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志村正彦歌詞研究会コミュの若者のすべて

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遂に頑張ってみたいと思います。いろんな方々の構想をヒントに自分なりにやっと解釈しました。合ってるかどうかというものではなく、あくまで個人的考えです。名曲ゆえにいかようにも考えられる所がいい曲たるゆえん。


まず冒頭、これは東京(高円寺の自宅あたり)で、この夏にあった出来事を思い出している。
真夏のピークが去ったと天気予報士がテレビで言ってた、「それでも」街は落ち着かない気がしている。ということは夏は終わったのだ。だけど完結していない自分がいる。

夕方5時のチャイムは高円寺でも鳴るし山梨でも鳴る。これは東京で5時のチャイムを聞くことで気持ちは故郷(山梨)に飛んでいる。
「運命」なんてものでぼんやりさせて→あれは運命だったんだ、と、山梨での出来事を振り返っている。

(間奏)→故郷の花火大会の日に頭の中はワープ

最後の花火に今年もなったな
何年たっても思い出してしまうな
→もう終わった話を思い出している。しかし今までも、きっとこれから先も何年経っても思い出してしまうな

ないかなないよなきっとねいないよな
会ったら言えるかな、まぶた閉じて浮かべているよ→これは何か約束の場所に目印のようなものがあり、タイムカプセルのようなイメージだと私は考えた。確かな約束はしていないがいついつの花火大会のこの場所で、また再会しようという若者の青い約束である。それは二人にしか知り得ない事だが、私のイメージでは、付き合ってる頃に交わした約束かもしれないし、別れ話の時に強がって言った約束かもしれない。後者な気がするが。

そんな曖昧な約束の場所に彼女は来るか、会ったら今まで言いたかった事は言えるかなと思いながら、今年の花火大会にこの僕はその場所に向かった(すでに過去の出来事)。それを今東京でまぶた閉じて浮かべているのである。


世界の約束を知って、それなりになって、また戻って
→解釈は様々ですが、世界の約束は時間は進むしかないという事かと思う。そうするとそれなりになる。それなりとしか言いようがない。時が進む事で自分を悩ませていたことがそれなりに解決したり、自分もそれなりに大人になる。しかしまた同じ様なことで悩んだりもやもやしたり、結局変わらない自分がいる。また戻ってるよ!って事、あります。多分そういう事。

街灯のあかりがまた一つ点いて帰りを急ぐよ
→僕は夕方の東京の街を自宅に向かっている。しかしぱっときいたかんじは花火大会に向かう場面もオーバーラップしている場面でもあると思う。しかしこれは過去の出来事である。

途切れた夢の続きを取り戻したくなって→これも2つの意味が重なっている。叶わなかった夢=彼女との未来=叶えたかった自分の理想の姿=そっちの人生を取り戻したい
という意味と、寝た時に見る夢の続きをまた見たいという意味が被っている。

もう何回も何回も僕は夢でこの花火大会の夢を見ているのであろう。叶わなかった夢の続きを取り戻したいのだ。それだけ未練たっぷりなのである。
(間奏)→場面転換
これは夢の中か、想像の中か、故郷の花火大会のその日その場所である。

ないかな、ないよな、きっとね、いないよな、会ったら、言えるかな、瞼閉じて浮かべているよ
→その場面を思い出している、というのもあり、夢の中のようでもあり…これも意味が重なっていると思われます。

すりむいたまま
僕はそっと歩きだして
→当時の志村君のインタビューでも、ここを一番歌いたい、まさに自分自身の状態という話を語っていました。

この歌の中においては、未練がましくあの日を思い出してしまうものの、傷を負って擦りむいているけどそっと歩きだすしかない。若者の姿である。ほんと格好悪くてどうしようもない。けどこれが今の俺です。というかんじでしょうか。

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな→夢の中というか想像の中の花火大会の場面に僕がワープしているイメージと、今年の終わってしまった花火の事を思い出し、何年経ってもきっと思い出してしまうんだろうなと、あるきだしたにもかかわらずまた引きずってしまう俺。まさにそれなりになってまた戻っての繰り返しの俺。

ないかなないよな、なんてね、思ってた。
→約束の場所に例のものはあったのだ。

まいったな、まいったな、話す事に迷うな
→これが今年の花火大会にあった事なのです。彼女はいたのです。

しかしこれは想像ですが、冒頭のもやっとしたかんじ、一貫して成長したようでいて成長していない俺という話の流れから察するに彼女はいたけど話かける事は出来なかったのです。
だから話し掛けている夢の続きを見たいのです。

何故話し掛けられなかったか。それは僕の心がボロボロにすりむくような事を知ったからかもしれませんね。

彼氏がそこに一緒にいたとかいうレベルではなく、そいつは僕の親友だったとか。なかなかダメージの大きい事実かなと。
音楽の道をストイックに突き進み彼女と別れるしかなかった俺。幸せになった二人。なりたかった自分になれたんだろうか?と思い悩む姿は他の曲にも満載ですが、本当に大切なものを捨ててしまったんじゃないかと悩む原点はこの彼女との別れである事は想像できます。
最後の最後の花火が終わったら、僕らは変わるかな、同じ空を見上げているよ

→別々の道を既に歩いている僕らである。

しかしまたこの「僕ら」も 僕と彼女という意味だけではなく、あんな時の僕、こんな時の僕、色んな僕、の意味の僕ら、というのも含んでいると思う。

僕らは変わるかな、と言っているが、やはり冒頭から推測するに変われてない。変われなかった。ズタボロで行ったり来たり、そんな若者のすべて、が非常にたくみにリアルに奥深く描かれている曲だと思います。

言葉数以上の事をここまで表現できる志村君て本当にすごい。しかしこれは事実だからこそできる表現なんだろう、そして曲として聴くと聞き方によってとても前向きに聴こえるし、鍵盤のポーンポーンという響きは時の流れを表現しているように聴こえるし、また場面が行ったり来たりするのも気にしないで聴けば花火大会にずんずん向かう僕のイメージが拡がる曲だし、

すごい奥深い。

この歌詞研究も若者のすべてをさらに深く楽しめる少しのお手伝いが出来れば嬉しいです。


この解釈を思いついてからまた聞いてみると更に普遍性を感じさせる曲なので、何年たっても私は志村君を思い出してしまうな。

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