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セルゲイ・プロコフィエフコミュの交響曲全集

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 ご存じの方も多いかと思いますが、ロジェストヴェンスキー指揮・モスクワ放送響による全集がヴェネツィア・レーベルから発売されました。ポストニコワのピアノでピアノ協奏曲全集もはいっていて、さらにファン待望の自作自演(指揮)による「ロミオとジュリエット」第二組曲とヴァイオリン協奏曲(オイストラフ独奏)もはいっている豪華セットです(おかげで少々高値なのが玉に瑕ですが)。

 この交響曲全集、ずっとほしかったものです。LPでは持っているのですが、CDでは入手しそこねていましたから、とても喜んでいます。それで、トピックをたててしまいました。

 全部好きなのですが、最高なのはなんといっても交響曲第5番のいちばん最後! 金管の大爆発は録音におさまりきっていませんが、この曲がほんらいどういう意味合いで作曲されたかを考えれば、ある意味でこれがいちばんそれらしいのではないかと思います。

 また、自作自演のほうも興味深いです。特に、「ロミオとジュリエット」のなにかゆったりしたテンポは意外ですが、プロコフィエフらしい「歌心」のようにもきこえます。現代の演奏にも一石を投じるのではないでしょうか。

 お聴きになった方の感想やご意見をぜひお願いします。また、他の全集−最近出たゲルギエフとか、そのほか−についての話題も歓迎です。

コメント(13)

こんばんは
ロジェストヴェンスキー指揮のモスクワ放送響のやつは15年ほど前に、ビクターから出てますね(持ってます)。ただ、それにはピアノ協奏曲全集も自作自演(指揮)による「ロミオとジュリエット」も入っていませんが、8000円で手に入れることが出来ました。たぶん同じ版だと思います。
もちろん第五の迫力もすごいのですが、興味深かったのは弱奏(p)がたった7つしかないという伝説の第二の第一楽章の録音が、とにかく割れ続けていて、1967年の録音技術の上を行く曲なんだなと実感しました。
まだまだいろいろありますが、とりあえず。
>轟天号さま
 第二番、LPでは聴いていて、その迫力を思い出しました。今回のCDではまだ聴いていません。どうなっているのか聴いてみます。

>RELHAMさま
 全集として聴いたのは三つくらいしかないのですが、いろいろ聴いてきて、プロコフィエフ指揮者としては、わたしの好みからいうとやはり彼がベストです。ほかの管弦楽曲はかなりソ連崩壊後旧西側で再録していますから、交響曲もやってほしいですね。CHANDOSあたりにみんなでリクエストしてみてもいいかもしれません。ただ、あのモスクワ放送響と同レベルの馬力がだせるオーケストラがいまどきあるかどうか・・・。
ロジェストベンスキーでは、全集企画の一部しか買っておりませんが、交響曲第4番(1947年版)、第6番を購入して聴きました。また、第3番、第7番も図書館に寄贈されたのを視聴覚室で何度も聴きました。

私は、メロディメーカのプロコフィエフとして、第6番に感動しましたね。第2楽章の誇張的なメロディーと、チェレスタを使った中間部など強く印象に残ります。また、指揮者ラザレフが指摘しているように、第6番のフィナーレは、第5番と違って、真に明るく終わるのではなく、何か聞き手への問いかけで終わっている、その理由はラザレフによれば、プロコフィエフの最初のスペイン人の妻リーナ・リュベラが、スパイ容疑で逮捕されたことを知ったからという話が大変印象的です。

ショスタコやミャスコフスキーのような悪への攻撃とまではいかなくても、従来のようなスターリン万歳を音楽で表すのに抵抗を感じ始めた様子が伺えます。これは、ヴァイオリンソナタ第1番もそうですし、最後の第7番も敢えて、ゆっくりした問いかけで終わらせています。これは、快活なコーダを加えて終わらせるのと両方あるようですが、ロジェストベンスキーはゆっくりした方を選んでますね。

第5番は、ボロディン的英雄崇拝的なイメージとメロディの面白さがマッチした雄大なものですね。特に第2楽章の戦闘部分の間の中間楽章が、ラザレフによればスペイン舞曲であり、これは、最初の妻への思いがこめられているというのに感動します。ヴァイオリン協奏曲第2番の終楽章もカスタネットなどを頻繁に使うスペイン風の曲でこちらはマドリードで初演されていますよね。私は、ソビエト音楽を初めて聴いたのがハチャトゥリヤンの剣の舞の次がプロコの交響曲第5番だったのですが、第2楽章を聴いて、ソビエト音楽ってアジア的なんだな、と勝手な想像をしたものです(笑)

