ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

広野町を応援しています!コミュの5/11 ミニ広野町役場でがんばる皆さん

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
写真は廊下のミニ広野町役場。右から飯島さん、磯部さん、鈴木さん

埼玉新聞 5月11日に記事


 「あっという間の2カ月だった」。東日本大震災と東電福島第1原発事故から避難した福島県広野町の人たち約200人が身を寄せる三郷市瑞沼市民センターの避難所。町民に寄り添う広野町役場の職員ら5人も3月11日から2カ月を「半年も前のように思える」と、振り返った。

 5人が同避難所に来たのは、3月17日の夕方。三郷市と広野町が締結していた災害時相互応援協定に基づき、市が福島県へ出した迎えのバス6台で、町民約200人と一緒にやって来た。マイカーで来た人と合わせ、被災者は3月末には約300人になった。

 5人は1階の廊下の机に陣取り、そこが「ミニ広野町役場」になった。行けば、町役場の人がいる。町民にとって頼りになる存在に。いろいろな相談事に乗り、要望があれば三郷市とのパイプ役を引き受けている。

 避難所の同センターはもともと市立瑞沼小学校の校舎。廊下のミニ役場は寒風が吹き抜ける場所。そこで5人は頑張ってきた。最近、やっと気候が暖かくなり、しのげるようになった。

 リーダーは最年長の飯島洋一さん(43)。3月11日は、津波から助かった人々の救出に当たった。津波にのまれ、ずぶぬれで歩いて助けを求める人を避難所に運んだ。

 翌12日は東電第1原発の水素爆発の情報を受け、町内の避難所の人をさらに南へ避難させた。13日からいわき市内に移動。給水車に乗って避難所を回った。そして17日、埼玉へ。

 三郷の避難所に来た翌日から、避難者を10班に分け、代表者会議を立ち上げた。毎朝、朝食前の班長会議で何でも相談できるようにし、食事や掃除などの作業を当番制にし、「自立型避難所」を目指した。

 飯島さんは「まだ2カ月だが、ひどく長く感じます。振り返ると半年もたっているような感じだ」。「あっという間だった」と話すのは役場に入って5年目の鈴木亮さん(25)。「いろいろやることが多かったからね」と3年目の磯部智史さん(24)。

 広野町は人口約5500人。津波被害で修理中の東電広野火力発電所がある。町総務課企画グループの主任主査の飯島さんは、大震災直前に、町の10年後を見通す「総合振興計画2020」をまとめ上げたところだった。

 避難生活がどのくらいになるのか、見通しがつかないのがつらい。「仮設住宅やアパートなどで、2次、3次避難先を確保し、町民が普通の家庭生活を送れるよう、自立した家庭を回復することが次の目標です」と飯島さん。これからの道のりも長くなりそうだ。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

広野町を応援しています! 更新情報

広野町を応援しています!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング