきりと「背が伸びたな」と思える子、顔つきが変わったなと思える子が何人かいます。平均年齢が11~12歳なので、みんな成長期に差し掛かってくる頃です。一度、彼らに会ったことがある方々が今また会えば、その変化に驚かれることと思います。数年経過したら、どんな青年に成長するのだろうかととても楽しみです。

さて、シッダルタさんの動きです。彼はキッチンの改革を進めています。「キッチンにはコックしか入ってはいけない」というルールを設けるとのことです。衛生を保つことがその理由です。そのため、今キッチンの壁に穴があけられ、給仕窓が作られています。(日本のサービスエリアで見られるような食堂のイメージ。)そこから、コックが子どもに食事を渡す予定です。また、彼が来てから食事のメニューもより子どもの健康を考えたものになっています。「マサラ(スパイス)とオイルをあまり使わない料理」を目指しています。野菜を茹で、塩コショウで炒めたものやスープが出されました。僕にとっては日本食風で好ましいのですが、子どもの中には「スパイスがなきゃぁ」という子がいるとかいないとか。インド人にとってスパイスが如何に重要かということがうかがい知れました。

?クリニックについて
先日、クリニックに使われている部屋の工事が終わり、通常通りの診察体系に戻りました。クリニックがある日は、アリソンさんを中心としたオーストラリアの方々は、患者さんにマッサージし痛みを和らげてあげたり、腰や背中を悪くしないように箒の使い方やストレッチの仕方を指導してくださっています。休診日には、村に出かけ同じようなワークショップを開いています。
どんなものか具体的にいいますと、重いものを持ち上げる時に腰を曲げたり背中を丸めて行うのではなく、膝を曲げ足の力を使い持ち上げると良いこと、箒(この地域の箒は柄が短いのです。)に竹をくくりつけることで腰を曲げずとも掃除が出来るようになること、止むを得ず良くない姿勢で仕事をした後は、両手を後ろで組み胸を広げたり肩を回すと良いこと、などです。それらをストーリー仕立てにして説明しました。
ナルカディア、チャットゥナガル、ゴンガリアという村で行われました。村により反応はまちまちですが、好評のように感じました。あとはヘルスエジュケーターが継続的に指導していく必要があります。
また、ナルカディアという村ではDr.プロモート(クリニックのお医者さん)が出向き診察しました。翌日、診察を受けた患者さんが薬を受け取りにやってきました。村訪問の目的は、ワークショップにより知識などを伝えるだけでなく、「スジャータ村にはニランジャナというクリニックがあるよ」というアナウンスをすることでもあります。村人の中には、「病気になったら、具合が悪くなったら病院に行く」ということを知らない人もいます。知っていてもどこに行けば治療を得られるのか分からない人もいます。そのような人々のために、存在をアナウンスしているということです。村に患者がいても、病院に来なければ医者はその存在を知ることは出来ず、治療も出来ません。

話は少し変わりますが、本日、シッダルタさん、ディベンドラ(現地代表者)さん、アリソンさん、ジェリーさん(オーストラリアからの女性の一人)でクリニックプロジェクトに関するミーティングが開かれました。このミーティングでは、近隣地域における健康教育の重要性が再確認され、その方法が検討されました。
内容は、(1)ヘルスエジュケーション(健康教育)の促進、(2)ディスペンサリー(薬庫)のより良い利用法・管理がメインでした。(1)に関して、「クリニックに訪れる患者数は日に日に増えており、村人の健康状態を改善していく必要がある。そのためには、何よりも各自予防をすることが望ましく、健康に関する知識が必要になる。すなわち、ヘルスエジュケーターにはより村に出向き、村人の健康への興味関心を引き出し、知識を与えることが求められる。(ヘルスエジュケーターとは、健康教育をする人間を指し、現在ラビンドラさん一名です。)そして、女性を対象とした健康教育が特に重要である。村の女性の中から一人代表者を決め、定期的にミーティングを開き、知識を共有したり、問題を解決したりする場を設けることも必要である。」という結論がでました。そしてヘルスエジュケーターの増員、健康教育の手段として、プロジェクタを使い映像を上映するのが良いのではないかというアイディアが出ました。「村人の中には健康に関するレクチャーを聴いても理解が出来ない人が多くおり(教育を受けていないため。)、ヘルスエジュケーターが説明しても効果は薄い。それよりも映像を見て学ぶのが効果的で、かつ人が集まりやすい。」というのが理由です。

こちらでは症状が出たとしても、直ちに治療をすれば治癒可能な場合でも、知識がないために症状を放置し、手遅れになってしまう場合も少なからずあります。それは、子どもにとって多く起こり得ます。また、子どもへの予防接種の知識とその重要性を伝えることも大切です。村部では、健康に限ったとこではありませんが、知識がないがために起こる問題が多々あります。健康に関する知識は命にさえ関わることですので、特に重要だと言えます。

そこで、この文章をお読みの皆様にお願いがあります。
上記のようなニランジャナでの活動のために、プロジェクタとスクリーンを寄付してくださると言う方がいらっしゃいましたら、是非連絡をいただけませんでしょうか。この活動に使えるものであれば、中古のものであっても構いません。もし、何かしら心当たりがありましたら是非連絡を下さい。そして、相談させていただければと思います。この件に関しては hama_okazu812@yahoo.co.jpまでメールを下さい。また、ご質問もお待ちしております。よろしくお願いいたします。

?裁縫プロジェクトについて
こちらでは教師との打ち合わせが行われました。大阪のほうでもミーティング行われていて、双方で内容をつめているところです。こちらで話し合われたことは、(1)生徒数、(2)カリキュラム、(3)製品種類、費用、所要時間(4)教師の勤務時間、などです。大阪のほうで、これらを検討してもらっています。決定次第報告します。

?奨学金制度について
奨学金を受ける第一期生、二人が通う教育施設の入学手続きが完了しました。彼らは、現在通っている学校での勉強を続けながら、その教育施設(日本で言う予備校のようなもの)で、公務員試験受験への準備を始めます。

?ボランティアの方々について
これまでに書きましたように、現在ニランジャナにはオーストラリアからのボランティアの方々がいらっしゃっています。ます、アリソンさん、ジェリーさん、ガビィさん、アメリアさんの4名の女性(うち、ガビィさん、アメリアさんは昨日ニランジャナを発ちました)、アリソンさんの友人の、ジョージさん、アンドリューさんです。一昨日まではジョージさんのお父さんと弟さんもいらっしゃいました。ジョージさんは、ニランジャナのHP英語版と、Healthのページを作ってくださった方で、今コンピュータのアップグレードを図ってくれています。先日4名の女性、ジョージさん一家は、オーストラリア料理を振舞ってくださいました。
今、ニランジャナはインド人、オーストラリア人、日本人、三種三様です。

では、今回はこのあたりで報告を終わります。長文読んでくださってありがとうございました。再記になりますが、プロジェクタとスクリーンのほう、どうぞよろしくお願いいたします。質問もお待ちしています。では失礼します。

おかず

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