ロジェストベンスキーの第7番はあまり好きになれませんでした。フィナーレが作曲者の意図に忠実ではありませんが、ヤルヴィの方が好きです。何度も聴くと変わるかも知れませんが、ロジェストベンスキーの7番は手元に購入してないので・・・・

あと、ロストロポービチの全集が図書館にあって、そのうちの2,3,4番を借りて聴きました。すみません、2番は確かに型破りですが、それほど印象に残らず、次の第3番からプロコの交響曲の独創性が始まったというのが私の感想です。これは、1楽章2楽章の旋律性、3楽章の奇抜さ、そして締めくくりの雄大さ、構成力に対する無邪気さなど、プロコフィエフらしさに満ち溢れています。第4番が、改訂前と改訂後の両方が録音されているのがいいです。最初の序奏からして全く変わってますね。第4番の改訂版は7番と言ってもいいくらいの変わりようです。私は改訂版の方が好きですね。これは、フレンニコフの交響曲第3番に強い影響を与えているように思います。
>RELHAMさま

 BBC盤、わたしは以前出たCDを持っているはずですが、全体に印象が薄く、特によかった覚えも、おかしかった覚えもないというのが実情です。今度確かめてみます。

>カワベッチさま

 くわしいコメントありがとうございます。特に、ラザレフのいう5番の第2楽章はスペイン舞曲だ、などのリーナ夫人との関わりは考えたことがなかったので、興味深いです。このラザレフのコメントはなにか雑誌などに掲載されているものでしょうか。6番も不思議な曲だとずっと思っていましたが、なるほどそういう見方もできるのかという感じです。
ちなみにこの曲が、ショスタコーヴィチの第9番ほど糾弾にさらされなかったのもまた不思議ですが、旧ソ連における文化政策がなんらかのイデオロギーで貫徹されていたというよりは、単に担当者の保身による場当たりでしかないという見方を裏付けるものかもしれません。

4番はゲルギエフの全集盤に両方が収録されているので聴きましたが、確かにまったく違う曲ですね。それほど聴きこんでいないので断言出来ませんが、わたしも改訂版のほうが充実しているように思いました。フレンニコフの交響曲全集も持っているだけであまり聴いていないので、こんど聞き比べてみようと思います。彼はばりばりの体制派で、ショスタコーヴィチの伝記などを読む限りでは政治的人間的に好きになれませんが、音楽には妙な魅力がありますね。 
KDK様
ラザレフのコメントはこちらにございます。
http://www.japanphil-21.com/kikidokoro/ms/ms05-12/ms05-12.html

私は、最近mixiに入ったばかりですので、KDK様宛てにミャスコフスキーのお勧めとして、交響曲22、26番をミャスコフスキーのコミュニティに書いてみましたので、目を通して下さると嬉しく思います。

フレンニコフが横暴になったのも、戦時中の評価が、ハチャトゥリヤンやカバレフスキーに比べ著しく低かった事が原因ではないでしょうか?彼の交響曲は1番が1934年のまだショスタコが非難される前、2番が1942年と大戦中の統制のゆるまった時期、3番が1970年代がすでにスターリンも死に、バビヤールのような問題もなくなった時期と、全て音楽統制の少なかった時期を選んで作曲しているだけに、全ての交響曲が結構大胆です。第1番は西側でも演奏されたそうですし、第2番はまとまりの悪い一番ひどい曲ですが、全ての楽章が短調で後半楽章は結構前衛的です。そして、第3番は、プロコフィエフの影響が極めて強く、第2番のように主題が冗長でないのですっきりしています。
みなさん、さっそくのコメントありがとうございます。

>轟天號さま

 2番を聴いてみました。やはり、はいりきっていません(笑)。曲としては、まとまりにやや欠ける気はしますが、迫力という点では全曲中白眉かもしれませんね。

>RELHAMさま

 手許にあるのはBBCの旧シリーズ(15656 91462)で、イギリスでの発売元(Carlton社)がつぶれたため廃盤になってしまったやつです(日本盤としてもキングから出ていたと思います。これで聴くと、少なくとも誰もがわかるような大きな異常は感じられませんでした。むしろ問題は演奏で、4楽章最終盤では指揮にオーケストラがついていけず、かなり弾き飛ばしたり崩れたりしています。プロムスのライブなので聴衆は大興奮していますが、ちょっとレニングラード・フィルとは信じがたい感じです。

