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蛸地蔵商店街応援団コミュのがんこ五風荘にてただ今、公開中 郷土資料室保管 雛人形

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がんこ五風荘、女将より雛人形の写真を戴きました。

現在、お庭の茶室にて公開中!!

普段は岸和田市、郷土資料室に保管され、滅多に見れるものでは
無いようです。
雛人形は、やっぱり2月中には出してあげたいですね。

早く出して、早く片付ける、母親から良く聞かされたものです。
娘も早く嫁に行くように、家の雛人形も早めにしまう事にしましょう。

下の文章は郷土資料室から引用した物です。


岸和田市・郷土資料館の資料から

雛人形(古今雛)
雛祭りに人形を飾る風習は,平安時代、三月上巳(じょうし=月の最初の巳の日)に人間のかたちに作った「人形(ひとがた)」を飾り、節句行事の後に身の災厄を人形に移して水に流し捨てたことに始まります。

はじめは公家や武家など上流階級で行われ,江戸時代には庶民にも広がりましたが,雛人形とは言っても紙や布で作った簡素なもので立ち姿の「立雛」が主でした。
 しかし,江戸時代中期以後,貨幣経済の発展と人形製作技術の向上を背景に,豪華な衣裳を着せ,畳上に座る形式の雛人形が生
まれ,それまでの信仰的性格は薄れ,鑑賞用の雛人形へと変化しました。

古今雛
「古今雛」は明和年間(1764〜72)に江戸の人形問屋が人形師原舟月に作らせた形式の人形で,現在の雛人形とよく似た形式のものです。
 この雛人形は,江戸時代に岸和田中町で網元を営んだ吉野家に伝わったもので,岸和田藩に金子の融通などもしていたために,天保5(1834)年に長女が生まれた時,殿様から拝領したと伝えられる人形です。
 大正時代までは向かって右に男雛を飾ることが一般的で,左に男雛を飾るのは,昭和期以後,昭和天皇の即位式にならって流行したといわれています。

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江戸時代、明治、と貴重な雛人形が飾られています。
是非、一度見に行ってくださいね。

17年前の雛人形は我が家にも有るな。
その後は住宅事情から「ケース入り」の
物が多くなった。
今では7段飾りは出すにも一苦労
上段から参人官女まで出すようにしています。

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