>カワベッチさま

 ラザレフのコメントをさっそく読みました。とてもおもしろいですね。日本フィルがマエストロサロンというのをやっているのは聞いていましたが、こんな話が指揮者からじかに聞けるとはうらやましい限りです。
 ミャスコフスキーのおすすめも、ありがとうございました。さっそく探してみようと思います。

 フレンニコフははるか昔、まだレーピンが神童と言われていた頃に日本フィルとヴァイオリン協奏曲を演奏したのをFMで聴いて興味をもちました。交響曲の作曲時期からのご示唆は非常に興味深く読みました。経歴だけみると体制派筆頭格のような彼でも、時期を読みながら挑戦を図っていたのかもしれないと思うと、ちょっと印象が変わってくる気がします。
 ちなみに、レーピンの演奏会はほんとうは自作自演で指揮をするはずだったのが病気で来日できず、代わりが当時ほとんど無名だったゲルギエフでした。そのときにあわせて演奏したプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」のエアチェック・テープはいまもわたしの宝物です。
はじめまして、最近このコミュに入らせていただきましたクフロと申します。こちらでロジェベンの全集が再発になったと教えていただき、早速に買いました。

友人の持っていたLPで聞きましたが、私も第二番に衝撃を受けたクチです。まごまごしているうちにLPで買い損ね、ビクターのCDも買い損ね、とうとう二十年くらい経ってしまいましたので、いやー(^^;)、感激もひとしおです。

おまけに、皆さんお書きのようにこれはピアノ協奏曲全集も兼ねていて、更に他の曲も入っていて、お得感倍増ですね(^^)。長年の願い叶って手に入れられて、ホクホクしています。

宜しくお願いします!
連投ですみません(^^;)。

コミュ題から外れてしまって恐縮ですが、フレンニコフは1984年に来日して東響で自作演奏したのを聴いています(P協#.3とSymp.#.3)。指揮は、なんとやはりゲルギエフでした。

その頃にはショスタコーヴィチの「証言」も出ていましたから、P協のソロを弾くためにステージ上に現われた彼を「これがあのフレンニコフのおっさんか!」という思いで見ていました(ゲルギエフのことは(ToT)良く覚えていません)。

しかし最近買ったScribendumのフレンニコフ交響曲全集でのライナーノーツを読むと、こんな話しも出ています。興味深いので一部の内容を大意で引用します。

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彼はプロコフィエフへの尊敬を公言し、実際作風にも影響を受けている。にもかかわらず、ジュダーノフ批判でプロコフィエフを貧窮に追いやったのは事実だが、50年代の終わりに未亡人のニーナが収容所から帰還したときに、なにくれと彼女を助けたのも事実である。晩年の彼の書棚には、彼の支援に感謝する署名入りのニーナの写真が飾ってあった。
彼の指導下の作曲家同盟は(旧ソ連の基準では)むしろ寛容だったのであり、スターリンの晩年に反ユダヤ主義的風潮が台頭したときには、彼は作曲家たちをかばうのに最善の努力をしたのである。
彼自身の言に因れば、彼の責任で収容所送りになった作曲家は一人もいない。もしこれが本当だとすれば瞠目すべき業績だが、いずれにしろペレストロイカの時代になって他の文化団体が旧官僚達を追放する中で、作曲家同盟の音楽家達がフレンニコフが留任するよう賛成票を投じたのも事実なのである。

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うーむ(^^;)、棺を覆おうても未だ猶その評価が定まらない人物、ということなのでしょうか??

それも、ソビエト連邦も旧共産党も崩壊してしまった現在では多くの関心が失われ、ますます分からないままになりそうですね。
クフロさんの書き込みの話、とても興味深いですね。実は私もライナーを読んでみて書き込もうと思いつつずるずるとほったらかしになってしまいました。すみません。

ソ連崩壊後はみんなが「自分は体制から距離をおいていた」と言いたいがために、フレンニコフのような人は必要以上に悪く言われた可能性はあると思います。いずれ冷静な論考が出てくることを期待したいと思います(その邦訳がでることをさらに強く期待しないといけませんが・・・)。

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